パンコール条約の矛盾や、奴隷制度を含むマレーの族長達の封建文化への干渉が、いよいよ現地の族長達の反感を買い、この反感が激化してきた経緯を見てきた。
バーチ暗殺劇は既に投稿済みだが、今回は暗殺事件の裏側にあった興味深い史実を紹介する。ウィルキンソンの記述には、当時のマレー社会に現存した呪術師(あるいは霊媒師)による儀式の場面が含まれており、ここには日本の「呪いの藁人形」のような証言が残っている。
スルタンの呪い
時は1875年7月末、引用文に出てくる “Resident”とは、バーチ監督官のことである。文章中に「新スルタン」や「スルタン」とされているのは、わかりにくいが、何れも Raja Abdullah(パンコール条約で新たなスルタンとして認知された人物)のことである。
打開策を検討するためにマレーの族長達によるエポックとなった会合が開かれたのは、まさにこの頃のことだった。ここでは、Maharaja Lela(バーチ暗殺の首謀者のひとり)のような、血の気の多い者たちが、この混沌を解決する方法としてResidentの暗殺を議論し、あるいは提案したことはほぼ間違いない。
会合には新スルタンのアブドゥラも出席していた。彼はその考えを容認したのか。暗殺を望んだのか?(この手の事件の判例として)あるマレーの裁判官は、疑わしい事件について「証拠が曖昧であるときは、判決の理由もまた幾分曖昧にならざるを得ない」としている。
この事件における全ての出来事は、新スルタン候補とMaharaja Lelaの口から出た正確な発言にかかっていた。無論、特定の人物の「死が望ましい」という直接的な発言があっても、必ずしもそれが殺人への教唆を意味するわけではない。
バーチ氏は自身の日記に、「この国にとって起こり得る最善の出来事は、彼(新スルタン・アブドゥラ)の死であろう」と書いている。この記録は極めて率直なものだった。(訳註:しかしバーチはスルタンの暗殺を計画したわけではない)バーチ氏は世慣れた人物であり、経験豊富で、行政官としては成功した人材だった。
一方、新スルタンは若く、その性格は短絡的であった。会合の後、新スルタンはさらなる一歩を踏み出した。この事実はバーチ暗殺容疑のひとつの根拠となっている。
この話は「main bérhantu(呪術の儀式)」を自身の面前で執り行わせるため、Pasir Panjangという村へ船を差し向けてRaja Kechil Mudaとその息子であるRaja Ahmadを呼び寄せた」というものであり、その儀式の目的はバーチ殺害に何らかの形で関連していたとされる。(バーチ暗殺後に)これらの容疑についての調査を指揮した英国の担当検事は、マレーの心霊術である「ベルハントゥ(bérhantu)がどのようなものであるかについて曖昧な理解しか持っていなかった。彼はそれを「Perakの人々が未来を予知するために、精霊を呼び出して問いかける目的で、奥地のサカイ族(すなわち原住民族)から学んだ迷信的儀式」と説明した。
…… この儀式について、新スルタンは大真面目だった。バーチの命を奪うべく既に企てられていた陰謀を実行に移す事前儀式として、main bérhantu を行わせるため(そうした儀式の熟練者である)Raja Kechil Mudaとその息子を呼び寄せた ……。
当日と2日目の夜の儀式は、これから起こることへの単なる予備的な儀式に過ぎなかったが、3日目の夜、新スルタンは7種類の精霊に次々と憑依され、大声で「バーチ氏は1ヶ月以内に死ぬだろう」と宣言した。これが英国の検事による解釈であったが、彼の説明が関係者の証言で完全に裏付けられているわけではない。この儀式は、1875年8月24日頃にBatak Rabit(ペラ地域にあるスルタンの邸宅)で行われた。

証言により、この盛大な呪術の儀式における霊媒師(wizards)がRaja Kechil Mudaとその息子Raja Ahmadであったことは明白である。目撃者によると「この夜、悪霊(devils)たちが報酬を要求した。するとRaja Kechil Mudaは、バーチが死んだ時に船一杯の貢物で報酬を支払うと答えた。スルタンに憑依した悪霊は、バーチを殺すことになる悪霊が Kuala Perak に住み着いていると宣言した」という。
別の証人は次のように証言した。「Raja Ahmadは100ドルでバーチを殺める悪霊を呼び寄せると言った。スルタンはこの金額を支払うことに同意した……。Raja Ahmadはスルタンの望んでいることが行われているところだと言った。そしてスルタンが『私が望むことは起こるのか?』と尋ねると、Raja Ahmadは『起こる』と答えた。」
別の目撃者は行われた儀式について描写し、その締めくくりに、Raja Ahmadはスルタンに向かって「さあ、バーチの始末は約束された。しかし、報酬を支払わなければしかるべき効力は発揮しないぞ」と言った。新スルタンは「バーチをBandar Baharuから追い出してくれさえすれば、間違いなく支払おう」と返答したと述べた。これらの証言は、新スルタンが呪術(sorcery)によってバーチを亡き者にしようとしていたという結論の根拠となった。
目撃者たちは証言することを非常に嫌がっていたが、証言の全体的な趣旨としては、呪術師がRaja Kechil Mudaとその息子であったこと、謝礼が100ドルであったこと、呼び出された精霊が jin kerajaan(地元の神々)であったこと、そしてそれら強力な精霊がKuala Perak沖でバーチの船を転覆させ、よってバーチを海で溺死させることを期待していた、というものだった。
出典:”A History of The Peninsular Malays with Chapters on Selangor and Perak” (Kelly and Walsh, 1923)
この史実について個人的な見解を述べれば、呪術や、バーチの溺死の予言が昔からの儀式であることや実際の暗殺劇と似通っていることで、ある程度の真実味はありそうである。しかし、証言の中で悪霊が金銭を要求するあたりは当時の族長達の意識レベルの低さを象徴するとともに、金銭的な取引が心霊現象に含まれている時点で「宗教詐欺」と断定せざるを得ない。バーチの命を操る霊力を持つ悪霊が人間界の金銭や物理的な貢ぎ物を必要とするというのは馬鹿げており、完全な矛盾である。
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