アイキャッチ画像は、wikpedia “hungry ghost” で紹介されている香港のある街で恒例の飢餓霊祭の準備風景です。
本編は、「宗教論」ではありません。ある国や民族の文化を客観的に調べて、説明を試みただけです。筆者の解釈が必ずしも正しいとは限りません。ある一つの解釈としてさらっと参考にしていただければと思いながら投稿したものです。
この記事は、本編【MM2H体験】の関連記事です。馬国の「おすすめ情報」まとめ記事はこちらです。
普段はマレーシアの中国系の皆んなさんとは親和性の強い日本人のMM2H利用者ですが、
この hungry ghost (空腹の幽霊?)に関する知識や行事については、ほとんど理解できないでいます。
かくいう筆者も、馬国滞在中はついにこの「空腹お化け」の何たるかを説明してもらうことなく、理解もできずに帰国しています。
多分20年の滞在経験の間に、何度か華人の知り合いから説明を受けたのでしょうが、その時には全く理解できていません。
最近になって、あれこれ調べて、今ようやくわかってきました。
ゴーストと言う単語が誤解のもと
毎年旧暦の7月の中旬に行われる Hungry Ghost の祭礼について理解するためには、まず、この「ゴースト(幽霊)」という単語について我々が持っている日本的な定義から完全に離れて、このことだけの新しい定義を頭の中にインプットする必要があります。
道教や仏教の信者、それも中華系の皆さん限定、が100年以上の伝承と習慣で認識してきている hungry ghost という存在は、
既にこの現世には居ない、他界して別世界の霊的存在となった人々であり、その人々がいろんな事情で厳しい環境に置かれているので、放っておくと、いろんな意味で悪影響の原因になる。必ずしも極悪非道な人間霊ではないが、不遇であり、満足に飲み食いもできない存在が多いのは世の常である
と言う背景を持っていて、ちょっと間違えば、自分の祖先もそういう不遇の霊になってしまう可能性は否めないと言う、ある意味では、
「脱完璧主義」というか、
「偽善的理想」ではない「現実的」で、ありうべき先祖の人間霊たち
を総称しているようです。
ですから hungry ghost festival は、言ってみれば、そう言う不遇の人間霊への大接待の祭礼であるわけです。
祖先霊を徹底して楽しませるチャンス
以下のオンライン記事と wikipedia で引用する「飢餓霊祭」という行事は、他界した人間霊、特に祖先の霊、を賓客として、徹底して楽しませる行事であり、
参加する現実界の人間(基本的に道教や仏教の信者とその家族)は接待役でしかありません。ですから自分等が楽しんでいてはならないわけで、
この日だけは、あらゆる努力を惜しまずに、他界した人間霊をもてなして、十分食べて楽しんで帰ってもらうことを徹底するお祭りなのです。
日本に伝わる大乗仏教との違い
日本の仏教文化では、こういった「飢餓霊祭」は行いません。他界した人間霊に対しては、あくまで「供養」することが、いつでも、どこでも大事だとされていて、年に一度というタイミングでは「お盆」の時期に法事を行うのでしょうが、
香港や馬国のように、何千人もの信者が集まって大祭礼を行うような文化はありません。
日本には「禅」として伝わった仏教思想があって、これは、全ての物理的なものを「空」として本質とはせずに、人間の思考活動である「分別(ふんべつ)」や「理念」も、無用としてひたすら瞑目して今だけを過ごす考え方が強いですから、、
他界した祖先を食事でもてなしたり、あの世で使う紙幣を供えたりする考え方は一般的では無いです。
馬国の華人の間でも、日本の仏教思想に近い考えを持つ人も多いでしょうが、100年以上続いている伝承と伝統の祭礼についてだけは、理屈抜きで仏教文化として捨て去ることはできないのです。
日本の仏教でも他の宗教でも、人間は徹底して善悪のうちの善を追求して、真偽のうちの真を重んじていますが、
ある意味では、これは、あまりに現実離れした理想的視点にこだわりすぎているのかもしれません。
ここで話題になっている「飢餓霊祭」でもてなされている空腹の人間霊たちは、ある意味では、ごく一般的な罪と失敗を繰り返す哀れな存在であり、
どんなに努力しても誰もが、ある一面では悪であり偽りである部分を持っているから、それを隠そうとしても無理な話
という考え方なんだろうと思います。まあ、これは、筆者が、あれこれ調べた結果としての個人的な理解ですが・・・
信者でない日本人が気軽に参加できるかというと、答えはNOだと思います。いろいろと厳しい禁足事項があって、間違ってもこれを破ってもらっては困るので。
ペナン州の一部で続く「飢餓霊祭」
Over a century on, Hungry Ghost Festival still a mainstay in Bukit Mertajam
Saturday, 17 Aug 2024 7:00 PM MYT malay mail
毎年、(ペナン州の内陸側の一部である)Bukit Mertajam地区の Jalan Pasar 界隈は、Hungry Ghost Festival (飢餓霊祭, Phor Thor)を祝うために集まる数万人の道教徒や仏教徒中心の中国系住民が集まってくる場所だ。
中国暦では、(旧暦の)7月を「霊の月」と見なし、飢餓霊祭はその15日目を当日とする特殊な祭典である。今年(2024年)の場合、「霊の月」は8月4日に始まり、9月2日に終わる。そして18日はその15日目にあたり、信者たちは霊神である地官大帝(Di Guan Da Di)を祀る儀式を行うのである。
Bukit MertajamのYu Lan Festival(余兰祭)組織の会長であるダトゥク・スリ・ペー・ウェン・キムによると、この地で飢餓霊祭が祝われ始めてから実に130年以上が経過しているという。(According to Datuk Seri Peh Weng Khim, chairman of the Bukit Mertajam Yu Lan Festival Organisation)
Peh 会長曰く、道教の信仰において、第7月の初日に「地獄の門」が開かれ、長く亡くなった先祖の霊が食べ物や娯楽を求めて出てくるとされている。
「この地の祝祭は賑やかです。過去28年間、我々の組織は信者が祈りを捧げるための特別な場所をTua Pek Kong寺院の隣に提供してきました」(Peh 会長)
会長の説明では、信者たちは地獄の神である大士爺(the deity of hell Tai Su Yeah)に捧げるための食べ物や供物を持参する。高さ8.96メートルの竹と色紙で作られた大士爺の像が設置されており、信者たちは彼らの先祖、そして家族のない霊にも供物を捧げる。
8月6日以降、寺院の敷地は24時間開放されており、平日には1,000人以上の信者が訪れ、週末にはその数が8倍にもなる。
「訪問者はマレーシアだけでなく、中国、香港、台湾、シンガポール、タイ、インドネシアなどの海外からも訪れています」
信者等は、霊のために「冥界紙幣」を準備してそれを燃やす儀式も行うという。
タイのオペラグループが毎晩7時30分から11時まで寺院敷地内で公演を行い、「地獄の神とさまよう霊」を楽しませる。
会長によれば、毎年、地元 Berapit の職人によって特注された巨大な大士爺(the deity of hell Tai Su Yeah)の像が用意され、テント内に設置されて信者が祈りを捧げるという。
また、8月20日の夜には、その像がJalan Pasarの中央で行進し、焼かれて「他界へ送り返される」という儀式が行われ、数万人の信者がこれを目撃する。
会長曰く、この祭りは霊に関連しているが、若い世代に信仰や善行を教え、先祖や他者に対する尊敬や従順、思いやりを養うことにも繋がっているという。
祭りの間には、霊のために路肩に置かれた食べ物を踏んだり、蹴ったり、散らかしたりしないようにするなどのルールもあると付け加えた。
信者は、夜遅くまで外出しないこと、夜間に衣類を干さないこと、森や林に入らないこと、赤や黒の服を着ないこと、そしてビーチや湖畔で遊んではならない。 — Bernama
飢餓の霊 (hungry ghost)
英語版 wikipedia “hungry ghost” からの抜粋です。
「飢餓の霊」は仏教や中国の伝統宗教において、動物的で強い我欲に駆られる存在を表す言葉である。中国語の「餓鬼」(èguǐ)は、仏教におけるサンスクリット語の「プレータ」(preta)の訳語であり、文字通り「飢えた霊」を意味する。「飢餓の霊」は、中国仏教、道教、そして中国の民間信仰において重要な役割を果たしている。ただし、この語は、亡くなった先祖の残留霊魂を意味する一般的な「鬼」(guǐ)や、地獄に落ちることを意味する言葉と混同してはならない。
中国仏教において、飢餓の霊の世界(鬼法界、鬼界)は、仏教の欲界の六道の一つとされる。中国の先祖崇拝の伝承により、先祖の霊が旧暦の毎年、ある時期に現界(生者の世界)に戻る許可が与えられることがあると信じられている。霊が飢えており、生きている親族から十分な供物を受け取らない場合、霊は現実世界から自分たちが得られるものを取っていくという伝承である。
毎年の飢餓霊祭
「飢餓の霊祭」(盂蘭盆会、Yúlánpén)は、飢えた先祖の霊を敬うために行われ、食べ物や飲み物が供えられて霊の欲求を満たす。
この祭りは旧暦の第7月に祝われる。この時期は、満月、新しい季節、秋の収穫、修行の極致、先祖の再生、そして地域社会の集まりが重なる時期でもある。
伝承により、この月の間、地獄の門が開かれ、飢餓の霊が食べ物や娯楽を求めて地上を自由にさまようとされている。これらの霊は、死後に供物を捧げるのを忘れられた先祖の霊であると考えられている。彼らは家族から食べ物を与えられないため、首が細長くなっているとされる。
現実界に居る家族は、亡くなった親族のために祈りを捧げ、「冥界紙幣」を燃やすことを求められている。この「冥界紙幣」は冥界で有効な通貨であり、霊があの世で快適に暮らすのを助けると信じられている。
また、霊を喜ばせるために、紙で作られた家や車、テレビなどのさまざまな物も焼かれる。この祭りは、近代において仏教の諸宗派が融合し始めた後も、中国密教仏教の数多くの密教的慣習の一つとして現代中国仏教に保存されている。
無縁霊の影響を封じる
信者等はまた、無縁のさまよえる霊にも供物を捧げ、これらの無縁霊が生活に侵入して不幸をもたらさないようにしている。
第7月の15日には、霊のための大きな饗宴が開かれ、人々は食べ物の見本を持ち寄り、それを供物台に置いて霊を喜ばせ、不運を避ける。生演奏も行われ、誰もが参加できる。
最前列の座席は常に空席で、そこは霊が座って生演奏を楽しむための席とされている。これらのショーは夜に行われ、大音量で演奏されるため、音が霊を引き寄せ、喜ばせると考えられている。イベントは「Merry-making」(愉しみ作り)として知られている。
クアラルンプール(マレーシア)でも霊月に行われる演目の際、前列の赤い椅子には座らないことが求められている。これらの椅子は「飢餓の霊」のために用意されているからである。
伝統的な準備としきたり
市町村の入り口や前面に、僧侶のために供物の祭壇と椅子が設置される。地蔵菩薩が椅子の前に座り、椅子の下には米粉と桃の皿が置かれる。祭壇には三つの霊位牌と三つの葬儀用の旗が立てられる。正午過ぎには、羊、豚、鶏、果物、ケーキが家族によって供物として寄付され、それが祭壇に飾られる。僧侶は各供物に三色の特別な文字が書かれた三角形の紙を張り付ける。音楽が始まると、僧侶はベルを鳴らして飢餓の霊をテーブルに呼び戻す。その後、彼は米や桃を空中に投げ、霊に分配する。
夕方には、家々の玄関前で香が焚かれる。香は繁栄を象徴し、香を多く焚くほど繁栄が増すとされる。祭りの間、霊のために通りを開けておくため、商店は閉店する。通りの中央には香の祭壇が立てられ、その上には新鮮な果物と供物が並べられる。祭壇の後ろでは僧侶が歌を歌うが、これは霊しか理解できないと信じられている。この儀式は「霊歌」(shi ge’r)と呼ばれている。
饗宴の15日後、すべての飢餓の霊が地獄に戻れるように、人々は灯籠を水に浮かべ、家の外に設置する。これらの灯籠は、蓮の花の形をした灯籠を板の上に置いて作られる。灯籠が消える時に飢餓霊が道を見つけていると信じられている。
禁忌事項
飢餓の霊祭には、多くの民間信仰やタブーが存在する。霊は危険であるとされ、蛇、蛾、鳥、狐、狼、虎などの形を取ることができると信じられている。一部の霊は、美しい男性や女性の姿を借りて誘惑し、憑依することができるとされる。ある物語では、美しい少女の姿をした霊が若い男性を誘惑し、僧侶が介入して霊を地獄に送り返すという話がある。憑依は病気や精神障害を引き起こすと考えられている。
中国暦の第7月には、子供たちは(通常は家族の長老によって)暗くなる前に家に帰るように、夜の街をさまようことを避けるようにと助言される。霊に憑依される恐れがあるためである。泳ぐことも危険とされており、霊が人を溺れさせると信じられているためだ。人々は一般的に夜間の運転を避け、「衝突」や不幸をもたらす「霊的冒涜」(病気や不運を引き起こす出来事)を恐れている。
「霊」という言葉は一年中よく使われるが、第7月には霊を怒らせないように「後門の神」や「善き兄弟」といった表現が使われる。
また、供物台に置かれた食べ物をつまむことも避けるべきとされ、背くと奇病にかかる可能性があるとされる。
室内の娯楽会場(getais)でのショーに参加する人は、最前列の椅子が空席であることに気づくであろう。これらの席は霊のために予約されており、そこに座ることは良くないとされている。また、霊のために供物が燃やされた後、その燃えた場所やその近くを踏まないようにしなければならない。そこは霊界への「開口部」とされ、触れると憑依される可能性があると考えられている。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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