【MM2H体験】おすすめ探訪(51) Batu Caves

MM2H

この記事は、本編【MM2H体験】の詳細記事です。「おすすめ」のまとめ記事はこちらです。

1996年以降、企業メンバーであった時代、2000年以降の自営業時代、2010年からのMM2H時代を通して20年以上もクアラルンプール(KL)に在住してきましたので、Batu Caves(バトゥー洞窟)は4~5回観に行けました。

最近の変化も含めて「おすすめ」のBatu Caves観光をまとめてみます。

自家用車やグラブで行くのも良いですが、KLセントラル駅からのKTM(電車)での移動が安上がりです。片道30分程度ですし、料金は2.6RM(約70円)と格安です。

マレーシアの物価が高くなったといいますが、電車賃あたりはまだまだ日本より安いです。

もちろん、KLに住んでいるか宿泊しているなら、日帰りで見に行けます。

アクセス

マップを見てください。印が Batu Cave で、赤の線で示したのがKTMでの片道30分の路線です。自家用車でもだいたい片道30分だったと思います

渋滞がなければ約 30 分程度で到着します。しかし、渋滞が発生する可能性もありますので、45 分程度はみておいたほうがよいでしょう。

グラブの場合、ひどい渋滞が無ければ料金は 20RM~30 RM(約550~825 円)程度。

安く早く行くならKTMです。

入口から洞窟内へ

KTMの駅を降りるか駐車場に車を止めたら、Batu Caves の大きな階段に向かって進みます。Google mapを拡大すればこの絵が出てくるぐらいの距離で、わかりやすいです。

確かに270段以上ありますが、普通の人が登ってへとへとになるというようなものではないです。但し、サンダル、革靴、ハイヒールは何れも不便です。スニーカーがベスト。

虫刺されについては、特に気にする必要はないです。気持ちの準備としては「臭い」です。

個人的にはコウモリの糞尿の匂いが無ければ、もうすこし頻繁に遊びに来てもよかったかなと思います。

入場料は無料です。

洞窟の中はけっこう広くなっています。あれこれと観る物はありますが、長く印象に残るものは無かったと思います。まあ、無料で観光してみて損はないといった程度。

筆者が最初に観光したのは2000年になる前でしたから、入口の巨大な象はありませんでした。無い時の方が洞窟全体は大きくみえたと思います。

envato elements (all rights reserved) 入口ヨコの池の通路もかカラフルです。

タイ・プサムと混雑

Batu Caves は、ヒンドゥー教の神様であるシヴァ神を祀る洞窟群ですから、毎年、タイ・プサム という「お祭り」が開催されます。(シヴァ神の妻であるパールヴァティの誕生日を祝うお祭りで、国内外から多くのヒンドゥー教徒が訪れる)

祭りの期間中は、Batu Caves 周辺の道路は渋滞し、洞窟内も多くの人で混雑します。特に、夕方から夜にかけては、お祭りの行列が洞窟内を練り歩くため、さらに混雑します。この時期の探訪は避けたほうがいいです。

お祭りの期間は、毎年 1 月または 2 月です。2023 年は 2 月 1 日から 3 日まででした。

期間中以外でも、Batu Caves は人気の観光スポットのため、特に週末や祝日は混雑します。混雑を避けたい場合は、平日に訪れるのがおすすめです。

Batu Caves の来歴

洞窟を形成する石灰岩は 4 億年前のもので、入り口の一部は、当初は先住民のテマン族(オラン・アスリの部族)の休憩所・避難所的な存在。

1860 年頃、中国の入植者が野菜畑の肥料用にグアノ(コウモリの排泄物が堆積したもの)採掘を開始。

石灰岩の丘が英国植民地当局者や、アメリカ人自然主義者の William Hornaday によって記録されたのは 1878 年になってから。

envato elements (all rights reserved)

Batu Caves が、宗教的な拠点としての評価・提唱は、英国支配の時代の植民地政府行政官でもあったインド系のタミール人商人、 K. Thamboosamy Pillai の貢献。彼は主洞窟の槍のような入り口に触発され、洞窟内にムルガン寺院を奉納することを思いつきました。この人物については末尾に紹介してあります。

1890 年、Pillayは、今日 Temple Cave と呼ばれる場所に Sri Murugan Swami の murti(奉献された彫像)を設置しました。これが起源になり、1892 年以来、タミール暦の「Thaiの月」(1 月末/2 月初旬)にタイプサム祭典が行われることになっています。

1920 年に建てられた木製の階段は、1930 年代に劣化し始めました。そこで、寺院責任者のRamachandran Naiduは上部洞窟にコンクリート階段を2つ建設することを提案。

1940 年に、現在の272 段のコンクリート階段が完成。

史跡を構成するさまざまな洞窟寺院の中で、最大かつ最もよく知られているのは寺院洞窟で、高いアーチ型の天井の下に複数のヒンズー教の祠があることから Batu Cavesという名称が付けられてます。

2018 年 8 月、272 段の階段が塗装され、各段の階段が色とりどりに塗装されました。

この時、文化遺産局(National Heritage Department)の告発を受けています。つまり、史跡の 200 メートル内で改修を行う場合は許可が必要であり、件の塗装は無許可なので「違法」としたのです。この件は係争騒ぎになっています。

Batu Malai Sri Murugan Templeは、クアラルンプールのスリ・マハマリアマン寺院とコルトゥマライ・ピライヤール寺院も管理するスリ・マハマリアマン寺院デヴァスタンム管理委員会によって管理されています。また、ヒンズー教の暦を決定する際に、マレーシア政府のヒンズー教宗教顧問としての役割も果たしています。

参考情報

ムルガン像

バトゥ・ケーブス・ムルガン像(42.7m)は、マレーシアで最も高い像。

カラフルな洞窟施設とムルガン像  出典:wikipedia “Batu Caves Murugan Statue”

この像はタミル系マレーシア人によって建てられ、建設には3年かかり、2006年1月のタイプサム祭典中に公開されました。施工期間3年。建設費用はRM250万。構造は鉄筋150トン、コンクリート1550トン、金色の塗料300リットル。

この像の正確な所在は、Batu CavesのふもとのSri Murugan Perumal Kovilです。

あまりに大きく作ったのでBatu Caves が小さく見えるようになってしまいました。

K. Thamboosamy Pillay(1850-1902)

K. Thamboosamy Pillayは、マレーシア独立前の数年間、タミル人コミュニティのリーダーと見なされていた人物。裕福なビジネスマン、錫鉱夫、金貸し、そして政府の請負業者。

出典:Wikipedia “K. Thamboosamy Pillay”

1850年にシンガポールで生まれ、この地の Raffles Institute で学んでいる。

1875年に、英国植民地時代のマラヤに始めて常駐した英国管理官のJames Guthrie Davidsonと共にクランに移住。(Pillay は当初 Davidson に雇われたクラークであった)

1880年まで英領マラヤの政府の行政官で、30歳で官庁を退役後は、タミル系インド人の事業化として大成功し、指導的な立場であった。

最後まで参照いただき、ありがとうございます。

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