【MM2H情報】真説KLが生まれた19世紀<16>

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「好事魔多し」とよく言います。

セランゴール戦争の前半は、KL市街に移り住んだキャプテン葉亞來とその一派の勝利に終わりましたが、そのままの体制と運気が続かなかったのは、世の常なのかもしれません。

「第3期KL戦」(1872年4月~8月)では、葉亞來は、スルタンの正規軍のトップであるTungku Kudin の指揮命令に翻弄されます。

Tungku Kudin はKedah国(地方)のスルタンの親族です。マラヤ半島内では由緒ある血筋ですが、軍属ではありませんから、戦争に関する限り彼は「素人」でした。

しかし、Kudin は、なんといってもSultan Abdul SamadViceroy (総督であり、名義人であり代理人)ですから、1871年までのセランゴール戦を経験した葉亞來たちが、いかに経験豊かでも、Viceroy の指揮命令に従わないわけにはいきません

筆 者
筆 者

いつの世も同じですが、判断力のない上司に使えた集団は不幸です。間違った方向性を与えられた優秀な集団が悲劇的な末路を迎えた例は、たくさんあります。

1872年。葉亞來のKL華人集団も、そのような境遇になっていきます。

打倒 Syed Mashhor

Syed Mashhor は、元はSultan Abdul Samad の切り札となるコマンダーであり戦争請負人でした。

彼が親族であるSultan とともに写った写真では、彼はかならずクリス(マレーの短剣)かサーベルを持っており、自分が屈強な軍人であることをアピールしています。

中央にSultan、右から3人目の長身の男がSyed Mashhor で。胸にクリスがある。

Rawangの戦いでは、葉亞來Chung Piangの軍勢の頭脳戦に翻弄され、一時は再起不能に近い状態に陥ったと伝えられていますが、その後 Ulu Selangor に撤退すると、新たに兵を集めて、KL攻撃の準備を進めたのです。

正規軍の総督である Tungku Kudin とすれば、この Syed Mashhor さえ撃破できれば、セランゴール戦争は終結すると考えてもおかしくありません。

Raja Mahadi が自分で剣をとって大群と戦うタイプではありませんし、Kudin も、その気になれば、故郷の Kedah国の軍勢をセランゴールに展開するつもりでいたのです。

しかし、1871年8月の時点では、Tungku Kudin は、オランダ人の Van Hagenとイタリア人の Cavalieri という2人の指揮官を、80人のインド人兵士と数人の下士官と共にクアラルンプールに駐留させていました。

地元のマレー人からの支援が得られなかったため、Kedah地方の軍に頼る前に、外国の傭兵が雇われたのですが、葉亞來の部隊が、こういった傭兵の外国人の配下に組織されたことは、その後の戦況に大きく影響しています。

もとより、葉亞來は、傭兵を使った組織を嫌っていました。外国人の指揮官の下で命をかけてSyed Mashhor と戦うという体制自体、彼らには受け入れ難い考えでした。戦闘中の意思疎通が困難だと思ったのでしょう。

しかし、これを決めたのは Sultan の名代である総督 Tungku Kudinです。葉亞來たちは、仕方なくこの組織建てに協力します。

Ulu Selangor への遠征

1871年8月、Tungku Kudin は先手必勝の原則を守るべく、傭兵下士官と葉亞來の軍隊を Syed Mashhor の軍本部である Ulu Selangor に進軍させます。

前回の Rawang戦まで、KLの華人部隊は常に本拠地の近くで行動し、後方部隊からの物資や食糧の供給も充実していました。

そして、攻め込んできた敵陣に対しては、地の利を生かした挟み撃ち攻撃や、待ち伏せ戦略が全て成功して敵を殲滅できたのです。

今回は、そうはいきませんでした、正規軍の部 Ulu Selangor を叩きに出かけて行ったのです。

この戦闘は、失敗に終ります。

戦況は長期戦になり、華人集団のChung Piangたちは、次第に疲弊して弱体化してしまいます。

彼らの強みは「短期決戦」です。長期になれば物資と食料が続かず、戦況は悪化するだけでした。

Tungku Kudinが採用した欧州人の下士官やインド人の傭兵は、この時Chung Piang の部隊とは同行せず、KL市街の本拠地で全体を指揮する体制をとっていました。

 Raja Asalの裏切り

1872年の5月になっていました。Chun Piang のKL部隊は、弱体化し、武器や食糧も不足していました。部隊は、Ulu Selangor からは撤退し、退却を余儀なくされていました。

image photo by envato elements (all rights reserved)

一方、Ssyed Mashhor の軍勢は長期戦の中で兵力を増強し、ついにはKL地区を包囲するまでに成長していたのです。

Rawang の戦いでSyed Mashhor を再起不能にしていなかったことが、大きな仇となりました。

葉亞來Chung Piang たちがKLを守るには、十分は武器と食糧の補給が不可欠でした。この支援が勝敗の鍵を握っていたのです。

この時、Chun Piang軍に補給する任務を負ったのは、Raja Asal の部隊(Mandailing族)でした。華人集団ではありません。Raja Asal は計算高い人間でした。Syed Mashhor と頭からぶつかることはぜず、物資の補給部隊として戦線に参加していたのです。

ここで、Syed Mashhor はその狡賢さを発揮します。

彼はRaja Asal にコンタクトすると、彼に報酬を約束する代わりにMashhor 側の支援を要請するのです。

提示された戦勝報酬としての利権が大きかったのでしょう。Raja Asal はあっけなくSyed Mashhor 側に寝返ってしまいます。

image photo by envato elements (all rights reserved).

疲弊したChung Pian軍に比較して、Raja Asal の部隊は規模が大きかったのです。

これで戦況は人数的にKL側に不利になってきます。

 オランダ人司令官の失策

Raja Asal の軍隊が、Mashhor 側についたニュースが届いた時、葉亞來のK Lでの兵力は、80人のインド人傭兵と15~20人のヨーロッパ系とユーラシア系の下士官、その他を含めわずか200人です。

一方、Raja Asal は他の領主にも声をかけて、なんと2,000人規模の兵力を持っていました。

そして、KLにいる葉亞來軍は全員がオランダ人の Van Hagen の指揮下にありました。

Van Hagen は自信過剰で、後先を考えずに、Raja Asal の本拠地(KL郊外)への進軍を指示します。

傭兵部隊は、戦況を甘く見ていました。写真はイメージです。 image photo by envato elements (all rights reserved)

この時点で、Ampang 戦とRawang戦で発揮していた葉亞來軍の一枚岩の戦闘能力は雲散霧消していました。

Van HagenはKL郊外のRaja Asalの陣地を攻撃し始め、戦闘は3日間続きましたが、結局は撃退できず、KL軍は多大な損失を被った状態で撤退を余儀なくされます。大失策です。

Sutan Puasa の裏切り

情勢は切迫していました。

葉亞來は、Chung Piang に対し、前線から撤退し、KLに戻って防衛するよう要請しました。

Chun Piang 部隊は撤退中ずっと、Mashhor 部隊の攻撃に晒されます。

まもなく、Mashhor 部隊もKL近くに到達し、Raja Asal と合流しsます。

この時、KLの軍事組織にさらなる異変が起きます。

もとよりKLで葉亞來の華人集団と苦楽をともにしていた Sutan Puasa が Mashhor側に寝返ったのです。

Sutan Puasa が寝返ったのにはいくつかの理由が考えられます。

  • Tungku Kuding が英国政府に拘束されたというフェイク・ニュースが巷に流れていたこと
  • Sutan Puasa の錫鉱業の利権・所有権が葉亞來たちと競合状態にあったこと
  • KL軍にオランダ人が入ったことで、軍隊組織に違和感を感じたであろうこと
  • 同じMandailing族系の Raja Asal Syed Masshhorに合流したこと

Syed Mashhor は、Sutan Puasa が合流するとすぐに、巨大連合軍を率いて葉亞來のKLの本陣に向かって攻撃を開始します。

葉亞來軍、絶体絶命です。(次の記事につつく)

筆 者
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Sutan Puasa は葉亞來たちよりも、ずっと早く Ampang 地区に入植していたので、真のKL開拓者は Sutan Puasa だという声がありますが、このように、彼は Sultan の正規軍に対して裏切る動きをしたことで、Sultan Abdul Samadから追放されています。 そういうわけで、彼のKL開拓者としての名声は地に落ちてしまいます。

最後まで参照いただき、ありがとうございます。

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