この記事は、本編【MM2H体験】の詳細記事です。「おすすめ」のまとめ記事はこちらです。
2014年の国有化と2016年の失踪・墜落事件の後、最近は機内食の質の低下が報道されているMalaysia Airline ですから、筆者の記事として
フライトの「おすすめ」とは言えない状態です。
しかし、MASの沿革や歴史情報。特に第2次大戦前までの経緯は、MM2Hファンの皆様にはぜひ知っておいていただきたく、「おすすめ情報」というタイトルのコンテンツを提供することにしました。
マレーシア航空は、「ポッと出た」技術移転の産物ではなく、極めて複雑な切磋琢磨の上に発展した企業体です。英国占領下の影響や、シンガポールとの確執もあって社名は何度も変更されてきました。さらに、この記事の写真を見ていただいて解る通り、MASは実に多くの機種を導入して取り扱っていて、あたかも世界の旅客機の歴史を辿るようで大変興味深いです。
世界各国のフラッグ航空会社を利用してきた筆者個人の記憶では、MASの Cabin Attendantの uniformは世界で1~2を争うデザインです。
航空機の資料について
この記事に掲載した航空機の写真は全て、同一機種を説明しているWikipediaのネット情報に掲載されていて転用を許されているものです。機体の名称を写真の下に表示してあり、その名称でWikipediaにアクセスすれば出典が確認できます。
この記事の冒頭にある Eye Catch 画像は、Wikipediaの “Malaysia Airline” (英語版)の資料を利用させていただいています。
馬国航空業の起源と英国占領下の発展
Wearne’s Air Service
1930年代、シンガポール、クアラルンプール、ペナン間ではいくつかのフライト・サービスがあったようです。
Wearne’s Air Service は、セオドアとチャールズ・ウェアンの2人のオーストラリア人兄弟のフライトで、このサービスは、シンガポールとペナンの間を週3回フライトしていました。
最初のフライトは、8席の デ・ハビランドDH.89Aドラゴン・ラパイド で1937年6月28日に行われ、当時シンガポールに新しくオープンしたばかりのカラン空港を出発したものです。
後に、2機目の DH.89A が導入によりサービスが拡大され、イポが目的地に追加されました。
しかし、第二次世界大戦になり、1941年にマラヤとシンガポールが日本に占領された後、Wearne’s Air Serviceは停止してしまいました。
Malayan Airways Limited (MAL)
英国資本の航空会社 “Malayan Airways Limited” (MAL)は1937年に英領シンガポールで設立され、最初の有料乗客が搭乗できるようになったのは、1947年でした。
このフライトは、1947年4月2日に(英国の)海峡植民地であるシンガポールからクアラルンプールへのチャーター便で、エアスピード・コンサル双発機を使用しました。
この便は「ラジャ・ウダン」(エビの王?)として知られ、搭乗者はわずか5人。シンガポールのカラン空港を出発し、クアラルンプールのスンガイベシ空港に向かいました。
1947年5月1日からは、同じ機種を使用してシンガポールからクアラルンプール、イポー、ペナンへの週次定期便が追加されています。
MALは、1940年代後半から1950年代にかけて、他のイギリス連邦の航空会社であるBOACやQantas Empire Airways等から技術支援やIATAへの加盟支援を受けながら拡大を続けたのです。
独立後のマレーシア航空
国際便の運行開始
1955年までに、MALのエアクラフトはダグラスDC-3を含む多数に増加し、最終的に1957年に株式公開されました。
この頃マレーシアは独立を果たします。
最初の20年間に運行された他の航空機は
- ダグラスDC-4スカイマスター
- ヴィッカース・ビッカウント
- ロッキードL-1049スーパーコンステレーション、
- ブリストル・ブリタニア
- デ・ハビランドコメット4
- フォッカーF27
戦後、航空旅客が特権階級だけのサービスから、徐々に一般化していくとMALもサービスを拡大。
1960年4月までに、MALはシンガポールから香港への新しい路線や、クアラルンプールからペナン経由でバンコクへの路線で、ダグラスDC-3、スーパーコンステレーション、ビッカース・ビッカウントを運航していました。
また、シンガポールからイギリス領ボルネオの都市への便も増やし、ブルネイ、ジェッセルトン(現在のコタキナバル)、クチン、ラブアン、サンダカン、シブに便数を増やしました。
1960年に84席のブリストル・ブリタニアを保有するとともに、MALは初の長距離国際便(香港便)を開始します。
3度の社名変更
1963年9月にマラヤ、シンガポール、サバ、サラワクがマレーシアを形成した際、航空会社の名称も公式に「マレー航空」(Malayan Airways) から「マレーシア航空」(Malaysian Airways) に変更されました。(この時点ではMALの略称は変わらず)
1963年11月に5機の フォッカーF27 が導入され、MALはボルネオ航空も統合。
1966年、シンガポールが連邦から分離した後、航空会社の名称と略号がMalaysia-Singapore Airlines (MSA)に変更されました。
翌年、航空会社の機材と路線が急速に拡大。MSAの最初のボーイング機であるボーイング707を購入、新しい高層本社ビルもシンガポールで完成しました。その後、ボーイング737も追加されました。
しかしMalaysia-Singapore Airlines (MSA)は6年後に分裂することになります。
なぜなら、シンガポール政府が航空会社の国際路線の開発を希望する反面、マレーシア政府は、まず国内ネットワークの開発を優先したのです。
MSAは1972年に運航を停止。資産は2つの新しい航空会社、Malaysian Airline System (MAS)とSingapore Airlinesに分割されました。
シンガポール政府は自国の航空会社の国際路線を開発することを決意し、これに伴い7機のボーイング707と5機のボーイング737を全て引き継ぎ、地域および長距離の国際路線を継続的に運航できるようにしました。
MSAの国際路線の大部分はシンガポールを出発していたため、国際路線の大半がシンガポール航空の手に渡りました。さらに、シンガポールにあったMSAの本社は、その航空会社の本社となりました。
マレーシアは最後の2文字を入れ替えMASを選択(Malaysian Airline System)
一方、シンガポールは元々MSAの頭文字を保持するためにマーキュリー・シンガポール航空という名称を提案しましたが、後に考えを変え、SIAを選択したのです。
MASの躍進
MASはマレーシア国内のすべての路線と国を出る国際路線、および残りのフッカー F27 の機材を引き受けました。1972年10月に19で運航を開始し、すぐに拡大。年内に34以上の国内便と6つの国際便を運航しました。
1976年にはDC-10-30の航空機を導入、MASはヨーロッパ行きの定期便を開始。初めはクアラルンプールからアムステルダム、パリ、フランクフルトへでした。
1980年には、アジアおよび国内路線に利用されたエアバス A300B4の導入と、DC-10の追加導入がありました。
1982年には、MASは初めてボーイング 747-200 を導入、これが長距離のフラッグシップとして使用されました。
1980年代のマレーシアでの経済発展は、MASの成長を促しました。その10年の終わりまでに、MASは47の海外目的地に飛び、その中には8つのヨーロッパ、7つのオセアニア、そしてロサンゼルスとホノルルも含まれていました。
1993年には、MASはボーイング 747-400航空機を導入、アルゼンチンのブエノスアイレスへの便を通じて、南アメリカに到達。
1990年代には、MD-11の短期リースによるフリートのさらなる拡大。
1995年には、エアバス A330-300 を導入。MD-11、DC-10、およびボーイング 747-200 の一部が貨物部門のマスカーゴに転換され、移管されました。
1997年には、ボーイング 777-200 の納入による、その年の最後のワイドボディ機材の近代化が行われました。航空会社は世界記録を打ち立てました。愛称が ‘super ranger’ とされた航空機が、シアトルからクアラルンプールまでの飛行距離10,823海里(20,044 km)を21時間23分で飛行し、世界記録を樹立しています。
経営危機
2000年代と2010年代初頭に航空業界から多くの賞を受賞したマレーシア航空も、2000年初頭以来、低コストキャリア(LCC)との生存競争でコスト削減に苦心。2011年からは大きな損益悪化を記録。
2013年に同社は再生計画を開始し、不採算の長距離路線を削減。同年、リストラを開始し、エンジニアリングやパイロット・トレーニングなどのユニットを売却する意向も示しました。
努力も虚しく、2014年から2015年にかけて、債務超過を申告。政府による新しい組織のもとで「再国有化」され、すべての運営、資産、負債を含め、航空会社自体を縮小。完全な国有化となったのは2014年のKhazanah National (完全国営投資会社)の100%子会社化と証券取引所からの除籍でした。
2016年1月の失踪事件や、撃墜事件を起こしたボーイング777-200ER17機(2機の事故機含む)を全て退役。さらに不採算路線の運休を進めつつ、格安航空会社との差別化を狙いサービスレベルの維持を進めることで経営の安定化を目指していますが、2021年には、この会社の閉鎖案が首相レベルで検討されています。
最後まで参照いただき、ありがとうございます。
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