【馬国】 19世紀ペラ州の歴史(12)

馬国

これまで紹介してきたバーチ監督官の暗殺事件の伏線として、前回紹介したマレー古来の呪術(じゅじゅつ)の試みまで飛び出す騒ぎが起きていた。日本でいう「困った時の神頼み」ならぬ悪霊頼りである。

「呪術」騒ぎを最後に、いよいよペラ川流域での暗殺劇が続くなら、今回の深掘り連載も終了なのだが、事実は小説より奇なり。

ペラでのバーチ監督官の苦境を見かねてシンガポールに本拠地を持つ海峡植民地総督その人がペラ地域に乗り込んで来るという一幕が残っていた。これもウィルキンソンの記録にある史実なのだ。

今回は、最後の最後まで話し合いによる解決が実を結ばなかった顛末を深掘りする。

最後の条件提示

(悪霊と呪術の一件は)バーチ監督官がパンコール条約に関わる英国の政策をペラ地区で強行する上で最後まで対峙しなければならなかったマレー側の敵意を明確に示していた。

バーチ監督官に賛同するマレー人もいたが、それは彼の人格の評価であり、植民地政策への賛同ではなかった。バーチが手を差し伸べた貧者たちの間にも友人がいた。しかし、ペラの族長達は例外なくバーチと反目していた。バーチはマレー語をほとんど知らず、職務上彼に求められていたのは「断固とした態度(firmness)と政策」だった。

1875年9月。新総督であるジェボワ卿(Sir William Jervois)がバーチ支援のためペラ地区を訪れ、Sultan Abdullah、前Sultan(Ex-Sultan)Ismail、Raja Yusuf、そして大半の族長たちと会談を持った。

Sultan Ismailは、英国が自分をペラのスルタンにしてくれさえすれば、望むものすべてを譲歩すると持ちかけた。次期皇太子である Raja Yusufは、英国がペラの行政全体を引き継ぎ、自分や他の王族たちに適切な収入が与えられることを望むと表明した。

訳註:ウィルキンソンの記録では「会談を持った」という説明に止まっているが、後述する通り、一連の会談でジェボワ総督は族長達の既得権でありマレーの習慣である奴隷制度について英国側の譲歩を決めていた。具体的にはバーチが救出したとされる奴隷を所有者に戻すことを打開策として決めていたのだ。無論、このことは、これまでバーチが実行してきた奴隷解放への施策を完全否定するものだった。

すると、(パンコール条約で新スルタンと認定されていた)アブドゥラは同胞の離脱や裏切り(つまりアブドゥラをスルタンとしないことの合意)を知って自暴自棄になった。彼は廃位されるか、あるいはさらに悪い運命が自分に降りかかることを恐れ、従者たちによる武装抵抗や、ジェボワ総督とその配下への攻撃まで提案した。

しかし、彼にも最後のチャンスは与えられていた。総督はRaja Yusufの助言を受け入れることに決めていた。同月30日、バーチ監督官はアブドゥラに対し、ペラの行政全体を英国に譲り渡し、アブドゥラ自身、Raja Yusuf、そしてRaja Drisのための確定年金を受け取るよう求める一種の最終通告(ultimatum)を突きつけたのだ。

アブドゥラの屈服

アブドゥラが最終通告を拒否した場合に備え、バーチはRaja Yusufに対して同じ条件でスルタンの位を提供する書簡を提示する権限も与えられていた。

アブドゥラはこの時点で全面的に屈服した。

アブドゥラは9月の一連の転換に不満というわけではなかった。彼には月額2,000ドルと、すべての奴隷が返還されるという付帯条件が与えられていたのだ。しかし、彼が恐れていたのは、「彼以外の他の族長たちが何を言い出すかわからない」という一点であった。

しかし、バーチはアブドゥラにそういった懸念事項を説明する猶予など与えなかった。10月2日には新しい秩序を布告する文書が出来上がり、署名のためにアブドゥラに突き付けられた。バーチの手際の早さに怒りを覚えつつも、スルタン・アブドゥラは文書に署名した。

そしてバーチは先へ進んだ。彼はジェボワ総督と相談の上、セポイ(sepoys:インド人兵士)の部隊を Kuala Kangsar に、ヨーロッパ人の小部隊をBandar Baharu に、そして砲艦をペラ川の下流に配置することにしていた。この威力を見せつけることで、ペラ地域の族長達を威圧できると計算していた。

ところが、バーチは英国手配の部隊の到着を待とうとはしなかった。ペラ地区で早急に布告文書を配布できるよう、印刷依頼をSingaporeへ送り、印刷された文書が届くやいなや、ペラ川沿いの様々な村落にそれらを掲示し始めた。

この時点でバーチにとって最悪の危機が訪れていた。だが、秩序を維持するための武力はまだ予定通り配備されてはいなかった。

訳註:バーチ暗殺の要因はペラ地域の族長連合の反目ではあるが、もしバーチ監督官が、ジェボワ総督と申し合わせたペラ地区への英国軍の進行を待っていれば、Maharaja Lelaを筆頭とする暗殺集団の動きを牽制できた可能性が高い。この記事の末尾にも紹介するが、バーチは最後の詰めの時点で、自らを取り巻くリスクについて楽観的過ぎていたようだ。

奴隷制度のゆくえ

こういった重大な局面に際し、もうひとつの不幸な事件が起きた。

バーチは、最終通告の条件として、債務奴隷制(debt-slavery)を尊重し、逃亡した奴隷を返還することに同意していた。ただし、それはこの制度の悪用を終わらせることになるであろう徹底的な調査が行われるまでの暫定的な合意だった。奴隷制に暫定同意することと、具体的事例において奴隷制に同調することとは別問題である。

この時、スルタンが所有していた2人の奴隷とペラ川の税関長の愛妾である奴隷が、主人たちからの保護を求めてバーチの駐在官邸へ逃げ込んできた。件(くだん)の暫定的合意に基づき、バーチは彼女らを送り返す義務があった。しかし、その時、官邸に2人の欧州人の来客があり、そのうちの1人である船長は、逃亡した奴隷を厳しく処罰するであろう残忍な主人たちのもとへ、無力な女性たちを引き渡すことの不条理について強く意見を述べた。バーチは自らの義務と人間としての心情の間で妥協案を検討した。

スルタンの使者が(奴隷を取り戻しに)来た時、彼は「逃亡奴隷など見ていないが、スルタンが望むのであれば逃亡者の捜索を行うことを認める準備がある」と告げた。(中略)奴隷たちは見つからなかった。その後、バーチにより一隻の船が手配され、奴隷達は漁師に変装して脱出する機会を与えられた。こうして彼女らはパンコールにある英国領に到達することができた。女性たちは救われ、最終通告の条件は表面上は遵守された。

しかし、スルタンと税関長は本件についてバーチと同じ見解はとらなかった。彼らはバーチの一連の措置の中に、条約の回避(骨抜き)を認めた。(これが英国政府のやり方であるなら)いかなる条件が信頼できるというのか? 政治的な年金の保証すら信頼できないのではないか? 今回の奴隷の脱出劇は、ペラの族長の間に蔓延していた不安と不満を深刻なレベルにまで増大させてしまったのだ。

訳註:この奴隷救出事件がバーチ暗殺の直前に起きていたのは、あまりにタイミングが悪すぎる。ウィルキンソンは何ら解釈を添えていないが、筆者はマレー族長側の誰かの陰謀を疑う。ジェボワ総督主導の打開策を阻害するために、何者かが故意に奴隷をバーチの官邸に避難させたのかもしれない。バーチが奴隷を保護するなら、族長達は即座に合意事項の「不履行」を主張できる。そして、この脱出事件に関わってしまった結果、バーチ監督官は最後の最後に自らの立場を袋小路に追い込んでしまったのかもしれない。

暗殺

バーチが印刷された布告文書の掲示に取りかかった際、彼は既得権を奪われようとしている族長達とのトラブルが起きるだろうとの警告を受けていた。彼は特にMaharaja Lelaに対して警告を受けていた。

しかし、彼は自らの勇気を信じていた。彼はマレー人たちに対し、「自分は失うべきわずかな寿命しか残されていない老人であり、死を恐れてはいない」と語ったという。

11月1日の夜、彼はPasir Salakに停まり、Maharaja Lela自身の家の近くに船を繋ぎ、船の中で眠った。Maharaja Lelaは陣地(stockade)を築き、英国政府に対する威嚇の声を上げていたが、自身の村に「布告文書が掲示された場合に決起する」という脅し以上のことはしていない。彼は監督官に対して何の動きも見せなかったが、それはおそらく監督官が問題の文書の掲示を控えることを期待してのことであった。

一方、監督官は、文書掲示を控えるなどとは考えていなかった。バーチが危機を予測していなかったことは明らかである。なぜなら、彼は同行者(バーチの護衛)である英国軍のアボット中尉が自分のもとを離れ、ペラ川の対岸へ狩りに出かけるのを許したからである。彼自身は早く起き、地元の族長(Dato’ Sagor)と会話を交わした後、マレー人通訳が布告文書を掲示している間に水浴びに出かけた。

すぐに騒動が巻き起こった。マレー人たちは掲示される端から布告文書を引きちぎった。通訳は執拗に布告作業を続け、邪魔するマレー人を殴りつけることまでした。言葉の応酬は、やがて殴り合いになり、最終的に通訳は刺された。そして激怒した群衆がバーチのいる水浴び小屋に殺到した。

シーク教徒の護衛兵は不意をつかれ、主人を護ろうとする試みすらしなかった。藁葺きの薄い仕切り越しに槍が突き刺さり、バーチが水中に倒れ込むのが見えた。彼は一度水面に浮かんできたが、更に刀で斬りつけられ、そのまま沈んだ。

訳註:この部分の詳しい記述は19世紀ペラ州の歴史(7)を参照願う。

最後までご覧いただき、ありがとうございます。

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