【MM2H体験】おすすめ情報(01)「骨肉茶」起源

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この記事は、本編【MM2H体験】の関連記事です。「おすすめ」のまとめ記事はこちらです。

日本で「フード・ファイト」というと「大食い選手権」を連想されると思いますが、マレー半島の “Food Fight” は、1965年以来のシンガポールとマレーシアの「美食起源論争」を意味します。(人気料理の発祥はどこか?という論争)

特に、ナシ・アヤム(海南鶏飯)、チャー・クイティオ、そして骨肉茶については、シンガポール起源説とマレーシア起源説を巡って一国の大臣クラスが互いに発祥した事実を主張するような話さえあります。

上に挙げた3つの料理は、何れも「シンガポールの独立」(1965年)以前にマレー半島全体(つまりシンガポールを含む全域)で提供され始めています。独立以前のシンガポールはマレー連邦の一部だったのですから、「どの国が発祥なのか」という話は意味が無いはずです。国家的な「発祥・老舗」既得権でなく、「どの地域で始まった料理か?」という視点で論争するなら、まあ、話はわかります。

今回は「骨肉茶」について Wikipedia で掘りきれていない史実を深堀します。

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クラン港を起源とする史実は情報が豊富

日本語版のwikipedia で「骨肉茶」の歴史を読むと、英国植民地であった時代に中国の福建省から移住してきた華人が港湾の「苦力(Coolie)」へ提供したのが起源とある。詳細は不明だが、概略正しいようです。

ただし、「漢方薬医が病弱だった息子の為に、漢方を使用した薬膳料理として」作ったという記述は、英語版でも中国語版でも記載が無いし、一次情報の引用も無い。これは何かの間違いだと思います。

比較的詳しい中国語版の Wikipedia から一次情報を見ていくと「李文地(Lee Boon Teh)」という、マレーシアのクラン港在住のカイロプラクティックの施術士と、その子孫がクラン地区で開業したのが骨肉茶の起源とされています。

盛發骨肉茶店のHome Page に掲載された「李文地(Lee Boon Teh)」

李文地の子孫が経営するレストランの紹介文では、骨肉茶は、「80年前、日本軍が(マレー半島に)南進して来る前から、従前の豚肉料理に漢方薬を加えて煮込んで販売していた」とあります。(盛發骨肉茶、”Seng Huat Bak Kut The” のhome page

盛發骨肉茶(クラン港)で提供している典型的骨肉茶(ぐーぐるマップへの投稿写真から)

Home Page の中分の紹介文によれば、福建語の「地」と「茶」の発音は同じ、そして、「骨肉茶」という料理の名称は「李文地」の「地」の店の「骨付き肉料理」という意味で、利用客が「骨肉地」というニックネームを使っていたが、これが「骨肉茶」に変化したという経緯と記載されています。

この「盛發骨肉茶」は創始者「李文地」の4男「李漢森」(Lee Han Sen)の家系から発展した店舗ですが、これとは別に(恐らくは)長男の李文賢(Lee Eng Hin)が発展させた「奇香 (Kee Hiong)」という骨肉茶のチェーン店が有り、こちらはマレー半島に8店舗(マレーシア6店舗、シンガポール2店舗)を展開しているそうです。

奇香骨肉茶 Home Page に掲載された「李文地(Lee Boon Teh)」の写真

この「奇香骨肉茶、”Kee Hiong Restaurant”」曰く、「李文地」の元祖骨肉茶は7種類、「奇香骨肉茶」は、10種類の漢方薬を使っているとのこと。

「奇香骨肉茶」のルーツは、マレーシアのクラン出身の創始者「李文地」に遡ります。1940年代、李は7種類の漢方薬を加えた「肉骨茶」(骨付き肉煮込み)のレシピを考案しました。

芳醇な薬膳スープは多くの顧客に愛され、後に、「文地」という彼の名前から「肉骨茶」という愛称を親しみを込めて使うようになりました。時を経て、常連客は彼のスープを指すためにこのニックネームを使い始め、それが今日私たちが親しみを込めて呼ぶ「肉骨茶」となったのです。

1960年代、息子の李文賢(Lee Eng Hin)さんが「奇香」というブランドを立ち上げました。父の遺産をさらに高めようと、10種類以上のハーブを加え、今日私たちが知る伝説の「奇香骨茶肉茶」を生み出しました。

奇香クラン骨肉茶は現在、マレーシアとシンガポール全店で8店舗展開しています。

奇香骨肉茶(Kee Hiong)のWebsiteにある紹介文
シンガポールの kee hiong bak kuk teh 「奇香骨肉茶」 (グーグルマップへの投稿写真)

以上、2つの骨肉茶ブランドのオーナーが公開している文章から、戦前の「李文地発祥」説は、間違いのない史実といえそうです。文章に添付されている「李文地」氏の写真も同じものですので、信頼できると思います。複数の資料を統合すると、骨肉茶の研究は1938年あたりから始まって、1940年にレシピが確立、「骨肉茶」という名称が定着しはじめて、1950年に飲食店として確立したというのが「クラン発祥説」の位置付けになります。

情報不足のシンガポール起源説

シンガポール起源説の根拠は、Pek Sin Choonという茶葉の販売業者が、「1925年から bak kut tehの店舗にお茶を届けはじめた」というもの。 この説は、シンガポールの c n a が2023年4月24日にオンライン報道した記事で紹介されたフード・ジャーナリストの意見です。

曰く、「現存するMaxwell Food Centre という場所の屋台にNankin Street Bak Kut Tehという店舗が有り、この屋台の開業が1920年代に遡る」という話。

店舗の関係者の証言ではなく、フード・ジャーナリストの見解です。

ところが、一次情報として掲載されている領収書の写真の日付は1938年のもので、「骨肉茶レストランのための茶葉のデリバリだ」という証拠はみあたらず、しかも書類には”Kuala Lumpur”という文字が読み取れます。件の屋台(Nankin Street Bak Kut The)の来歴についても、「1920年に骨肉茶を販売した」という記述が含まれていません。

結局のところ、シンガポールにおいての、骨肉茶の起源は「おそらく1938年」というジャーナリストの見解だけで、店名もビジネスの所有者の氏名も証言も有りません。

そもそも、前述の「クラン起源説」の老舗情報から、「骨肉茶」という名称が定着したのは、1940年から1950年の間ですから、1938年に「骨肉茶の屋台があった」という事実は成り立ちません。

c n a が報道したジャーナリストの提供写真で、かろうじて屋台があったことは解るが、Home Page も文章も出て来ない。

Nankin Street Bak Kut Theの記事はネットに幾つもあるのですが、どの記事にも1920年から1938年頃から「漢方薬を煮込んだ骨肉茶を売っていた」という明示的な説明や情報はありませんでした。

クラン起源説に比べると、英語版 Wikipedia に記載のあるシンガポール起源説は、情報不足で、はっきりした証憑もないので、信頼できそうにありませんね。

奇香骨肉茶のほうは、シンガポールにも支店があり、壁には李文地の来歴がしっかり表示してある。(グーグルマップの投稿写真)

まとめ

クラン起源説の根拠になるのは、「李文地」一族の証言です。これを正とするなら、「骨肉茶」の起源ははっきりと「クラン港」と言えます。

筆者が、この線の情報が確実だと考える理由は(1)「奇香骨肉茶」が8つの店舗に拡大していて、子孫が「李文地」の史実をサポートしていること、(2)「盛發骨肉茶」が、その Home Page でハッキリと「李文地」の史実をを表明していること(3)両方のブランドの店舗が Home Page で紹介している「李文地」の顔写真が同じであること の3点です。

盛發骨肉茶 (Seng Huat bak kut teh) のHome Page
クラン近郊にある「李文地」直系の老舗「骨肉茶」店舗、尚、奇香(Kee Hiong)のほうはマレー半島に8店舗展開している。
奇香骨肉茶(Shah Alam のオリジナル天)
盛發骨肉茶は、この写真の中央右のブリッジ沿いにある青井屋根の shop lot である。大きな店舗でないが、人気は高い(グーグルマップから抜粋)

シンガポール起源説は、 c n a の曖昧なオンライン記事に依存していて、記事に記載された老舗の屋台についても、Home Page も創始者の氏名も出て来ませんから、現時点では、マレーシアのクラン港が発祥というのが正しい認識だと思えます。

後までご参照いただき、ありがとうございました。

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