8歳の子が馬国で育って医師になるまで

子育て録

この記事は、筆者の家族、「哲男」(仮名)が馬国で育って日本の医師免許を取得する25年の記録。その本編です。

7~8分で読みきれるように凝縮してありますが、

部分的に詳しく参照したい方は、この記事の中に貼ってあるリンクから詳細記事を読んでください。

嘘のない体験情報を記載していますが、関係者のお名前は全て仮名とさせていただいています。

就学履歴

哲男が両親と共に馬国に住み始めたのは8歳の時。

日本の小学校の入学式を終えて1年を経過した時点でした。

その後の哲男の通学履歴は次のとおり

🔳   小学生:アジア系インターナショナルスクール

🔳   中高生:英国系のインターナショナル・スクール

🔳   馬国の医療系プレスクール(入学許可をもらうまで)

🔳   大学:馬国の私立医大(IMU)(学位)

🔳   留学:中国(上海)の医大へ(学位)

🔳   医師免許浪人:日本の国立大学院(修士)

※馬国には日本人学校がありますが、こちらは選択していません。

「いじめ」に会うようなことは一度もありませんでした。写真はイメージです。

日本の中学生にあたる期間、馬国のインターナショナルスクールと日本の公立中学校を、学期の切れめ毎に行き来して日馬両国で就学した経緯があります。

医師になりたいという希望

哲男が医師を志望し始めたのは中学から高校に上がる時期でした。

両親ともに医者の家系ではなく、筆者は脱サラした起業家。妻は専業主婦です。子供がどのように育てば医師になれるのか、そのような知見も知り合いもゼロの状態でスタートしています。

自分の家族が医師になるという目標。

私たち夫婦はこの目標の重さに押しつぶされそうでした。

でも、この目標は私たち家族の目標になったのです。

人生の夢と不安が入り混じった25年でした。

絶望と落胆の日々

哲男が中学高校でトップの成績を収めていたかというと、全くそうではありません。「一般の学生」の学力より少し良いという程度でした。

最初に入学させたアジア系のインターナショナルスクールは、クアラルンプール(KL)で最も学費の安い学校でした。

中高生の時期は、KL郊外の英国系のインターナショナル・スクールでしたが、そこでの成績もトップではありません。

哲男の就学の中の特徴は「勉強を嫌がらない」という点でした。

馬国の公立医大は馬国民が対象であり、中華系やインド系の学生でさえ入学ができないという障壁がありました。

クアラルンプール郊外にある私立の医大に入学することは容易ではありませんでしたし、学費もかかりました。

何とか医大で学位を取得できる段階になると、今度は医大側から「馬国での医師免許の取得は不可能」という宣告を受けました。(外国人の医大生は学位を取れても医師にはなれないという法律)

起死回生は、日本の医師免許の「予備試験」制度でした。

長男が卒業した私大のIMUの学位があれば厚生労働省が毎年1回実施している外国人向けの医師免許の事前審査(予備試験)が受けられるというのです。

しかし、この予備試験に合格することは最も高い障壁でした。

なにしろ、世界中の優秀な学生が合格率10%の予備試験をパスしようと激しく競争している場所だったのです。

実際に予備試験をパスして本番の医師免許試験を受けられるまでに5年という歳月がかかりました。

語学力の助け

哲男が8歳から馬国に在住したことで、最も得をしたことの1つが語学です。その次は健康面、そしてスポーツでした。

現地の学校に通い詰めていましたから、英語での日常会話はもとより、日本で学ぶよりも遥かに早いスピードで英語に慣れ親しんていました。

中学生の時期には英検1級に合格できました。馬国の医大に通う時期にはTOEICのテストで満点を取れるまでに成長していました。

英語以外にも、馬国のマレー語、そしてカントニーズと呼ばれる広東語、上海に留学した時点では北京語を使えるようになっていました。

長男が語学を学ぶ頃、スマホは学生が使う標準ツールになっていました。

これらの語学力を身につけたことは、哲男本人にとって強い自信になったようです。この部分は日本を出て海外生活を徹底してきた筆者家族の最大のメリットになりました。

問題は日本語の方です。

日本語を忘れないために、筆者の家内は哲男につきっきりで漢字のドリルを続けました。

envato element からのイメージ画像。

中学生の段階で日本の公立校で就学させたことも重要な決断でした。

当時の学校教師は全員揃って反対しました。しかし、受け入れを拒否することはしなかったのです。

学費は日本の国立医大レベルだった

長男の学費を払い続けるため、筆者が最初に目指してた馬国での個人事業は断念しました。

約2年間は馬国の華人商人の会社で雇っていただき、高校からプレスクールまでの学費を払ったのです。

医大に進む頃には、筆者が日本の企業に戻ることで、馬国の医大の学費を稼ぎました。

運よく役員まで昇格できましたので、長男が医大を卒業できるまでの学費、その後の上海や東京での学費も遅滞なく全て納めました。

日本の国立大学の修士課程については、私立の医大ではないので過剰な負担にはなっていません。

全体を通して、長男哲男が医師になるまでの教育費は、日本の私立医大を出るまでの教育費に比べれば、かなり低め。日本の国立医大と同等でした。しかし、この比較には予備校や学生の生活費は含まれません。

envato element からのイメージ画像。

本人の努力や、周りのサポートも必要ですから、一概には言えませんが、

経済面だけを言えば、

馬国の医大をでて、日本の医師免許予備試験に合格して日本の医師になるための教育費の総計は、日本に在住して日本の私立医大を出るよりも少ないという結果でした。

残念ながら、現在(2023年)の馬国の私立医大の学費は当時(2010年代)の倍以上になっているようです。

非常に優秀な日本の学生が、奨学金を得て日本の国立医大を卒業するシナリオであれば、長男の学歴にかかった費用より安くなります。

医師の家庭でなくとも医師は育つ

この記事(本編)と、いくつかの詳細記事を読んでいただければ、

日本の医師免許を取得するために、最も重要なことは

本人が「医師になる」という強い意志を貫くことと

両親が徹底して子供をサポートすること

であることをご理解きただけると信じます。

一般に思われているように、医師になるのは

「両親が医者の家系だけ」ということないのです。

家族が団結して、きちんと努力すれば医師になれるのです。

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