【MM2H体験】おすすめ体験(32)馬国婚儀(古式)

MM2H

この記事は、本編【MM2H体験】の詳細記事です。「おすすめ」のまとめ記事はこちらです。

マレーシアの結婚式(というより披露宴)は外国人に対してひらけた文化であり、多くの外国人や日本人が、体験談をネット上で紹介しています。

ですが、筆者がおすすめする体験は、先進国文化が融合して近代化した結婚披露宴ではなく、市街地から離れた村落でつつましく行われる結婚披露宴の体験です。

今でも、インドネシやイスラムに影響を受けた純粋なマレー文化による婚儀が行われているのです。

マレーシアの年間婚姻組数は、2023年で約20万組と推定されます。このうち、イスラム教徒の結婚式が約6割を占めています。

筆者の今回のおすすめ、はマレー系の婚儀への参加(あくまで新郎新婦を祝福する趣旨)です。

イスラム系の婚儀の大半は、ネットで紹介されるような華やかなホテルの披露宴とはかけ離れた、村落で行われる地域社会と一体で行われている、つつましい婚儀です。

マレー文化の婚儀

マレーシアはかなり以前からイスラムの影響を受けてきましたので、いざ結婚となると、日本では考えられないほどの文化的・儀礼的手順があります。

新郎新婦の両親にあたる家では、やはり親としてきっちりした婚儀を整えてあげたいと思うでしょう。

マレーシアの古式に従った婚約や結納式のようなイベントが続々と消化され、最も神聖かつ重要な部分は近親者だけで行われているようです。つまり、婚儀はさまざまな目的と関係者で何日も予定されます。日本のように1日で結婚式と披露宴を済ますのとは全く違う文化です。

我々外国人が招待されるのは、日本でいう披露宴的な段取りですから、すでに結婚の儀式や取り決めにあたる手続きは済んでいます。

詳しい婚儀の情報はネットで調べられますので、そちらを参照ください。

筆者が招かれた村落での披露宴

2003年ごろのことでした。筆者は起業家としてマレーシア人7~8名を雇用して日系企業の建設プロジェクトの下請け業務をしていました。

会社の社員の中に、馬国の「東方政策」の一環で日本の大学を卒業した女性の秘書役がいました。

その秘書役の兄弟に当たる女性が結婚したということで、

筆者と、筆者の顧客に当たる日系企業の社員1名が、クアラルンプールから車で1時間程度の、セランゴール州のある村落での結婚披露宴に招かれたのです。

日本語ペラペラのマレー人秘書が、「難しいことを考えずに単純に参加してください」というので、我々は一応の清掃(といってもジャケットなしのワイシャツと黒のズボン)で参加したのです。

政府の代表で日本に留学する秀才の家系ですから、さぞかし盛大なセレモニーだろうと思っていたのですが、実際には全くそうではありませんでした。

古式披露宴への外人の参加

筆者が招かれた村落の披露宴が開かれた場所は、ホテルでも宴会施設でも有りませんでした。

その場所は、新郎新婦のどちらかの生家(つまり民家)の庭先でした。(どちらの生家なのかは不明)

村落の民家なので、ある程度の敷地面積がありましたから、その場所に賓客と家族と近所の知り合いが集合して、それぞれの場所に陣取ります。

我々外国人は、賓客ということで、仮設のキャノピーを立てた中の日陰の上席の椅子に座る形で参加させていただきました。

他の訪問者は、炎天下で椅子に座っているものや、地べたに座っている人々もいました。

披露宴は100%マレー語なので、何が起きているのか筆者にはわかりません。筆者と客筋の日本人は若干の紹介アナウンスを受けましたが、どのように紹介されたのかはよくわかりません。

突然始まるコンパンと歌

披露宴の中のハイライト、というより、言葉は着衣以外で印象が伝わる演奏が始まりました。

それは、その村落の少年少女(10人程度)の歌とコンパンという手で軽々と持てる太鼓の演奏です。

形はタンバリンを大きくしたようなもので、金物は付いていないので純粋に太鼓の音がします。これを10人ぐらいの子供が持って、それぞれ異なるリズムを叩いてリズムを合わせながら伝統的な婚儀の曲を歌うのです。ユニフォームも準備できなかったらしく、私服でした。

コンパンを学ぶ少年グループ(セランゴール州の学校)

筆者は、これを見て、アフリカの伝統部族の歌と打楽器の演奏を連想しましたが、よく聴くと、もっと深遠なイスラムというかインドネシアやジャワの伝統音楽の系統が含まれた内容に思えました。

後日調べたところ、このコンパン( Kompang ) はマレーシアの伝統文化です。

マレー社会における「コンパン」は、文化遺産として解釈することができます。 儀式や伝統的なイベントでコンパン音楽を省略すると、(他の楽器を使って伝統的なイベントを盛り上げたとしても、)何かが欠けていて不完全な感じがしてしまうと言われています。

マラッカ王国の時代、アラブの文化を取り入れたイスラム教徒のインド人商人たちがマレー世界に入り、コンパン楽器を紹介し始めました。その歴史の中で、コンパン芸術は伝統音楽の一つとして数えられるようになりました。

コンパンはマレー社会に深く根ざしているため、「マレー人がいるところには必ずコンパンがある」という言葉があります。

ここでリンクした動画の例は、筆者が参加した村落の披露宴よりも遥かに豪華で、お金をかけた例です。演奏者は多分プロです。

披露宴の後の食事は「素手」

食事は、ビュッフェスタイルではなく、別の場所に用意された昼下がりの宴といった形でお食事会でした。

やはり野外の敷地にキャノピーを置いて雨が降っても客人や親類縁者が濡れないような配慮です。

そして、我々を含む参加者全員は地面に敷き詰めた布地の上にあぐら座で座り、目の前に出されたマレー料理を「素手」で食べたのです。

洋食レストランのように指先を洗う水の入ったボウルもありませんん。あるのは若干の紙ナプキンだけです。

マレー人の皆さんは、器用な手つきで美味しそうに食べていましたが、「素手」での食事に不慣れな筆者と客先代表は四苦八苦して食事の種類や味も覚えていません。

招待されたのですから、「食べない」わけにはいかないので、ある意味「必死」のひとときでした。

まとめ

馬国政府から選抜されて、日本の大学に派遣された女学生が、(筆者のよ「吹けば飛ぶような」会社であっても)日本人経営者の会社に働いていて、結婚式に招待すれば来る

ということ自体が、この村落のささやかな披露宴にとって、なんらかの意味を持っていたようです。まあ、いってみれば「お飾り」みたいな感じです。

日本語を喋れるマレーの社員は、忙しそうでしたので、あまり挨拶もできずに帰宅しましたが、

村落での古式の結婚披露宴の何たるかはよく理解できました。

次回呼ばれる場合は、コンパン演奏の意味や、婚儀でのコンパンの楽曲についてもっと調べて参加したいと思っています。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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