【馬国】マレーの真実(5)

馬国

フランク・スウェッテンナムの著作『THE REAL MALAY, PEN PICTURES』(1899年)は、19世紀末の英国の影響下にあったマレー半島の社会や人々の暮らしを描いた随筆・人物描写集であり、歴史資料としても非常に興味深い作品である。

今回紹介する短編のタイトルは「LOCAL COLOUR(ローカル・カラー)」である。

Local colour とは文学用語で、その土地特有の風俗、生活習慣、人物、雰囲気などを描写することを意味する。「地方色」「土地柄」と訳すこともできるが、今回は「土地の風情」という邦題を採用した。

もっとも、この作品で描かれるのは、美しい自然や穏やかな村落生活ばかりではない。前半では、かつてのマレー社会における専制的な支配構造や庶民の苦難、そして英国の介入によって社会がどのように変化したかが語られる。その意味では「マレー社会の実相」という題名もふさわしいかもしれない。

ただし、当時の人口減少、疫病、奴隷制度、略奪などについての記述は、必ずしも客観的な歴史的事実として受け入れられるものではない。とりわけ、マレー人が消滅しかねないほど人口が減少していたという主張には、具体的な人口統計が示されておらず、著者自身の強い評価が含まれている。他の史料との照合が必要であろう。

さて、この作品は後半に読み進むにつれて、スウェッテンナムの文章表現の巧みさが際立ってくる。

前半は、英国の植民地政策によってマレー社会が救われたとする、いささか「自画自賛」的な論調であり、正直なところ少々興ざめする。しかし後半になると、文章の趣は一変する。マレーの川辺に広がる美しい自然、人々の暮らし、そしてマレー人特有の遠回しで機知に富んだ会話の習慣が、生き生きと描き出されるのである。

特に印象深いのは、最後に登場する男女の短いやり取りである。穏やかな午後の風景のなかで、男が何気なく口にした一言が、若い娘の表情を一変させる。わずかな言葉と視線の描写だけで、人間の内面に潜む激しい感情を読者に伝えるその筆力には、思わず引き込まれる。

本書の副題である PEN PICTURES は、いわば「文章によって描かれた絵画」を意味する。読み終えてみると、スウェッテンナムがこの言葉を選んだ理由がよく分かる。

英国の植民地行政官としての彼の歴史認識には、批判的に検討すべき点が少なくない。しかし、そのことと、マレーの自然や人々の暮らしを見つめる観察眼、そしてそれを文章によって鮮やかに再現する文学的才能とは、分けて評価すべきであろう。

「土地の風情」LOCAL COLOUR

私がこれまで、マレー人の気質の暗い一面をいくつか描いてきたからといって、マレー人がいつも、あるいは日常的に、人を殺したり、殺そうとしたりしているのだと読者が想像するならば、それは彼らに対して公正な見方ではない。そのような誤解をする読者がいないことを願っている。

それほど遠くない昔、マレー半島が白人にとって、まったく未知の世界であった時代があった。当時、マレー半島全体は八つないし十ほどの国に分かれており、それぞれの国は、スルタン、ラジャ、あるいは首長といった称号を持つ一人の人物によって、専制的に統治されていた。

こうした世襲の統治者の下には、常に多かれ少なかれ権力を持つ多数の首長たちがいた。名目上、彼らは国の最高統治者からその地位を与えられていた。しかし実際には、統治者への忠誠を表明し、統治者本人やその親族の権益を侵さず、マレー人の庶民(raiyats)や中国人の鉱夫・商人たちから搾り取った税の一部を統治者に差し出してさえいれば、それぞれがほとんど好き勝手に振る舞うことができたのである。

このような状態が生じたのには、さまざまな理由があった。その主なものとして挙げられるのは、道路が存在せず、地域間の連絡がきわめて困難であったこと、最高権力の座を狙う者たちの間に嫉妬や対抗意識が渦巻いていたこと、そして、その結果として、誰一人として国全体に自らの権威を認めさせることができなかったことである。

さらに、資金の不足、統治者たちに根深く染みついた決断や行動の遅さと弱さ、そして何世紀にもわたって続いてきた悪政の伝統も、その原因となっている。

庶民は、何人もの支配者から重い負担を課されながら、正義を求めることのできる最高の権威もなく、不当な扱いを訴える手段も持たなかった。そのため、貧しい庶民の生活は耐え難いものとなり、多くの地域ではマレー人の人口が減少し続け、このままでは遠からず民族そのものが消滅しかねないほどの勢いであった。このような状況の下では、国の資源が放置されていたことも、外部から来た人々が、これほど信用のおけない受け入れ側に自らの生命や財産を委ねることを拒んだことも、さほど驚くには当たらない。

また、農奴的な隷属状態や奴隷制度の下から上がる、悲痛きわまりない叫びが誰の耳にも届かず、無視され続けたことも同様である。そして、力こそが正義であるという社会にあっては、誰もが自分自身の欲望だけに従って行動し、目的さえ達成できれば、そのためにどのような手段を用いるかなど、ほとんど気にかけなかったのである。

その結果、ほとんど絶え間なく争いが続く状態が生まれた。もっとも、そうした争いが大規模なものに発展することはなく、いずれも取るに足らない程度のものであった。しかし、それでもなお、繰り返し襲ってくる疫病、耕作されないまま放置された田畑がもたらす食糧不足、貨幣の欠乏、そして賃金を支払われる労働の機会がまったく存在しないことなどと相まって、人口を激減させるには十分であった。

そして、生き残ったわずかな貧しい人々は、最も近くにいる首長の配下に身を寄せ、その命令に従い、あるいはその庇護の下で、略奪や殺人に手を染めるようになったのである。これこそが、個々の人間による専制支配であった。

しかも、それは国の最高統治者による専制というよりも、むしろ各地方の小首長や、それぞれの村の長による専制支配だったのである。

一方、財力に比べて野心ばかりが大きい貴族の若者たちや、勇敢な心と優れた武器を持ち、多少の無謀な冒険心を備えた一匹狼の荒くれ者たちは、冒険を求めて国中をさまよい歩いた。そして、自分たちの気晴らしや楽しみのために、最も抵抗する力のない人々に、その代償を支払わせていたのである。

大英帝国の功績

次の段落は英国の介入によるマレー社会の変貌を述べた部分。前段で描かれた専制的な支配と貧困に対し、英国統治がもたらした変化を極めて肯定的に描いている。ただし、英国の介入後、すべての耕作者が無条件で土地の完全な所有権を得た、と史実として断定するのは避けるべきであろう。土地の権利は、州ごとの土地法、登記制度、土地保有の形態などによって異なる。ここでは、スウェッテンナムが英国統治による土地制度の改革をどのように評価していたかを示す記述として受け止めるべきである。

スウェッテンナムは英国の介入によって、マレー社会がほとんど生まれ変わったと評価しています。ただし、これは英国植民地行政の当事者による評価であり、奴隷制度や強制労働の廃止、感染症対策、教育制度の普及などが、実際にどの程度、どの時期に実現したかについては、他の史料による確認を要する。

さて、英国の介入が始まり、まったく新しい秩序がもたらされた。それまで単なる観念にすぎなかった「統治」が、現実のものとなった。

奴隷制度、債務による隷属、そして強制労働は廃止された。中央の統治権力はただ一つだけとされ、それ以外の権威は認められなくなった。人の生死を左右する権限や、あらゆる形態の刑罰を科す権限は、統治者と、その名において行動する者たちだけに留保された。そして、(統治者は)あらゆる訴えに耳を傾けるようになった。

国中に司法のための裁判所(Courts of Justice)が設けられた。それが必ずしも厳密な意味での法に基づく裁判所(Courts of Law)であったとは限らないにせよ、その門戸は、富める者にも貧しい者にも、庶民(rakyat)にもラジャにも、身分による差別なく開かれたのである。

道路、鉄道、電信線があらゆる方向に建設された。

そして、何よりも大きな革新は、土地が、それを耕作する者の完全な所有物とされたことであった。

仕事はいくらでもあり、賃金は高く、それに対して労働者の数は少なかった。

こうして、あらゆる階層の人々が豊かになっていった。中国人をはじめとする移民たちが、今や続々とマレー諸州へ流入し、国内の資源を開発していったからである。

病院が建設され、病人には治療が施され、衛生管理の徹底が求められるようになった。そして、それまでこの国にとって災厄であり恐怖の的でもあったコレラや天然痘の流行は、まるで魔法にかけられたかのように姿を消したのである。

長い間放置されていた田畑は再び耕作され、豊かな収穫が勤労階級の暮らしをより快適で豊かなものにした。彼らはまた、自分たちの子供が政府の学校で教育を受ける姿を見るようになった。そこでは、マレー語によって読み書きと初歩的な算術が教えられ、さらにコーランの学習も加えられていた。

かつては腰帯に三本の短剣を差し、左手に二本の槍を持ち、右脇に刀を抱え、肩には銃を担いで歩き回っていた男が、今では一本の山刀を持つだけで森へ入っていく。そして、まだ幼い少年も、かつて身に着けていた小さな武器の数々を捨て、代わりに石板と一束の教科書を手にするようになったのである。

「古き秩序は移り変わる(The old order changeth)」。

マレー人の場合、その変化は、ほとんど再生(regeneration)と呼んでもよいほどのものであった。

しかし、これまでに成し遂げられた奇跡ともいうべき変化は、すべて目や耳で確かめることのできるものである。

暮らしが快適になったこと、より良い家屋、より良い衣服、耕作された田畑、手入れの行き届いた果樹園。これらは自由と繁栄と安全のしるしである。だが、それらは行政の進歩がもたらした成果の反映といえよう。すなわち、道路、鉄道、運河、水道施設、堅固で、ときには見事な外観を備えた公共建築物、人々でにぎわう秩序正しい町々、そして美しい公園や庭園など、行政の発展によって生み出されたものの反映なのである。国土の姿が変わり、今なお変わり続けているのと同じように、人々の暮らしの外面的な様相も変わった。

しかし、その心の奥底においては、マレー人の男も女も、昔とほとんど変わっていない。

時代の変化は、悪事を働く者には監獄と刑罰を用意する一方、圧倒的多数の人々には、平和、安全、自由、そして教養を身につけ、自らの可能性を広げる機会をもたらした。

そうした大多数の人々は、愛郷心と自尊心を持ち、勇敢で、寛大で、家庭的であり、思いやりに富む気質を備えている。もっとも、西洋の道徳的基準に照らすならば、彼らを高潔であるとか、信仰心が深いとか、厳格なまでに正直であるとか、あるいは普通以上に道徳的であるとまで呼ぶことは、公正とはいえないかもしれない。それでも、彼らにはそうした好ましい資質が備わっているのである。

人間の暮らしのなかで、完全な平和、牧歌的な素朴さ、温もりと色彩、そして限りなく豊かな自然がもたらす恵みを、マレーの川沿いの小さな集落が見事に体現している。これほど見事な再生の象徴が、ほかにあるだろうか。観察する者が、その光景の細部に目を向けるだけの時間と気持ちの余裕を持っているならば、これほど理想的な人間の生活を想像することは難しい。

そこには、自然そのものによって描かれた、一幅の絵画がある。それは現実の姿に忠実で、完全な均衡を保ち、豊かな情趣に満ちている。光と影が織りなす変化、鮮やかに目に映る現実の姿、そして見る者の心に静かに語りかけてくる微妙な暗示が、そこにはある。そしてその光景は、東洋の風景のさまざまな場面に特有と思われる、ある独特の方法で、見る者の芸術的感性を満足させるのである。

絵筆と文章

非常に美しい光景を目にすると、人はほとんど瞬間的に、自分の胸に湧き上がった喜びを、愛する人々と分かち合いたいという願いを抱くものである。自分と同じように、その光景に心を動かされるであろう人々にも、この喜びを味わってもらいたいと思うのである。

もしその人が多少なりとも絵筆を扱うことができるなら、あるいは拙いながらも言葉によって情景を描き出すことができるなら、自分の心をこれほどまでに揺さぶった美しさを、何とかキャンバスや紙の上に再現しようと試みることであろう。しかし、いずれの場合にも、その結果は、自分が目にしたものの戯画、すなわち不完全で歪められた模写以上のものにはなり得ない。

もし、目の前にあった光景を完全に再現することなどできないと知って、それを理由に試みることをやめてしまうならば、あらゆる努力はそこで終わってしまう。

なぜなら、いかなる絵筆も、いかなる文章も、自然そのものを完全に再現することはできないからである。

それでも、絵筆であれ文章であれ、たとえそれを扱う者の技量が平凡であったとしても、現実の姿のかすかな面影を捉えることはできる。そして、ときには人々に喜びを与え、ときにはわずかながらも何かを教えることができるのである。

写真というものは、比較的正確に対象を写し取るにもかかわらず、さほど巧みなわけではない。一枚のスケッチ画が、その風景の印象を写真よりも豊かに伝えることがしばしばある。この事実は、正確さと真実を愛する観察者に勇気を与え、また、ある程度の正当性を与えるものである。たとえ成功の見込みがどれほど乏しくとも、自分が経験した喜びを、自分の目で見たものを生涯見る機会がないかもしれない人々と、誠実に分かち合おうとする者にとっては、なおさらである。

人物と風景

私は、実在する人物の性格を正確に描き出すことが、風景を描写すること以上に容易だとは思わない。

それにもかかわらず、私たちは風景の描写なら一ページも読めば飽きてしまうのに、人物についての記述なら、たとえその人物がどれほど不自然で、現実にはあり得ないような存在であっても、何巻にもわたって読み進めることができる。その理由は、人間という存在に対する私たちの関心が、風景に対する関心よりも、比較にならないほど大きいからである。

しかし、考えてみれば、これは少し奇妙なことである。なぜなら、私たちが自分自身の楽しみを求めるとき、その目的は、興味深い個性を持った人物に出会うことを期待したり、ましてやそのような出会いを望んだりすることよりも、未知の土地を訪れ、壮大な建築物を眺め、驚くべき芸術作品を鑑賞することである場合の方が、はるかに多いからである。

私たちは、巧みに描かれ、興味をかき立てられるような人物について読むことを好む。しかし、現実の生活のなかでそのような人物を探し求めるとなると、一人の興味深い人物に出会うまでに、相当な苦労を重ねなければならない。

しかも、自ら求めた出会いが期待外れに終わり、時間も気力も無駄にしていると気づいたとしても、退屈な経験そのものを、読みかけの本のように部屋の向こうへ放り投げてしまうわけにはいかないのである。

しかしながら、人間の性格には、目に見える自然や芸術の美しさと比べて、一つの大きな魅力がある。それは、人間の性格が、外からは見えないところに隠されているということである。

さらに、その性格が複雑であればあるほど、その働きのすべてを見極めることは難しくなり、研究の対象としてますます人を夢中にさせる。不確かなものは、常に人の興味を引く。そして、経験を積んだ知性ある人間なら、他人の性格について確信を得ることが、いかに難しいかを知っている。

その一方で、ほかの多くの人々には隠されている性格の一面が、自分にだけ明かされたと感じること――それが自分の洞察力によるものであれ、相手が自分に愛情を抱いているためであれ――は、私たちの自尊心を大いに満足させるのである。

東洋人と西洋人

この辺りから、徐々に日本の読者が親近感を感じる部分となる。

ヨーロッパ人には東洋人の性格を理解することはできず、その頭の中で繰り広げられる奇妙な思考の働きを追うこともできない、とよく言われる。しかし私は、東洋人が西洋人よりも理解しにくい存在であるとは思わない。

もちろん、それは、ほかの未知の分野について学ぼうとするときと同じように、まずその基礎から学ぶ努力を惜しまず、相手を十分に研究した場合のことである。西洋文明とキリスト教の教えのなかで育まれた人間が、イスラム教徒やヒンドゥー教徒の祖先を幾世代にもわたって持つ東洋人の、独特な性格を、何の準備もなしに理解できると期待するのは無理なことであろう。

しかし、もしあなたが東洋に何年も暮らし、その土地の人々の言語、文学、習慣、偏見、迷信について完全に通じるようになったならば、事情は変わってくる。

もし、彼らと同じ床に寝そべり、同じ皿から食事を取り、彼らと肩を並べて戦い、ときには彼らを相手に戦い、彼らの悲しみと喜びを共にし、そして最後には彼らの信頼と敬愛を勝ち得ることができたならば――そのとき、彼らの性格を読み解くことは、もはや不可能な仕事ではなくなるのである。

そしてあなたは、東洋人同士の間には、たとえ同じ国籍の者同士であっても西洋人の間に見られる違いより、はるかに大きな共通性があることに気づくであろう。もちろん、東洋人にも善人と悪人がおり、勤勉な者もいれば怠惰な者もいる。しかし、西洋文明が生み出した、あの複雑な人間たちに出会うことは、東洋ではほとんどない。

西洋には、自らの性格が精神状態に左右され、その精神状態が季節、周囲の環境、その時々の政治情勢、金融市場、その他数え切れないほど多くの事柄に左右されるような人々がいる。それらは、東洋人にとっては、幸いにもまったく意識することのない事柄なのである。

東洋人の心は、一つの方向に沿って働く。それは、東洋の風景が一つの型に従っているのと同じである。その風景は、私たち西洋人にとって美しく、奇妙で、目新しいものであるが、広大な地域の全体にわたって、同じような景観が繰り返し現れる。そして、その土地の景観の特徴が変わるところでは、おそらく、そこに住む人々の容貌、言語、風俗、宗教、さらには肌の色までもが、同じくらい大きく変化するのである。

東洋的な言葉づかい

ここから先のスウェッテンナムの語学的な解説は、我々日本人の文化との親和性のある内容となる。彼の写実的な情景描写がはっきり感じられる秀逸な文章と言える。

私がここで取り上げているのは、地球の一つの半球の、そのまたごく小さな、遠く離れた片隅にすぎない。しかし、私の言わんとすることを示すために、私が実際に目にしたとおりの、ほんのわずかな土地の風情を、絵の具で色を塗り重ねるように描いてみようと思う。

マレー人は、可能であれば、必ず船の行き来できる川の岸辺に住まいを構えようとする。そして、家の周囲には、日陰をつくり、食物を与え、さらには収入をもたらしてくれるヤシや果樹を植える。川は、彼らが舟を操って行き来する道路であり、同時に、飲み水を得る場所でもあり、水浴びをする場所でもある。また、楽しみを与えてくれる場所であり、漁の腕前に応じて魚という恵みをもたらしてくれる場所でもある。

マレー人の生活において、女性の存在が欠かされることはないと言ってよい。そして、マレー人同士の会話における、おそらく最も際立った特徴は、寓話や遠回しなほのめかし、二重の意味を持つ言葉、さらには一見すると意味不明な暗示などを用いて話す習慣である。そうした言葉は、それを向けられた相手には、われわれ西洋人が用いる、より平明で直接的な言い回しと同じくらい、よく理解されるのである。

このような話し方は、会話に独特の面白みと味わいを与える。それは、ある種の遊戯にも似ている。そこには、多少の危険を伴うことの心地よい緊張感があり、機知や知性、素早い理解力、そして的を射た返答を求められることによって生まれる、刺激的な楽しさがあるのだ。

さて、これから述べるのは、私がマレーの大河の岸辺にあるココヤシの林の中に立っていたとき、実際に目にし、耳にしたことである。

時刻は午後も遅いころであった。太陽は、ヤシの木々の間から、熱を帯びた幾筋もの光を差し込んでいた。その光は、シダに覆われた地面を横切り、川岸でゆるやかに揺れる竹の、羽毛のように繊細な葉の間を通り抜け、川面で踊るさざ波の上へと伸びていた。

木々の下には、男女の小さな一団が集まっていた。彼らは、この土地に生まれ育った、オリーブ色を帯びた褐色の肌を持つ人々で、落ち着いた色合いの絹の衣服をまとっていた。

女性たちは、腰布と上着のほかに、金糸の刺繍を散りばめ、縁にも金の刺繍を施した、蜘蛛の糸のように薄く軽やかなヴェールを身に着けていた。

しかし、それは顔を隠すためのヴェールではなかった。むしろ、女性の顔を優美に、しかも巧みに縁取るためのものであった。その装いによって、黒く長いまつ毛に縁取られた、潤いを帯びた瞳は、見る者の血をいっそう騒がせるのである。

裸の子供たちが何人か、川の浅瀬で笑いながら遊んでいた。川は、まるで子守歌でも口ずさむように、穏やかな水音を立てていた。

子供たちは浅瀬でふざけ合い、取っ組み合いをし、やがて足を滑らせて、深い淵の静かな水の中へと転がり込んだ。その淵は、太陽の光を遮る木の枝々によって、深い影に包まれていた。その光景は私の目を捉え、夢見心地の喜びの中に、いつまでも私を引き留めた。

そのとき、一人の声が聞こえた。その声は、次のように語った。いや、正確にはこの言葉ではない。東洋の言葉で、こう語ったのである。

「不思議なものだ。あの椰子の実は、あんなにも美しく、良いものがぎっしり詰まっているように見える。それなのに、リスが殻に穴を開け、中身をすっかり食い尽くして、空っぽにしてしまったとは!」

私は振り返った。そこには、一人の男がいた。男は頭を後ろに反らし、高い木の梢になっている椰子の実の房を見上げていた。少なくとも、そう見えた。

しかし私は気づいた。男の顔は確かに上を向いていたが、その目が見つめているのは、外の景色ではなく、自分の心の内側であった。

そして、その唇には、ほとんど見分けがつかないほどかすかな冷笑が浮かんでいた。それは、彼の心の内に見えているものが、外に落とした影であった。

その男の顔の向こうに、私はもう一つの顔を見た。若く、美しい娘の顔であった。そして、その顔には、死が刻み込まれていた。突然に、そして確実に、相手に与えられるべき死が。

その一瞬、娘の目は、まっすぐに言葉を発した男の顔を射抜いていた。

そのとき、私はすべてを理解した。

文章を読んだChat GPTによる挿絵

男の暗示的な発言の原文は次のとおり。

Strange that the nut should seem so fair, so full of all that’s good, and yet the squirrel’s gnawed a hole right through the shell and left it empty!

マレー語の原文は紹介されていない。文字どおりには、「見た目は美しく、中身も充実しているように見える椰子の実が、リスに食い荒らされて空になっている」という意味。

しかし、これが単なる椰子の実の話ではないことは、その直後の男の冷笑と娘の反応から明らかである。おそらく男は、その場にいる若い女性の貞操や過去の男女関係を、椰子の実になぞらえて暗に中傷している。

  • 美しく見える椰子の実:若い女性
  • 殻に穴を開けたリス:その女性に関係した男性
  • 中身が空になった実:女性がすでに純潔を失っている、という侮辱的な暗示

「そして、その顔には、死が刻み込まれていた。」とは何を意味しているのか?ここでの死は、娘自身の死というよりも、娘が相手に向けて抱いた殺意を表していると読むのが自然である。男が放った暗示的な侮辱を、娘は瞬時に理解した。そして、その目には相手を殺しかねないほどの怒りが現れた、という場面である。これは日本の社会でも十分ありうる展開ではないだろうか。

もちろん、実際に娘が殺人を決意したとまでは断定できない。スウェッテンナムが、その表情から読み取った激しい感情を文学的に描写したものだ。

スウェッテンナムは、これまでの文章で、マレー人の心を理解するには、言語や習慣を学び、長年にわたって生活を共にする必要があると主張してきた。そして最後に、ほかの外国人には単なる椰子の実についての言葉としか聞こえないかもしれない会話の裏に、激しい感情と人間関係が隠されていることを、自分は理解できたという場面を示している。

マレー人の生活の美しさと、その内側にある複雑な人間性を、ともに描き出す。 それが、この「LOCAL COLOUR」という小品の結末に込められた文学的な意図のようだ。

最後までご覧いただき、ありがとうございます。

次回をお楽しみに!

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