マレーシア青年代議士の苦悩 他国の視点

馬国

この記事は、昨日アップさせていただいた青年代議士 Syed Saddiq 氏の苦悩についての続報です。

マレーシアの政治と政界をもっとも近距離から、詳しく見てきた国があります。それはシンガポール。

シンガポールはもとはマレーシア連邦であり、1965年の苦渋の独立までマレーシアの政界の一翼を成していました。それ以来、シンガポールは努めて冷静かつ正確にマレーシアの政治を捉えてきたのです。

本日紹介するのは、マレーシア政治の専門集団ともいえるシンガポールの国営系メディアである cna が報道した、Syed Saddiq 事件の解説文です。

馬国内の一部の国民は、昨日の筆者の考えと同じように、Syed Saddiq の有罪判決は冤罪であり、政治的な迫害だとしていることがよくわかる記事です。

以下の内容は英文で報道された cna のシニア研究家のコメントを忠実に日本語化したものです。ご一読ください。

シンガポール国際問題研究所のオー・エイ・サン氏によれば、

「元マレーシアスポーツ・文化大臣の政治家としての目の前の展望は暗い。しかし、将来の復帰の可能性も否定すべきではない」としています。

以下の文章は筆者ではなく、cna に掲載されたオー・エイ・サン氏の解説文です。

サイド・サディクとの再会

今年のクアラルンプールで最も注目された外交レセプションでも、サイド・サディク・シド・アブドゥル・ラフマンは大成功を収めた。公式な乾杯の後に到着し、バルルームに数フィート入ったと同時に多くの支援者に囲まれていた。

マレーシアの独立以来の「最年少の大臣」、元マレーシア青年スポーツ大臣は、抜群の記憶力と、その他多くの才能の持ち主だった。

私は、約30分待ち、ようやく取り囲んでいた人々が散り始めた時にサイド・サディクに近づいた。こちらが口を開く前に、彼はトレードマークの笑顔を浮かべながら、1年以上も前の初対面の場面を思い出して私に挨拶した。

以前のコメントで私はサイド・サディクや新党・マレーシア統一民主同盟(MUDA)について必要以上に手厳しい解説をした経緯がある。私がその話を持ち出すと、彼は平然と受け入れ、あれは自身や新党にとって(むしろ)良い経験だったと答えた。

おそらくこの「底なしの楽観主義」がサイド・サディクをマレーシア政治の荒波に晒し、遂に足元の失脚劇に追い込んだのだろう。11月9日の木曜日、サイド・サディクは汚職容疑から有罪とされ、7年の懲役と鞭打ち2回、RM10百万($2,100万)の罰金を科された。

しかし、彼はこの判決に控訴し、名誉を回復すると誓っている。

ライジング・スターが信頼を逸失

サイド・サディクは大学リーグのチャンピオン・ディベーターであり、卒業後すぐに政治の世界に飛び込んだ。そして、2016年、23歳の時に、ナジブ・ラザク当時の首相と袂を分かったマハティール・モハマドとムヒディン・ヤシンに率いられるマレー中心の政党、「マレーシア統一党(Bersatu)」の創設メンバーおよび若手部門のリーダーとなったのだった。

マハティールが2018年に首相に就任した際、それまでの野党であった「パカタン・ハラパン(PH)」の一員として、サイド・サディクは(比較的に政治経験が乏しいにも関わらず)閣僚に任命された。立法府の閣僚としての主な業績は、マレーシアの投票年齢を21歳から18歳に引き下げたことだ。

若手政治団体の国際会議で熱弁をふるう Flicker : Young Southeast Asian Leaders Initiative (Lisence)

しかし、2020年初頭、Sheraton Moveと呼ばれる出来事で、ムヒディンは、マハティールの同意なしに、Bersatuの大半をPHから引き離し、ムヒディンが首相の座を勝ち取る新たな連立政権を、国民党(UMNO)やマレーシア・イスラム党(PAS)と結成してしまった。

その後、(マハティールに追随する政治家と見なされていた)サイド・サディクが自らの党であるMUDAを立ち上げるという決断をしたことは世間を驚かせた。

当初、理想主義的であったMUDAは、若さと多様性を主な原動力とする党として、マレーシア全土から主に都市部のインテリ層を引き付けた。

しかし、明確な政治的方針も適切な組織能力もないまま、党は選挙戦で苦戦した。2022年3月のジョホール州選挙で、ようやく1議席を獲得したが、その後の連邦および州のすべての選挙で泣かず飛ばずに終わっている。

さらに悪いことに、サイド・サディクは2021年と2022年に汚職やマネーロンダリングに関連した犯罪容疑を告発され、自らと新党が築き上げた清廉なイメージを失った。

2分するマレーシア世論

先週早くサイド・サディクの有罪判決のニュースが伝わると、世論の反応は2つに分かれた。

熱烈な支持者は、サイド・サディクに「過ちは無い」とみている。支持者は、サディクの有罪判決を「政治的意図によるもの」と見るだろう。なぜなら、彼は以前、件のSheraton Moveへの賛同を拒否し、アンワル・イブラヒム首相による連立政府に対して激しく批判してきているからだ。

そして、去る9月にMUDAはアンワル氏の連立から離脱した。それは、副首相アフマド・ザヒド・ハミディに対する汚職容疑を取り下げることで「汚職の文化を正当化している」と懸念したからだ。

一方、サイド・サディクを批判している人々から見れば、彼は改革派にとって恥ずべきリーダーとなった。理由は、件の有罪判決のみならず、MUDAの乱入が無益な票の奪い合いで選挙の質を落としたという評価だ。

サイド・サディクは有罪判決後、MUDAの総裁職を辞任したが、新党自体、サディクの辞任以前から政治的な行き詰まりを見せていた。

8月12日の州選挙の前に、MUDAがPHとの連立を形成しようとした試みは失敗に終わり、単独で選挙に臨んだ。結果として、争った19議席で全て敗北し、ほとんどの候補者は選挙保証金を取り戻すために足る程の票も得られなかった。

確かに、MUDAは若く、前向きで、新しさを売り物にしている。しかし、数多くのPH構成政党によって分断された都市部の(たくさん学習してきた)有権者層に対して「釈迦に説法」的アプローチをしても、それがMUDAに有利に働く余地がほとんど無い。

そして、皮肉なことに、サイド・サディクが若干18歳という最低投票年齢を導入したことで、若いけれども保守的で、そしてしばしば宗教的な有権者層が拡大した。彼らはPASの神政的なアピールを好む一方で、進歩的な対抗者はPHに取り込まれており、MUDAには票が集まらなかった。

サイド・サディクの今後

サイド・サディクの足元の政治的展望は暗い。なぜなら、今後数年は、彼自身の刑事訴訟の戦いに集中せねばならず、それが終われば刑務所に入る可能性さえあるからだ。

しかし、サイド・サディクには若さがある。今のマレーシアの分裂した政治情勢の中、将来の復帰も不可能ではない。

一部のオブザーバーは、シド・サディクの有罪判決を、マレーシア政府の「反汚職活動のマイルストーン(一歩前進)」と表現している。しかし、より正確に言うなら、これはマレーシアの司法独立(公平性)の強化の証とも言える。

最近の数ヶ月間のマレーシア司法を見ると、何人もの上級政治家が入れ替わり立ち代わりに無罪とされたり、あるいは、無罪の根拠となる事実に基づいて起訴されたりしている。

今後も、マレーシアの政界では不安定な状態が続くだろう。何故なら、リーダー各の争いがこの国の人口構成の変化と複雑に絡み合うからだ。

オー・エイ・サン氏(Oh Ei Sun)はシンガポール国際問題研究所のシニアフェロー(シニア研究家)。

参考 CNAとは?

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CNA(cnaとしてスタイライズ)は、以前の名称Channel News Asiaから派生した略語であり、シンガポールの国営放送局であるMediacorpが所有するシンガポールの多国籍ニュースチャンネルです。CNAはシンガポール国内では無料で放送されており、アジア太平洋地域の29の領域に有料テレビチャンネルとして国際的に放送されています。

このネットワークは、欧米を基盤とする国際メディアに対する「アジアの視点からのニュース」のひとつ(あくまでアジア支店の国際報道)として位置づけられています。CNAはシンガポールのメディア複合企業であるMediacorp Pte Ltdの子会社であるMediacorp News Pte Ltdによって運営されています。

マレーシアの政党と連合

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Pakatan Harapan (PH)

希望の連合(マレー語: Pakatan Harapan; 略称: PH; HARAPAN)は、2015年に結成されたマレーシアの中道左派政党から成る政治連合。2022年のマレーシア総選挙の結果、他の政治連合や政党と連立政府を形成し、政権連合となっています。この連合は2018年の選挙でバリサン・ナショナル(BN)連合政府を廃止し、独立以来60年間(その前身であるアライアンスと合わせて)続いたBNの統治を終わらせました。

logo from wikipedia “BERSATU”

Malaysian United Indigenous Party (BERSATU)

2016年8月10日、元UMNO副党首のムヒディン・ヤシンはBERSATUの登録申請を行いました。党の指導部は、ムヒディンが大統領、ムクリズ・マハティールが副大統領、そしてマハティール・モハマドが議長でした。BERSATUは、当時の首相ナジブ・ラザクに反対するためにUMNOの元メンバーによって形成されました。

logo from wikipedia “MUDA”

Malaysian United Democratic Alliance (MUDA)

多民族・若手中心のマレーシア国の政党。2020年9月に Syed Saddiq Syed Abudl Rahman が設立。

最後まで読んでいただいてありがとうございます。

マレーシア青年代議士の苦悩 オリジナル記事はこちら

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