この投稿は本編の「修行体験」の一部の詳細記事(体験記事)です。
ビンセント社長のビジネスは日本企業との「億単位」の取引で成り立っていました。
日系顧客との意思疎通には、ことのほか力が入ります。
売り込みだけではなく、不具合の補償などのアフター・サービスも徹底していました。
部下を引き連れて頻繁に日本に出かけます。
筆者も頻繁に同行したのですが・・・
ここで紹介する華人商人の日本への出張スケジュールは常人を超える営業努力を象徴するものです。
午前2社、午後2社、昼食も夕食も顧客と一緒
ビンセントの事業の専門分野は、日系企業が取り組む(大掛かりな)産業設備、発電所、製油所などに必要な「産業用」電子機材、いわゆる「電材」と呼ばれる一群の資材です。
産業機械を繋ぐ電源ケーブルや、機械を操作するためのケーブル、ケーブルのネットワークを繋げるための端子箱(ジャンクション・ボックス)、防爆仕様の業務用スイッチ、それから照明器具や配電盤など産業施設やプラント設備の建設に必ず組み込まれる部品や資材です。
※防爆仕様とは、電気機器に有り勝ちな「火花」が飛ばない特殊構造になっている機器の国際規格。火災や爆発を嫌う施設では必ず必要になるスペックです。
そして、ビンセントの営業理念は、
潜在顧客である日本の有力企業の「全て」と取引する
というものでした。
筆者が陥ったような1社だけに傾倒する営業とは真逆の方針です。
しかし、そんなことが本当に可能なのか・・・?
それを可能にする天才商人の努力は、数ヶ月ごとに繰り返される日本への出張と、その過密スケジュールでした。
ビンセントは毎回の出張で「1日あたり4社」のアポイントを取りにいきました。
午前2社、午後2社。
面談のアポイントがとれなければ、客先に頼み込んで昼食や夕食をご一緒することで「4社ルール」をノルマにするのです。
食事の誘い方にも妙案があって、彼はよく「どこで食べればいいの迷っているので、教えてくれ」と客先に助けを求めるのです。
うまく4社と面談できた日の夕食は別の会社と約束して、「合計5社と会う」場合もありました。
ビンセントはこれを3日間連続して実行するのです。(合計12社)
動向するメンバーよってはビンセントのスケジュールには付いてけません。
筆者も、他の社員も、ハードスケジュールに耐えられず、体調を崩したり、ギブアップして1日休んだりしていたものです。
ところが社長だけは、一度たりとも休まず、体調も崩さず、淡々とスケジュールを消化するのです。
このあたりが天才商人の常人を超える技量なのです。
売り込み努力だけでなく情報サービスも欠かさない
電材を売る会社が日本の企業にアポイントを申し入れる場合、与えられる時間は最大でも1時間半です。
商品だけの打ち合わせなら15分から20分で終わりと言う場合が多い。
面談時間を埋めるためには、話す内容にバリエーションを持たせる必要がありました。
(商品の売り込みだけに時間をかけることはしません。商品取引については必要以上の情報を出すことはぜずに、あえて質問が出るぐらいの情報量に止めます。)
純粋な営業の話とは別に、馬国観光の話、食事の話、エンタメの話など、話題は尽きません。
つまらない話でも客先にとっては息抜きになるのです。
馬国に事務所を設置したり、新たにプロジェクトを受注して馬国に乗りこむ準備をする企業には、就労ビザの話や、馬国内のアシスタントの探し方や、日系レストランの場所など事細かに情報提供します。
もちろん書店にある「旅行ガイド」に載っていない情報ばかりです。
できるだけ多くの客先とできるだけ多くの情報交換をして帰るのが目的でした。
ビンセントの語り口は「ひょうきんで憎めない」タイプのアジア人という感じです。話し方は関心するほど「上手い」人でした。それも商人としてのタレントです。
ですから日本の企業群にはビンセント社長の知り合いが沢山いました。
完璧な等距離営業
当時ビンセントが商流を持っていた日本企業(全て仮名)は
■ 重工業大手:J社、N社(N社は九州と関西に別々の拠点)
■ 大手重電メーカー:U社、I社、
■ エンジニアリング大手:K社、V社、D社
■ 大手ケーブルメーカー:G社
ほぼ7社から8社ですが、全て東証1部上場の大企業です。
(この内1社が筆者が在籍した企業であり、その企業との商流が実現していなかったので筆者を雇ったという経緯があった。)
驚くべきことは、ビンセントはこれら顧客全てを相手に等距離取引をしていて、どの会社にも傾倒ぜず、対応できる仕事は全部引き受けていたことです。
受注した実績も客先に隠さず紹介しますから、重電やプラント業界の評価も定着します。
当然、多くの電材のメーカーがこの会社に注目していました。
営業活動の背後にある強い体制作り
もちろん、問題を起こせば、金銭的損害を負うので、赤字になります。評判を落とせばあっというまに仕事が減ります。
問題が起きないための組織機能は欠かせません。
ビンセントの会社はメーカーとの仲介だけで手数料だけを取るような「エージェント業」とは全く違います。
彼の部下はそれぞれ個別の客にひとりづつ配置されていて、客先に提出する細かな書類、図面、検査証など、客先の提出要領に全て完全に準拠していました。
技術的なトラブル解決も含めて、客先への全ての窓口を引き受けていたのです。
もちろん、約束の期日は守るし、日本の商習慣にもきちんと追随していました。
日系大手の顧客はすべて個別の契約条件、手順書などが有って、「取引上のルール」がそれぞれ異なります。
支払い条件、納入条件、商品のマーキング、品質書類、進捗の報告の書式、全て個別です。
ひとりの中小事業の社長がこれら日本企業の全てに対応していたのです。
こういった体制を整えるまで、いったいどんな艱難辛苦があったのだろうか?
これほどの細かな営業体制を積み上げたビンセントの統率力には脱帽でした。
この組織体制があってはじめて毎日4社に会って話を聞いてもらえたのです。