【MM2H体験】おすすめ探訪(76)ムルデカ広場

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今では殆ど語られない事実:ムルデカ広場の土地は、かつては華僑の豪商 Yap Ah Loy(葉亜洛)の所有地だったのです。英国の植民地政府は1882年に、この土地をYap氏から買い取ってマラヤ植民地行政の中心地にしたのです。

おすすめ80選を計画した当初は、この独立広場 ( Independence Square ) は次選の20件のひとつでした。

ところが、他の観光地の歴史を調べるうちに、馬国の独立への道が大変な苦難の連続であったことを知らされるにつれ、馬国のMerdeka(独立)の意義深さを知りました。

今、筆者にとっての「ムルデカ広場」は、訪ねるべき場所として外せない場所に変っています。

この場所こそは、単に目で見て感動する場所ではなく、古くはポルトガル、オランダ、そして英国や日本による占領時代を経て、遂にこの場所で初代首相が独立を宣言するに至った歴史を思い返しながら訪問する場所だと思うのです。 馬国に同情するということよりも、独立に至る国民としての意志ですとか、異民族の融合と、独立をまとめたリーダー達の苦難に敬意を持つのは当然と思えるのです。

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ムルデカ広場の来歴

独立広場 (Dataran Merdeka) は、Sultan Abdul Samad Buildingの前に位置しています。以前はSelangor Club Padang、または単にPadang(マレー語で「広場」)と呼ばれ、Selangor Club(現在はRoyal Selangor Club)のクリケット場として利用されていました。1957年8月31日深夜、この場所でユニオンジャックが降ろされ、初めてマレーシア国旗が掲揚されました。それ以来、独立広場は毎年恒例の独立記念パレードの会場となっています。

クアラルンプールはその聡明期、クラン川東岸に中国人やマレー人のコミュニティが住んでいましたが、川の西側の土地はもともと葉亜洛(Yap Ah Loy)が所有しており、野菜畑として使われていました。

現在の広場をとりまく地区の航空写真(Google) 右の黄色い線がクラン川とゴンバック川の合流地点

1880年、植民地政府はセランゴール州の州都をクランからクアラルンプールに移動。当時のイギリス駐在官ダグラスは、政府庁舎と職員の居住区を川の西側に設置することにしました。当時のダグラスが街の衛生状態を悪く、地元住民による暴動の可能性があると考えたためです。

政府庁舎と新しい警察本部はBukit Amanに建てられ、警察の宿舎はバラック・ロード(現在のJalan TangsiとJalan Rajaの一部)に設けられました。

クラン川のすぐ西側にある泥沼な土地(つまり、現在のムルデカ広場)は平らにならされ、排水路が整備されて警察の訓練場として使われました。この土地は、1882年にイギリス駐在官が葉亜洛(Yap Ah Loy)から1エーカーあたり50ドルで購入しています。

元々はパレード・グラウンドと呼ばれていたこの土地は、後にPadangと呼ばれるようになります。10年後の1892年、熱心なクリケット愛好家であった代理イギリス駐在官アーネスト・バーチは、この土地をクリケット場や他のスポーツにも使えるようにするために整地を始めました。

現在のPadangに面した場所に1890年にSelangor Clubのクラブハウス、1895年にセントメアリー教会。

中央が Pandang、左端に Jalan Buki Aman の警察署、左上に Jalan Tangsiで、その右に Jalan Raja、その上が St. Mary 教会、右がクラン川。

1897年、植民地政府はもとのBukit Amanの建屋から、Padanを見下ろすSultan Abdul Samad Buildingに移されました。この建物は、イギリス人によって建設された最も重要なランドマークの一つで、インド・サラセン様式(またはネオ・ムガール様式)で設計されています。

Padangは政府庁舎の前に位置しているため、多くの国家行事や市民行事の会場として利用されています。パダンはかつてSelangor Club貸与されており、クリケットやラグビーなどの各種スポーツに使用されていましたが、1987年に市議会によって政府に変換され、Selangor ClubにはBukit Kiaraの土地が与えられています。

1957年8月31日: Padangで群衆が見守る中、真夜中にイギリス国旗が降ろされ、初めてマラヤ旗が掲揚されました。翌朝、Merdeka Stadiumで独立記念式典が開催されます。

Merdeka Square の説明碑文 photo by Wikipedia “Independence Square”

1989年10月: Padangは ”Dataran Merdeka”、つまり「独立広場」と改名されました。これは、1990年1月1日から始まるVisit Malaysia 1990キャンペーンに合わせたものでした。

英語版 wikipedia “independence square”

ムルデカ広場と周辺の建造物(史跡)

1897年に完成したSultan Abdul Samad Buildingは、クアラルンプールが首都になったために、役所の運営面で設備不足になりました。以後、周辺に多くの建物が出来上がるわけです。

  • 1899年:Padang 南西角の旧印刷局
  • 1904年:北東部の旧市役所
  • 1905年:南東部の旧連邦マレー諸州鉄道事務所
  • 1907年:南側に旧中央郵便局
  • 1910年:旧測量局
  • 1915年:北東部の最高裁判所旧最高裁判所

広場はマレーシア独立後、行政区画というだけでなく、マレーシアの歴史と文化にとって重要な史跡となりました。広場には高いフラグポールや記念碑、噴水があり、その周りを歴史的な建造物が囲んでいます。

wikipedia “independence square” より
  • 高さ95メートルのフラグポール: 世界でも有数の高さ
  • マレーシア国旗掲揚地点: 黒い大理石の円盤
  • コップスの噴水: 1897年に警視スティーブ・ハーパーを記念して建立
  • 旧国立歴史博物館: かつては膨大な歴史的遺物を収蔵。現在はMuseum Negaraに移転
  • クアラルンプール市ギャラリー: ミニチュア模型や壮大な街並み模型ショー
コップスの噴水 wikipedia “independence square” より
クアラルンプール市ギャラリー photo by wikipedia “independence square”

参考  Royal Selangor Club

1884年、当時マレー半島の植民地政府(大英帝国)が、Selangor Club を発足。

教育が有り、階級の高いイギリス植民地社会のメンバーの集会所として機能。初期のメンバーはほとんどが英国人だが、クラブへの加入は、人種や国籍よりも高い教育水準や社会的地位を基準に決定された。例えば、創設メンバーの一人にはタンブースマイ・ピライ※を含む。

※ピライは、シンガポールで学んだ知見を活かしてマレー半島を統治する占領政府をサポートして評価され、後にBatu Cave を聖地として開発した功労者。

クラブは「The Spotted Dog(斑点犬)」という愛称で呼ばれた。愛称の由来には諸説るが、一般的な説明は、クラブの複数のコミュニティ会員の混在を反映しているというもの。常連客は、ありのままの姿で仲間を受け入れなければならないという発言から始まったと言われている。

中央の低めの建造物がオリジナルのクラブハウス  photo by wikipedia

年月を経て、クラブの会員は増え、マレーシア公務員(高官クラス)、裁判官、弁護士、社会的重要人物も会員となった。1957年以降、クラブは、独立広場(Dataran Merdeka)の反対側にある旧高等裁判所(High Courts)に近いことから、法律関係者の間でも人気のある会合場所であった。

創設当初から、さまざまなスポーツ活動を組織してきた。例えば、クリケット(マレーシアにおけるクリケットの歴史において重要)やラグビー・ユニオンなどがある。ラグビー・ユニオンは1894年から運営されている。

出典: Wikipedia “Independence Square”, “Royal Selangor Club” 2023

参考 Sultan Abdul Samad Building

当初はセランゴール州政府事務局 (1897-1957)、後に最高裁判所 (1957-1988)として使用されていたが、裁判所が移転した後、数年間使用されていない。現在は、MM2Hを推進する観光文化省と通信・マルチメディア省の執務拠点。

英国州政府としての建設当時の写真 photo by wikipedia “Sultan Abdul Samad Building”

インド・サラセン様式またはネオ・ムガール様式: イスラム建築の影響を受けた建築様式で、ビザンチン建築、ゴシック建築、ムガール建築などの要素を組み合わせたものです。Sultan Abdul Samad Buildingはこの建築様式の典型例です。

2階建、フロアプランは大まかにアルファベットのF字型をしており、上部の横棒が正面玄関。建物の正面はPadangに面し、建設当時はマラヤ最大の建物であった。 Jalan Raja 沿い137.2 mの建物には、1 階と 2 階の両方に幅 3.5 m のベランダがある。 中央の時計塔は高さ 41mで、ビッグベンを彷彿とさせるインドサラセン様式で設計された。

時計塔の両側の、階段を備えた 2 つの塔は、インドのアラハバードにあるムーア中央大学の影響を受けていと思われる。3 つの塔すべては、銅板葺きの玉ねぎドームで覆われています。赤レンガに白漆喰のアーチと帯が施されている。

おなじみの写真も、歴史を知っているとそうでない場合とでは伝わるものが違います。

出典 Wikipedia “Sultan Abdul Samad Building” 2023

最後まで参照いただき、ありがとうございます。

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