【マレーシア社会】変化する高等教育と働く環境

馬国

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この記事は、本編【MM2H体験】と、【子育体験】の関連記事です。

Free Malaysia Today のオンライン報道で度々紹介される、馬国の有識者の評論の紹介(これはニュース解説であったり、論評であったりします)です。

筆者は、個人的には他の新聞の社説よりも、この FMT の有識者の論評に強い興味を持っています。

例えば、New Straits Times の社説の場合、過去に「看護婦が足りない」という医療分野の問題を取り上げていますが、基本は、この国で解決が望まれる「問題提起」が主眼です。

FMT の論評紹介は、「本文は FMT 独自の意見ではない」としながらも、様々な社会問題について解決策の提案を含む内容で、とても鋭く切り込んだ内容をオンライン掲載しています。

今年に入ってKKマートというコンビニチェーンの一部で、白い靴下にイスラムの神の神格を現る「アラー」の文字が印字されていた事件(訴追されたKKマートの責任者への判決は7月の予定)では、日常にありがちな不祥事を利用して「悪ノリ」をする政治指導者がいるという切り口の、極めて微妙かつ、危ない発言も論評としてアップされていました。

この記事の後半:宗教と既得権の「すり替え」を問題視する説を参照下さい

この辺りは、他のどのオンライン記事にも見られない。FMT独自の「自由意見」の象徴と言えます。”Free Malaysia” の真意なのだと思います。

今回も、馬国のSPMというイギリス仕込みも進学試験制度に、鋭く切り込んだ有識者の論評が、今時の就業環境と、大学という育成期間を「忖度なし」で批判しているあたり、圧巻です。

この辺り、日本の競争社会についてもあてはまる、新たな経済社会と大学教育のあり方を考えさせられる一編です。

馬国にSPMは必要なのか?

It’s time to do away with the SPM exam (Dr. Tajuddin Rasdi )

10 Jun 2024, 07:15 AM Free Malaysia Today

18歳の若者が、現代の先進的経済環境でまともな収入を得ることができるならば、なぜフォーム5の後の最初の4~5年の時間を大学に費やす必要があるのでしょうか?

今日の我が国の高等教育に関する限り、私は、SPM(スキル・パフォーマンス・メジャーメント)はもはや適合しない制度だと考えます。かつては重要でした。しかし、今は古臭い伝統を繰り返しているだけです。

SPM制度が適切かどうか判断する上で、いくつか自問自動してみて下さい。

最初の自問自答:「今のあなたを対象に、豊富な求人環境があなたを待っている。なぜ仕事を得る目的で大学に行くのですかか?」

最先端の経済環境において、若者が大学に通うために高額の借金をするのと、直ぐにでもRM50,000〜RM60,000もの収入を受けるのと、どちらが得策でしょうか?

効率的で満足のいくオンラインのショッピングモールがあり、物理的なショッピングモールの商習慣は消え去ろうとしています。配送サービスがピカピカのモールに取って代わり、やがて食料品のハイパーマーケットもオンライン化する日が来るのです。

Grabのドライバーや Foodpanda の配達ライダーが活躍する時代です。人々が送りたいもの・受け取りたいものを運ぶために、数百万ものライダーが走り回っています。

動画サイトでは、違法行為すれすれの娯楽やメイクアップのヒントを紹介するだけで、まだ若いのに途方もない大金を稼いでいるユーチューバーもいます。

自分のペースで学べる社会

第2の自問自答:「大学や専門教育プログラムは、自分のペースで入学することをご存知ですか?」

TVETやマイクロ・クレジットの概念はすでに運用されています。若い大人は、短期コースや証明書コースをいくつか追加することで、学位を取得するコースに追加することもできます。

精神世界の分野のベストセラー作家、エックハルト・トールは、12歳で学校を辞めました。彼は読書が大好きで、たくさんの歴史書を読み、ドイツ語の母国語に加えてスペイン語も独学しました。

彼は幼い頃に英語を教えられ、イギリスでドイツ語とスペイン語の家庭教師としてシンプルな生活をしながら言語スキルを進化させ続けたのです。

哲学を専攻したくなった頃、彼はいくつかの試験で資格を取得し、それでもう哲学界の一部に身をおくようになっています。

原文:When he wanted to take up philosophy as his calling, he took a few exams to qualify, and then he was in the system.

大学入試の個別運用が始まる

アメリカを例に取れば、大学に進むために、標準的なSATテストを受けるのが普通ですが、仮にSATテストを受験していなくても入試テストを受ける方法もあると聞きます。

In the US, as I understand it, you need to take a placement examination if you did not sit for the SAT tests that are standard across that country.

要するに、大学に入る方法は、「全国標準」の試験を受ける方法だけでなく、実はオプションがたくさんあるということです。

私は、高付加価値の大学が独自の入学試験を展開する未来を見据えています。アイビーリーグの大学は、工学や哲学のコース毎に異なる入学試験を設定し始めるでしょう。

その際、試験のシラバス(受験要綱)が公表され、模擬試験の問題も販売されるでしょう。

より一般的なコースを提供する「普通の」大学は、独自の簡易的なシラバスと模擬試験問題を含む入学試験を運用するようになるでしょう。

教育機関の役割を見直す

この国はどうあるべきでしょうか?全ての学生が全ての科目の膨大な情報を頭に詰め込む必要などありません。

学校教育の目的は何でしょうか? 子供達が基本的な読み書きのスキルを取得し、基本的な計算と数学を学び、太陽が神ではないことを知り、他人を尊重する価値を理解し、彼らの部族がどこから来たかを知ることができれば、それで十分でしょう。

周りの世界に様々な人々が存在することを知り、ごく普通の報告書や手紙を書く能力を持ち、他に2つぐらいの言語を簡単に理解する能力。これが教養の基礎です。

13年間の学校教育を経て、基礎を学んだすべての人には、基本的な教養証明を授与すべきです。これに加えて、さらに科学、芸術、その他の分野で知見を深めた人は、それぞれの特定の科目を追求すれば良いでしょう。それが各大学のシラバスに示されていれば良いのです。若い時に必要充分なことだけを学ぶべきであり、それ以上は個人の任意の選択です。

思うに、教育省が、凡ゆる科目の教育委員長を任命する際、その筋の専門家を任命することにこだわるべきではない。もっと広い視野で人を見ることができる人間を任命すべきです。現在の問題は、科学科の長が科学者であり、歴史科の長が歴史の権威でなければならないという考え方です。

それはもう止めましょう。(原文:Tak boleh macam itu lagi )

視野の広い思想家、実践的なプロ、ロマンティストや合理主義者を集めて責任者にすべきなのです。専門家は、指導者ではなく、これら思想家、哲学者、博愛主義者の下で働くようにしてみてはどうかと思うのです。

見当違いの競争試験

現在のSPM試験の目的は何でしょうか? それは、この国の富裕層が子供たちを最高の大学に送り込み、明るい未来を保証するための競争試験です。

親愛なるマレーシア人の皆さん、教育がレースや競争の類(たぐい)であるならば、私たちは大きく見当違いをしています。今日、私たちが直面する人種、宗教、環境、健康、経済、政治のあらゆる問題の元凶は、まさにこの見当違いの競争社会なのです。

原文:If education is a race and a competition, my good Malaysians, we are sorely off the mark. That is why we are where we are in any issue of race, religion, environment, health, economy and politics.

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元凶は、無意味な競争です。競争に勝ったときに何を得るのか本当にわかっていないのです。

私たちは競争にどっぷり浸かりすぎて、何に向かって競争しているのか、最初に何を始めたのかさえ忘れてしまいました。

SPM制度は、引退させる時が来ています。有効な役割を果たしてはきましたが、もう時代遅れなのです。

論評元: Tajuddin Rasdi 博士は馬国の大学に籍を持つ建築学の教授

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SPMを説明する記事

Grabなどの gig work の記事

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この記事は、本編【MM2H体験】と、【子育体験】の関連記事です。

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