この記事は、本編【MM2H体験】の関連記事です。馬国の「おすすめ情報」まとめ記事はこちらです。
前回までの記事・情報はこちら
馬国の政府議会、州議会、憲法そしてイスラムとの関係について調べた結果を紹介してきました。
今回は、私たち外国人からみて非常に興味深い「ブミプトラ」 ( Bumiputera ) の定義と主権についてご紹介します。この件でも、情報源としての拠り所はマレーシア憲法です。
なぜなら、マレーシア憲法は「ブミプトラ」に関する保護法制の基礎が記載してあり、
法的にブミプトラがどのような主権と立場を享受しているかが判るからです。
しかし、調べるうちに、この「ブミプトラ」に関わる、少し込み入った定義と経緯が、この国の憲法や憲法を取り巻く馬国の歴史の中に存在することが見え隠れします。
しかし、ここで、少し矛盾したことを書かざるをえません。
実は、馬国の憲法には「ブミプトラ」という単語は出てきませんし、定義も書かれていません。
あるのは、Malays and the indigenous peoples of Sabah and Sarawak という集合的なグルーピングとその定義だけなのです。でも、これが「ブミプトラ」の定義だという説明になります。
今回の記事の情報源も、ほとんどが英語版wikipediaの、”Constitution of Malaysia” です。
中心となる第153条については、マレー語の wikipedia ではせいぜい、4〜5行のパラグラフひとつで説明されているだけで、漠然としています。
英語版 wikipedia では10個のパラグラフ(つまり、10倍の文字数)で、極めて細かく条文を解説していますので、必要に応じて直接参照をお願いします。イギリス人の向学心に感謝したいですね。
ブミプトラとは誰のこと?
結論から申し上げて、ブミプトラは、憲法上で正式に定義された意味を持つ言葉ではなく、
憲法で細かく規定されている マレー人 (Malays) とサバ州とサラワク州の原住民( ndigenous peoples of Sabah and Sarawak) の総称です。
そして、マレー人 (Malays) とサバ州とサラワク州の原住民の主権と定義を規定したのは憲法第153条です。
この条文はマレー人、サバ州とサラワク州の原住民、およびその他の民族グループに対する特別な権利や特別な措置に関する規定を含んでいます。
憲法自体では直接的に「bumiputera」という単語が定義されているわけではないのです。
では、なぜ「ブミプトラ」と言うことがが頻繁に使われて、「取り沙汰」されるのか?
恐らくそれは、この単語が、前述の「マレー人 (Malays) とサバ州とサラワク州の原住民( ndigenous peoples of Sabah and Sarawak) 」という長い文章で説明されているグループを、端的に表す単語として適当だからです。
では「マレー人」とは誰のこと?
マレー人は人口分布からしても、恐らくブミプトラの圧倒的多数を占めます。(サバ・サラワクの人口は2004年の資料で260万人、馬国人口3,200万人のうち65%の2,080万人がマレー人)
言葉の定義に拘って憲法を読んでいくと、「マレー人」(Malay) の定義は憲法第160条(2)に明確な定義が決められていることが判ります。それによると、「マレー人」(Malay)とは
第1条件として、(1) ムスリムであること、(2) 習慣的にマレー語を話すこと、そして (3) マレー文化を遵守していること
第2条件として、Merdeka Day Population (独立時の民集)であること
Merdeka Day Population を便宜上 MDP と略します。
そして、MDPの定義は
- 独立当時のマラヤ連邦ないしはシンガポールの居住者
- 独立前にマラヤ連邦ないしはシンガポールで生まれた者
- 独立前にマラヤ連邦ないしはシンガポールの居住者だった親から生まれた子供(両親のどちらか)
つまり、現在マレーシアに住んでいなくても、(あるいは、独立当時のマレーシアに住んでいなかった人々も)、独立前の連邦ないしはシンガポールで生まれたか、あるいは当地域に居住していた親から生まれた子供ならばMDPなのです。
第1条件(信仰・言語・文化)で明らかなとおり、あるマレー人が改宗してムスリムでなく仏教徒やヒンズー教徒になったとすると、この人物は、その時点で憲法上の「マレー人」の定義から外れます。
マレーシアが独立した際、現在のサバ州とサラワク州はまだマレーシアに統合される前の領土でした。1957年にマラヤ連邦が独立し、1963年にマラヤ、サバ、サラワク、そしてシンガポールが統合してマレーシアが成立しました。
第2条件(MDPの制限)で明らかなとおり、サバ州とサラワク州の住民は、ムスリムであっても憲法の定義では「マレー人」ではないわけです。
※シンガポール国民にもマレー人が存在するのですが、この場合は、シンガポール国民の立場をとるので、マレーシア憲法の影響は受けないと思います。
ようやく「ブミプトラ」という言葉の定義の必要性が判ってきました。サバ・サラワクに古くから住んでるムスリムの人々を不公平に扱うわけにはいかないマレーシア国としては、この「ブミプトラ」という単語1つで「マレー人 (Malays) とサバ州とサラワク州の住民( ndigenous peoples of Sabah and Sarawak) 」を「集合的」に定義できたのです。
最後に残るグレーな部分があります。それは、サバ州とサラワク州のムスリム以外の人々です。結構な比率の人が、非ムスレムなのです。彼らが、マレー人ではないのは確かですが、「ブミプトラ」の一部になるのでしょうか?
これについては説明が見当たりません。今後の課題です。
マレー人やブミプトラには「血統」定義がない
ある人のDNAを調べて、生化学的にマレー人であるという判定をすることはできません。
マレー人とブミプトラを確認するのは、常にその人の信仰・言語・文化、そしてMDPの証明、あるいは東マレーシアの住民であることが条件になります
ここに、あるヨーロッパ人がいて、彼がムスリムでマレー語を話し、マレー文化を尊重していて、独立前にマラヤ連邦に住んでいたなら、彼は立派なブミプトラと言えます。(マレー人)
インドネシアで生まれた敬虔なムスレムで、見た目はマレー人と変わらない人物がマレーシアに移住してきたとします。彼が、マレー語が話せてマレー文化を遵守していたとしても、残念がらMDPの資格がなければブミプトラではないのです。
イギリス人の母親から生まれた現在のイブラヒム国王陛下はどうでしょうか?
陛下の母は、大学で知り合ったイブラヒム国王の父親(マレー人)と結構してムスレムに改宗して、ムスレムの名前も持っていました。どの程度マレー語に堪能であったかは判りませんが、しかし、MDPではありません。
それでも、イブラヒム国王陛下は、MDPである父親の子供ですから、MDPなのです。そして、ムスリムであり、マレー語で生活して、誰よりもマレー文化を遵守していますから、馬国と英国のハーフであっても、立派な「マレー人」なのです。
憲法第153条の存在意義
ブミプトラの保護や優先政策が本当に重要なら、何故、この国の憲法のもっと基本的な条項に規定がないのでしょうか?
153条は、条文のずっと後半のPART XIIの “General and Miscellaneous” の一部です。
なんとなく、後付けされたような印象を持つのは筆者だけでしょうか?(答えは次回の記事で紹介できそうです)
この条項には、馬国の国王陛下が、その責務として「ブミプトラ」を保護する義務が含まれています。
国王陛下は、マレーシア内閣のアドバイスを得て次の各項目を実施すべしと記載されています。(文中の「ブミプトラ」は、正式には全て Malays and the indigenous peoples of Sabah and Sarawak に置き換えて読んでください)
- ブミプトラを保護する
- 連邦の公務員について一定の区分をブミプトラに与える
- 奨学金、教育、訓練の機会について一定の区分をブミプトラに与える
- 連邦が法的に管理する商業や貿易の認可について一定の区分をブミプトラに与える
- 大学、工科大学等の高等教育について一定の区分をブミプトラに与える
一方、この153条は、ブミプトラだけではなく、他の民族の権利も定義されています。このことが、この条文の解釈を難しくしています。
ブミプトラ以外の民族が保護される権利は
- マレーシア連邦の市民権※
- 公務員の職場に置いて平等に扱うこと
- 国会がブミプトラの独占事業を決定することは禁止
- 第153条を理由にブミプトラ以外の公務員の既得権を奪えない
- 第153条を理由にブミプトラ以外の人々への奨学金や教育の機会を奪えない
- 商業ライセンスや許認可のブミプトラ枠の設定は、他の人々の既得権を奪えない
※史実としてブミプトラ以外の市民権については、当初はブミプトラ側の反発が強かったが、大英帝国の政治的圧力の元で認められている。
ブミプトラとそれ以外の民族の利権を直接規定した条文ですが、国王の仕事としてブミプトラ保護は、強い基盤であり、本条文については、スルタンが集合して協議するConference of Rulers の許可なしに改訂することができないと規定されています。この条文を改訂するのは、スルタン全員を含む国会最上位のトップと閣議と国会を巻き込む大きなアレンジが必須になるという規定です。
では、ブミプトラに与えられる「一定の区分」( quotas for bumiputra ) とは、どの程度の区分なんでしょうか?人口比と同じで65%でしょうか? 具体的な区分(quota)の規定は憲法には記載されていません。
というわけで、この、第153条は、マレーシア憲法の中で最も「異論反論」が集まる条文の一つです。
批評家は、この条文が異なる民族背景を持つマレーシア人の間に不必要な不均衡を作り出していると考えています。
なぜなら、この条文は人口の大部分を占めるブミプトラだけに恩恵をもたらす体勢優位的な政策を誘発しており、結果として民族差別的な国政を招いているとしています。
また、この優遇措置はメリトクラシーと平等主義の両方に反するとも批判されています。
第153条の廃止について議論することは違法です—議会内でもそうだそうです。
しかし、第153条は元々は憲法の一時的な規定として起草されました。この議論の禁止にもかかわらず(民族間の憎悪、民族間の紛争、民族間の暴力を管理し、抑制するためとされる)、この条文はマレーシア人の間で私的にも公的にも熱く議論されています。
この条文は、マレーシアでは極めてセンシティブな問題と見なされており、それに賛成または反対するだけで政治家はしばしば「人種差別主義者のレッテルを貼られ、日本で言うなら、特定民族の「村八分」に関与していると後ろ指をさされます。
出典:Wikipedia (英語版)Article 153 of the Constitution of Malaysia
結論から言えば、153条は、それを議論すること自体が憲法違反的なことなので、筆者は、馬国の内政干渉を避ける上でも、個人的な意見を述べることはできません。何か、見てはいけないものを見てしまった思いがあります。
そして、この153条については、あれこれと、独立後の経緯があり、ひとつの記事では紹介仕切れないことがわかりました。そこで、この件のご紹介は延長して、次回の記事で最近までのブミプトラ政策の変化を追ってみます。
本日の記事では、ブミプトラの定義(憲法にはない)、マレー人(英語のMalay)の定義、そしてブミプトラの保護に関する憲法における記述内容を紹介しました。
ともあれ、全ては、本日ご紹介した憲法の建て付けから独立国マレーシアの民族政策が始まったのです。
最後まで参照いただき、ありがとうございます。
この記事は、本編【MM2H体験】の関連記事です。馬国の「おすすめ情報」まとめ記事はこちらです。