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【MM2H情報】真説KLが生まれた19世紀<19>

初代レジデントのJ.G. Davidsonが1875年にKLを視察「殆ど全ての錫鉱区は水没。建屋・機器・資材は焼失・破壊。鉱業は借金で建て直していたが、返済は滞り、債権者の圧力が強い中、商社からの資金調達もほぼ不可能。それがKLだった。
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【MM2H情報】真説KLが生まれた19世紀<18>

葉亞來が、屈強な戦争請負人であるSyed Masshhorを撃破できた背景は、Tungku Kuding総督の全面的な信頼と協力、Pahang軍との連携、そして葉亞來本人の戦略力でした。今回は、これまでのあらすじも載せました。
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ドコ行く?どー行く? 観光特集

マレーシアという国は奥が深い国です。事前によく調べて、目標を定めて旅行することをお勧めします。この記事では、おすすめの観光と、おすすめの交通手段をまとめて紹介しています。気になる場所や移動方法はそれぞれの記事でチェックしてください。
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【MM2H情報】真説KLが生まれた19世紀<17>

19世紀KLの華人リーダーの葉亞來の生涯の物語。主人公が体験した最も悲惨・屈辱的な年は西暦1872年。この年、彼は、守ってきたKLを宿敵に奪われてしまいます。しかもその原因は王族の利権争い。華人集団には責任はありませんでした。
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【MM2H情報】真説KLが生まれた19世紀<16>

Selangor Sultan の名代、そしてセランゴール戦争の正規軍の総督であるTungku Kudinは、これまで一枚岩で戦ってきた葉亞來軍の上に、欧州人の司令官を配置して、葉亞來たちを当惑させます。一方、頼りのKLの同胞領主が次々に敵側に寝返ります。
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【MM2H情報】真説KLが生まれた19世紀<15>

Ampang地区での勝利で得た反省点から、葉亞來軍は、さらに組織力を強めます。敵がRawang地区で新たな紛争を開始しましたが、複数の中隊(200〜300人規模)を器用に動かす葉亞來軍の頭脳戦の前に崩壊しています。
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【MM2H情報】真説KLが生まれた19世紀<14>

KLが首都になる10年以上前、数千人規模の軍事衝突が1870年の9月から10月に発生しました。葉亞來がKapitan(いわば華人行政長官)をつとめた華人クアラルンプールは、大きな人的被害を受けながらも、領地を奪われずに生きながらえます。
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【MM2H情報】今週の馬国 話題の報道ひとまとめ

今週(2024,3.11-15)は注目すべき話題が3つありましたので、まとめてお伝えします。考古学的発見、政府が払う?巨額のキャンセル料、そしてシンガポールの最新イミグレ・テックが始動
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【MM2H情報】真説KLが生まれた19世紀<13>

クラン戦争とセランゴール戦争は同意ですが、クラン戦争というと、戦場がクランだけだったかの印象を与えます。しかし、この戦争(1866-1873) はマレーシア史上に残るスケールでセランゴール州全体の覇権をかけた数千人規模の戦争だったのです。
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【MM2H情報】応報 張大臣 MM2Hの統計情報を開示

本年1月末現在、MM2H利用者は56,066人で、このうち、プログラム契約者本人 (principal) が27,759、その家族 (dependents) は28,307人。利用者の国籍トップ3は、中国:24,765、韓国: 4,940、そして日本: 4,733でした。超慶信大臣が公開。