【馬国】マレーの真実(3)

馬国

冒頭の画像はフランク・スウェツテンナムが細かく文章化したマレー人の肖像をAIに描かせたものです。実在した人物と思われますが、その人を正確に描いているかどうか検証はしておりません。

スウェツテンナムの著作、“THE REAL MALAY, PEN PICTURES” (Carcosa, Malay Peninsula, May 1899.) は19世紀末、海峡植民地だったマラヤ半島の社会を描いた随筆や人物描写集であり、歴史資料としてとても興味深いものである。今回の人物描写のタイトルは「シルエット」と言うタイトルの人物描写で、この人物はおそらく実在したはずの名高いマレーの軍人である。

スウェツテンナムは語学に堪能な政治家として活躍した人物だが、著作家としても、自分の体験談を味わいのある文学作品として残すことに注力していた。このエッセイも、主題であるマレー人の本質を捉えようとする一方で、少しくどいほどの人物描写や情景描写に取り組んでいる。前半の人物・情景の部分は読み飛ばしても、後半の内容から当時のマレー軍人の内面を窺い知ることができる。

高名なサイイド

マレー半島のマレー人の中でも、ひときわ絵になる人物といえば、かの「高名なサイイド(Famous Seyyid)」である。

彼が私を訪ねてきた時のこと。

天井の高いこの部屋の薄暗がりの中、白一色の壁を背にして立つ彼の姿を、覆いのかかったランプの柔らかな光が中央から照らし出している。その姿を見ていると、私は彼が本当に実在する人物なのかと、思わず疑いたくなるほどだ。

静寂はあまりにも完全で、影は深く、それでいて朧(おぼろ)げである。その一方で、顔や身体の輪郭はくっきりと浮かび上がり、色彩は濃く、しかも見事に調和している。

まるで想像そのものが実体となって現れたかのような男。「東洋の夢が人の姿をとったもの」とでも言おうか。

「東洋」。

その一語こそ、この非現実的にさえ見える光景を説明している。人物も、その周囲の情景も、すべてが東洋のものなのである。

生粋の東洋人である「高名なサイイド」は、この異質な人々をまさに象徴するような人物であり、その姿は、それを取り囲む額縁と寸分違わず調和した一枚の絵なのである。

外では、ほとんど満月に近い月が、雲の薄くかかった空の高みに浮かんでいる。本来なら白く見えるはずの雲も、あたりを覆う霞のために、すべての光が青みを帯びて見える。

周囲の地形は変化に富んでいる。丘と谷、ところどころに広がる密林、緩やかに起伏する草地の斜面。その間には木立があり、さらに森から抜きん出た巨大な木々が、まばらに点在している。長く延びた谷には、光を反射する湖がある。

しかし、すべてが朧(おぼろ)げで、柔らかく、そして神秘的である。

森も草地も、その奥に緑を秘めながら灰色に見える。大気もまた、青みを帯びながら灰色である。湖面は、暗いガラスのように静かで平らに横たわっている。

大きく開け放たれた戸口の向こうには、月光に照らされた風景が見える。

白い枠で縁取られた絵画のようなそれらの眺めは、室内の暖かな光、そして「高名なサイイド」の人を惹きつけてやまない姿と、不思議なほど鮮やかな対照をなしている。

サイイドの肖像

彼は62歳である。

背が高く、姿勢はまっすぐで、どこにいても人目を引かずにはおかない、実に印象的な顔をしている。額は広く高い。黒い両眼はやや離れており、まぶたは垂れ気味で、それを持ち上げて目を開けることさえ、いささか億劫であるかのように見える。

鼻は鷲鼻で、やや長い。口元は、長く豊かな灰色の口髭に隠されている。顎の骨格はがっしりとしており、顎先は四角い。

眉は黒く、弧を描き、くっきりとしている。一方、髪は短く、灰色である。肌は澄んだ黄褐色で、62歳という年齢にもかかわらず、その顔にはほとんど皺がない。垂れ気味のまぶた、鉤のように曲がった鼻、黒い眉、灰色(ほとんど白と言ってよい)の口髭。その髭の両端は上向きに反り、さらに頑丈な顎の骨格と四角い顎先。

これらすべてが、ひときわ強烈な印象を与える。

男の物腰は、意識して作り上げたかのような静けさを帯びている。普段の動作も、ことさらにゆっくりとしている。そして声。それはあまりにも柔らかく低いため、彼の言葉を聞き取るにはこちらが耳を澄まさなければならないほどである。

そうした物腰や声が、彼の顔の力強い特徴をいっそう際立たせ、見る者を魅了する。それは、ある種の蛇が獲物を魅了すると言われるのにも似ている。

ただし「高名なサイイド」の場合、目が人の注意を引くのは、むしろ「その目がほとんど見えていないから」である。

彼の衣装もまた、その容貌に劣らず目を引く。

薄い黒色の布でできた一枚の布を頭に巻いている。その布には密林で採れる樹脂性の塗料が施され、外側には艶やかな光沢が与えられている。それを奇抜でありながら実によく似合う頭飾りに結い上げている。

布は額の周囲から頭頂部にかけてぴったりと巻かれている。しかし、重ね合わせた二つの角が頭の左側で、およそ10インチ(約25センチ)の高さに尖って立ち上がっている。その一方で、右耳の上には布の厚い折り返しが載り、左右の均衡を取っている。

布の縁には一周すべてに白糸の鎖縫いが施されており、その縁取りがことさら目立つよう工夫されている。とりわけ、上へ突き出した二つの角の部分では、それが非常に効果的である。

漆黒の頭飾りの艶やかな表面には、金箔で唐草模様の太い縁飾りが描かれている。その内側には、様式化された花模様が、やはり金で点々と配されている。

その効果は斬新で、よく似合い、しかも並外れて印象的である。

柔らかく上質な黄色いサテンのシャツの上に、サイイドはマレー・レッド(Malay-red)の絹の上着を着ている。

表面には光沢がないが、何ともいえない深みのある色である。その生地には、金糸で小さな戦車の車輪を思わせる模様が織り込まれている。

上着には同じ生地で作られた立ち襟があり、喉元を一つの金ボタンで留めている。その隙間から、下に着たサテンのシャツが細く光って見える。

袖は手首のところで細く絞られ、切れ込みが入り、そこには金のボタンが長く一列に並んでいる。

さらに、艶のない漆黒の絹のズボンを穿いている。その裾から約18インチ(約46センチ)の部分には、銀糸で風変わりな模様が織り込まれている。ズボンは足首の周囲でほとんどぴったりと締まるように仕立てられている。

そして腰から膝まで、豪華な絹のサロン(sarong)が優雅な襞(ひだ)を作って垂れている。このサロンそのものが、一つの美術品である。名高いトレンガヌ(Trengganu)の織機から生み出された最高級の織物である。基調となる色は、巧みに溶け合わせた柔らかなヘリオトロープ色(淡い赤紫)と緑。その間を、金糸のかすかな輝きが走っている。

しかし、その暗めの襞(ひだ)を横切って、幅広いマレー・レッドの帯が走っている。

そこには金が燃え立つように輝き、暗い襞(ひだ)の間を、華麗な閃光のように横切っているのである。

戦闘指揮官の称号

サイイドは、戦(いくさ)の男である。

今はもう過ぎ去ってしまった時代、彼はマレー人の戦闘指揮官の中でも、最も名を馳せた者の一人であった。彼の武勇について、策略について、そしてその非道ぶりについては、数多くの話が伝えられている。それらは奇怪で、凄惨(せいさん)なものばかりである。

もっとも、彼には敵も多い。したがって、彼については悪意ある誇張もなされてきたのだろう、と好意的に考えておくべきかもしれない。ここで、そのような話を取り上げる必要はない。

彼はかつて「戦争を渡り歩く傭兵隊長」であった。そして機会さえあれば、今でも再びそうなるだろう。

彼自身、多くの美徳を備えているなどとは言わないし、人を率いる戦闘指揮官という自らの専門以外に、何か特別な教養や才能があるとも主張しない。

私が彼に会うと、私たちは戦いについて話す。もちろん、マラヤでいう「戦い」についてである。その話題ならば、彼は自らの経験に基づいて語ることができる。

今夜も例外ではなく、彼はいくつもの珍しい体験を私に語ってくれた。

やがて彼は言った。

「実に困ったものですよ。マレー人がどんなものか、あなたもご存じでしょう。

私が通りを歩いていると、男たちは互いに肘でつつき合って、『あれが、あの高名なサイイドだ』と言うのです。そして皆、怯えた野良犬のように身を寄せ合う。安全なところへ逃げ込もうと焦るあまり、互いにつまずいて転ぶ犬のようにね。

もちろん、今ではもう何もすることはありません。白人たち、つまり政府の役人たちは、私には愛想よく話しかけてくれます。しかし彼らはいつも、どこか別の国へ行ってはどうか、とそれとなく勧めてくる。私はもう年寄りです。ほかの土地へ行きたいとは思いません。

それに、政府が助けを必要としたときには、私が役に立ったではありませんか。あなたはそれをご存じのはずだ。私たちは昔からの友人だし、一緒に政府の仕事をしたこともあるのだから」

そこで私は彼に、さらに昔のある出来事を思い出させた。

彼自身がかつて私に語ったところによれば、彼はある合図が出るのを待って、大勢のヨーロッパ人の一団を襲撃しようとしていたことがあった。その中でも、おそらく最も死を望まれていたのは、この私(スェッテンナム)だったのではないか、という出来事である。

サイイドは、そんな実りのない話題を論じるつもりはないらしい。私を非難するような目でちらりと見て、そんなことを言わなくてもよいではないかというように、片手をわずかに動かした。

そして一言、

「しかし、その合図は結局出なかったではありませんか!」

と言って、この話を片づけてしまった。

この出来事をわざわざ蒸し返した私は、少々意地が悪かった。おそらく、私にもいささか悪戯心があったのだろう。そこで私は話題を変えて尋ねた。

「何か欲しい称号はありますか?」

「ええ、ありますとも」と彼は答えた。

「しかし、昔、一緒に戦った仲間たちのことを忘れてはいけません。ずっと以前、私とともに戦った者たちです。本来そのうちの誰かが受けるべきものを、私が横取りするようなことはしたくありません」

パイテンの戦利品

最近、サイイドはペラのスルタンとともに断食月を過ごした。

スルタンは私に、「我が兄弟、サイイドは、このごろ大変信心深くなった。一度も礼拝を欠かさない」と、わざわざ教えてくれた。聖なるものや、より善い生き方を求めるようになったことは、まことに喜ばしい兆候である。そして「高名なサイイド」もまた、この世が自分から遠ざかってゆくのを感じたとき、新たな刺激を宗教に求めたのだろう。珍しい話ではない。

少なくともサイイドの場合、昔ながらの本性は、まだほとんど消えてはいない。話がスルタン訪問のことになると、彼はこう言うのだった。

「私はペラのスルタンに尋ねたのです。『あなたはパイテン(Paiten)国の味方なのですか、それとも敵なのですか』と。スルタンは、あそこのラジャをそれほど好いてはいないだろうと思ったものですからね。それで私は、もしお望みなら、私が行ってあの国を奪って差し上げましょう、と申し上げたのです」

「どうやって奪うつもりだったのですか?」私は尋ねた。

彼はこう言った。

「まぁ。まず私が四、五人を連れてそこへ行き、パイテンの連中と友達になるのです。闘鶏をする。賭博をする。連中が好きな遊びなら、何でも一緒にやる。その間に私の手の者が、二人、三人、四人、五人と少しずつ入ってくる。そして徐々にラジャの屋敷へ近づいていく。私はその屋敷にいる。そして、時が来たら――」

その瞬間、彼の垂れ下がっていたまぶたが、ほんのわずか持ち上がった。そして私をちらりと見ると、まぶたは再び下がった。

「急襲?(meng-amok?)」と私は続けた。

彼は答えなかったが、しかし、非常にゆっくりとした微笑が、その口元に浮かんだ。

そして彼の顔が、開け放たれた戸口の向こうに浮かぶ幽玄な夜景の方へ向けられたとき、その表情には、遠いパイテンで繰り広げられる突然の猛烈な夜襲の光景が、ありありと浮かんでいるように見えた。

「それほど難しくはないでしょうね」と私は言った。

「しかしレンガン(Lenggang)なら・・・」私は別の国の名を挙げた。「あちらを手に入れた方が、もっと価値があるでしょう」

「ああ!」とサイイドは答えた。

「それは私には無理です。あそこは人口が非常に多い。しかしパイテンなら、ほんのわずかな人数で奪えます。それに、戦利品もいくらか手に入るでしょう。そのあたりも考えなくてはいけません。私は貧しい男ですからね。戦利品を少し手に入れることができたら、メッカへ行きたいのです」

「戦利品を得たらメッカへ行きたい」という台詞は強烈です。メッカとは「巡礼」を意味します。略奪を企てる昔の戦士と、信仰に向かう老いたイスラム教徒が、本人の中で必ずしも矛盾していない。 スウェッテンナムは複雑なマレー軍人の心境を、会話そのものによって見せています。

白と黒

「私が話している間、あなたはずっと何かを書いていましたね」

とサイイドが言った。

「何を書いていたのか、聞いてもよろしいですか?」

「あなたのシルエットを描こうとしていたのですよ」

と私は答えた。

「シルエットとは何です?」

「大ざっぱに言えば、白い背景の上に黒一色で描いた、横顔の肖像です」

「しかし、それをどこに描いたのです?」

「ここです」私はそう言って、自分が書いていた紙を彼に見せた。

「ほら、私は黒と白しか使っていないでしょう」

「ああ」彼は言った。

「分かりました。つまり、私の中にある黒と白ということですね。あまり黒く描かないでください。シルエットというものは、輪郭だけしか真実を描けないのでしょうから」

「分かりました」と私は答えた。

「では、色を加えることにしましょう。」

サイイドとスウェッテンナムの会話はここまで。この文章もここで唐突に終わっている。 ご存知の通り、英語の black and white には善悪をはっきり分ける響きもある。そこでサイイドが「あまり黒く描かないでくれ」 、「シルエットは輪郭だけしか真実を描けない」と言う。最後にスウェッテンナムルが「では、色を加えることにしましょう」と結んでいる。サイイドを「残虐な戦闘指揮官=黒」「政府に協力した人物=白」と二色だけで判断するのではなく、矛盾を含んだ人物として「色を加えて」描く。それこそが、読者がいま読み終えたこのエッセイそのものなのかもしれない。

最後までご覧いただき、ありがとうございます。

次回も「マレーの真実」からユニークなエッセイを紹介します。

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