【MM2H体験】おすすめ情報(11) ナシ・アヤム歴 (1)

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この記事は、本編【MM2H体験】の詳細記事です。「おすすめ」のまとめ記事はこちらです。

マレーシアのチキンライスである Nasi Ayam の来歴をしらべると、この食事の伝来や来歴について隣国のシンガポール(星港)との「老舗論争」に行きつきます。

そこで、英語圏、中国語圏、マレー語圏それぞれの資料を読んでみたところ、微妙に異なる歴史観があり、「おすすめ」情報として紹介する意味がありそうです。

今回は、英語圏での歴史観と解釈をまとめてみます。次回は中国語圏の歴史観です。興味深いことに、英語圏と中国語圏では来歴が違うのです。

今回のEye Catch Imageは、内容を反映して、シンガポールのチキンライスを採用させていただきました。出典は Wikipedia “Hainanese Chiken Rice” の英語版です。

中国 海南島からの伝来(文昌鶏飯)

「チキンライス」と「海南チキンライス」は同義語のようです。

もともと中国南部海南省出身の初期の中国人移民によってアレンジされた料理です。中国海南島でも有名な文昌鶏(ぶんちょうじ)をベースにしたもので、秦代から続く海南4大名物の一つです。昔、海南の人は「文昌鶏」という特定の品種を使ってこの料理を作っていました。残った鶏ガラスープで米を炊くと、「文昌鶏飯」という料理ができあがります。このオリジナルの料理は、南洋(現在の東南アジア)に住む海南系華僑によって継承されました。シンガポールでは、1940年代まで「文昌鶏飯」は海南人の家庭で特別な日の料理でした。

写真は wikipedia 「文昌鶏」から転載

中国からの移民の歴史を持つアジアのほとんどすべての国には、「文昌鶏飯」のバリエーションがあります。

「この料理は、中国海南島からの150年にわたる移民の歴史を反映しています…シンガポールとマレーシアでは海南チキンライスと呼ばれ、ベトナムでは「ハイナムチキン」、タイでは「カオマンガイ」(鶏油ご飯)と改名されました。」(サンフランシスコ・クロニクル紙)

筆者は、元祖「海南島」の「文昌鶏飯」の写真を探しました。すると ワダブログさんという方のサイトに、ご本人が海南島に文昌鶏飯を食べに行った記事が見つかりました。残念ながらお写真は著作権の関係で紹介できませんが、このサイトに掲載された文昌鶏飯のライスはどう見ても白飯です。つまり鳥ガラや香辛料は使っていないようです。

そうであれば、ライスを鳥ガラなどで炊いて、香辛料もつかってチキンライスにしたのはシンガポールかマレーシアだということになります。このポイントも非常に重要です。

シンガポール起源説(英語圏及びシンガポールの資料)

逸群海南鳥飯店のチキンライス(グーグルマップへの投稿写真)

星港の国立博物館の情報では、1920年代に Wang Yiyuan(王義元)という人物がバナナの葉に包んだチキンライスを路上で売り歩いたのが、この地域での起源だそうです。路上でなく店舗を構えた例としては1940年代初期の Yet Con(逸群:逸群海南鸡饭店)という店が最初だそうで、この店は今でも星港の25 Purvis Streetにショップがありますが、現在は無期閉店状態で、設備は保持されているが、将来再開するかどうかは未定のようです。

閉店状態だが、店は撤去されていません。写真はまだ営業していたころのものです(グーグルマップへの投稿写真)

本格的にチキンライスが星港で売れたのが1947年から1997年にかけてSwee Kee Chicken Rice Restaurant(瑞記鶏飯:店主はMoh Lee Twee)だということです。

この Moh Lee Tweeという人物もまた竹の筒にチキンライスを詰めて路上売りをしていたそうですから、王義元とどちらが早かったかは微妙です。仮に1947年時点でMoh氏が35歳とすれば同氏が20代で路上売りをしたのが1930年頃なので、やはり王一元氏が先になります。

瑞記鶏飯は1997年に改装目的で閉店していら再開していないようですが、星港には「新瑞記鶏飯」(Sin Swee Kee Chicken Rice)という店舗が2件あります。

老舗に近いチキンライスの店は正瑞記(Zheng Swee Kee)、新瑞記(Sin Swee Kee), 閉店した逸群海南(Yet Con)が評価されていますが、提供方法の王道はOn the Riceといって鳥飯の上に鶏肉を乗せるのが流行のようです。ここが馬国のNasi Ayamと決定的に違います。馬国では鶏肉と鳥飯は、別々に盛り付けてあるのが普通です。勿論、星港でも鳥飯と鶏肉を分けたメニューは有ります。どちらが主流か?という話です。

マレーシアとの老舗論争は笑い話レベル?

1965年にシンガポールが独立後のマレーシアから「追放」された時点から、「海南鶏飯」の起源や老舗の論争が始まっています。(当然ながら、1965年までは「海南鶏飯」はマレーシアで始まったという認識だったわけです)

英語圏の資料では、東南アジアの海南チキンライスという料理は完全にシンガポールから広まったという認識のようです。

最近では2009年に馬国の観光大臣 Ng Yen Yen氏が「海南チキンライスはマレーシアだけの料理」であり「他の国がこれをハイジャックした」と発言しましたが、後に、探求を続けるとして「拙速な発言を訂正する」と謝罪しています。

別途2018年の馬国の財務大臣 Lim Guan Eng氏が冗談まじりに、「チキンライスは(シンガポールに)もっていかれた。警戒しないと次はクイティオが持っていかれる」と発言して注目されました。

英語の資料では、この程度の記事しか見当たらないので、やはり英語圏ではシンガポール説が100%正しいと認識されているようです。

英語圏のWikipediaにおいては馬国のNasi Ayamにも触れていますが、このNasi Ayamはチキンライスのバリエーションとしてソースの種類が違って居たり、ジョホール州のムアール地区ではライスをボールにして提供しているといった、派生形の話題に留まっています。

日本語のWikipedia「海南鶏飯(かいなんけいはん」には、その来歴や歴史の記述は全く有りません。

マレー語の資料から読み取れる事実

マレー語圏のWikipediaを参照すると「海南チキンライスは、中国発祥」という説明があり、マレーシア起源説は全く記載されていません。

「ハイナンチキンライスは、しばしばマレーシアやシンガポールの食べ物と関連付けられる中国料理であり、また、隣接するタイや中国のハイナン地域でも見られます。この料理の名前は、ハイナン料理の起源と、南洋地域に住むハイナン族の人々による実践から来ています。マレーシアやシンガポールで見られるこの料理のバージョンは、ハイナン、韓国、広東の要素に加えて、東南アジアの食文化の味を組み合わせています。ハイナンチキンライスは中国発祥であり、その起源も中国にあります。」

wipipedia “Nasi Ayam Hainan” より抜粋

ここで興味深いのは、マレー語の Wikipedia の索引には、”Nasi Ayam”、つまり “Hainan” を削除した単独ナシ・アヤムは登録されていないことです。

つまり、全てのナシ・アヤムはNasi ayam Hainan( 海南チキンライス = 海南鶏飯 )だということのようです。

出典:Wikipedia : Nasi ayam Hainan

馬国の母国語の wikipedia に強い主張が無いと言うことは、やはり英語圏の情報(チキンライスはシンガポール起源)が正しいということなのでしょうか?

前半のまとめ

英語圏の資料を見る限りNasi Ayamの来歴は「文昌鶏飯」が「海南鶏飯」として当時「南洋」といわれていた東南アジアに徐々に伝来したのですが、店舗が定着したのは1940年前半のシンガポールだったという見方が主流のようです。(源流の海南島の料理は「白飯」のようです)

次回は、中国語圏の資料からこの料理を紐解きますが、どうも中国語圏では異なる歴史観があるようです。そして、ここには驚くべき「大どんでん返し論」があるのです。

そのことは後編でお話しします。

最後までご参照いただき、ありがとうございました。次回にご期待ください。

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