この記事は、本編【MM2H体験】の関連記事です。馬国の「おすすめ情報」まとめ記事はこちらです。
本日紹介する2024年4月25日の全国紙の内容は、馬国の最高学府の中で、No.1 の地位を持つ「マラヤ大学」の緊急謝罪を報じたものです。
結論:純粋な高等教育の理想から言えば、前日のマラヤ大学で講演した Bruce Gilley 教授(米国の政治学者)も、教授を招いたマラヤ大学も、賛否両論の学問的議論の内容について国民に謝罪する必要はないのだろうと思います。
目の前の世界情勢に、パレスチナとイスラエルの衝突があり、イスラエルを強く避難するマレーシア政府の政治主張があり、それに疑問を投げかける米政治学者の一つの意見があるだけです。
しかし、この件は、馬国のSNSで大炎上しています。
一体何が起きているのか? 報道を解釈した上で、マレーシアの民意や、Bruce Gilley 教授の真意を探ってみます。
これって、実は、日本のメデイアにはまず絶対といっていいほど出てこない話なので、日本人からすると、何が炎上しているのかよく見えない出来事ともいえます。
MM2Hファンや、馬国への留学を考えている日本人としては、こういう話題が出た際に、自分のコメントができるように内容を把握しておきたい事例です。
マラヤ大学:米教授のSNS発言で大炎上
24日に来馬したアメリカの政治学者が、普段から、SNSの X(旧ツイッター)でどんな発言をする人物なのか? 恐らくマラヤ大学は、事前には全く把握していなかったはずです。
Bruce Gilley教授本人は、あくまで、いつも通り、学者の意見としてマレーシアがイスラエルを擁護していることの(学者としての)批判を「ツイート」しただけで、その表現も、米国にはありがちな誇張(そうでもしないと注目されないし、学生の心に残らない)でしかありませんでした。
ところが、Gilley教授のSNS上の発言の中に、馬国民的には、「超えてはいけない線を超えた発言」が含まれていたのです。教授は、SNSの X(エックス)で、こう発言したのです
「ユダヤ人に対する”第2のホロコースト”を提唱するような指導者のいる国は、国際情勢への真剣な議論には入ってはこれない。当然ながら、米国の友人にもパートナーにもなれはしない。」
A country whose political leaders advocate a second Holocaust against the Jewish people will never be a serious player in world affairs, and will certainly never be a friend or partner of the United States.
Bruce Billey 教授のX
結果:このSNS発言に恐ろしい数の抗議が殺到したことで、大学側は飛び上がって謝罪をしているわけです。
UM apologises, vows stricter measures after pro-Israel speech incident
April 25, 2024 @ 1:31pm New Straints Times
マレーシア大学(UM大)、24日の外国人教授の論議について謝罪。
25日の声明で、UM大は陳謝、対応措置として招待された外国人スピーカーが出席する予定だったプログラムや活動の全面的キャンセルを発表。
これは、Bruce Gilleyという外国人スピーカーが、同大学の講演で、マレーシアは「ユダヤ人に対する第2次ホロコーストを企てている」と発言した件に言及したもの。
「UM大は、SNSでの炎上について遺憾の意を表明する、一般市民への配慮に欠けていた」
「包括的な報告を準備しており、この件に関与していると認められる者に対して厳しい措置が取られる」
「このような事件が再発しないように、手続きを強化し、厳格なガイドラインを実施する」
「UM大は、イスラエルに関連する要素に対する政府の姿勢を引き続き支持し、パレスチナを正当な独立国家として認める努力を完全に支持する」
やっちまったー
Bruce Gilley教授のUM大訪問時の発言(講義ではなくSNS)には、マレーシアが支援しているパレスチナ解放に向けた取り組みを強く避難するものであり、教授の国籍が親イスラエルの米国であったことも、馬国民の逆鱗に触れたのではないでしょうか
欧米での賛否両論は当然の権利
驚いたのは、Bruce Gilley教授です。彼が学者としての個人的見解を発言したことで、ここまで国民感情的な攻撃を受けることは予想していませんでした。教授は学者として発言したのです・・・SNSですが・・・
もとより、パレスチナ戦争のような事件について賛否両論を出し合って、最善の結論に到達するという「話し合いの方法論」は、今から1500年も前、ソクラテスやプラトンの時代からヨーロッパで実践されてきた考え方です。(末尾の「プロタゴラス」を参照)
この場合、反対意見や賛成意見を述べた人間を指差して、自分の主義主張から感情的に非難するのは、マナー違反です。
そしてこれは、恐らくアジア圏や日本でも、少し受け入れ難い考え方です。
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英国領だったマレーシアに欧米の発想があるか?
Bruce Gilley教授は、恐らく、長い間、ポルトガル、オランダ、英国の占領下を経験して、英語が流暢なマレーシア人は、欧米並みの相対主義の知見を持って自分の発言を受け取るだろうと思ったのかもしれません。少なくとも日本や中国よりは欧米型の議論に理解があると思ったのでしょう。マレーシアは単一民族国家ではなく米国と同じ、「人種のるつぼ」です。
しかし、このホロコースト発言は、国民の大多数を占めるマレー文化を直接刺激してしまう可能性を、教授は甘く見ていたのでしょう。
今回のマラヤ大学の措置は、教授から見れば、学問や政治学に対する冒涜であり、「恥ずべき」行為だということになります。(持論を述べた人間の残りの予定を全てキャンセルして、帰国されるとは何事か?)
教授は、マラヤ大学の旅費清算の申し出を受け入れず、既に帰国しています。
欧米の「相対主義」と弁論術
古代ギリシャの教育者プラトンは、ソクラテスの意思を受けて「あるべき弁論術」の検討を続けました。当時この弁論術を指導する識者を 「ソフィスト」と呼んでいましたが、このソフィストの中に革新的な指導者が現れました。その人が、プロタゴラスです。
プロタゴラスが批判したのは、従前の哲学であった「世の中にある真理は一つ」という原則でした。現実は、そうではなく「この世に 絶対的な真理など無い」としたのです。
そして彼は「賛成論も反対論も(弁論の)技(わざ)次第で自由に 作ることができる」と しました。価値観や観点が違えば答えが違う(相対主義)という前提で、プラトンのソフィストとして弁論術を教えたのです。
これがAcademic Debate の根源といえます。以後、ソフィストは相対主義・懐疑主義の先駆的な存在となっています。
プラトンがその後「大学」の前身であるアカデミアを構築して、これが900年継承された事実は貴重な事実です。
24日と25日の両日、まさに「真実は一つか?」について馬国の最高学府で新聞沙汰になる騒ぎが起きました。
残念なことは、この騒ぎが、多分に「政治的」なだけで、1500年以上前のプロタゴラスの教えのかけらも生かされていないことです。
一方、Academic Debate それ自体に対する批判もあります。
相対主義による教育訓練が成功したとしても、そのディベート技術が道理に合わないことを正当化しようとする「詭弁家」や、批判だけが得意な「ニヒリスト」を育ててしまう危険性があるという点に集約されます。
このような批判は、古くは古代ギリシアのソフィストに対する批判から、かつてのオウム真理教の上祐史浩らに対する批判に至るまで、Academic Debate に対する疑念として根強く存在してきました。
日本では「詭弁」として嫌われやすい
日本の政治論争や、大人同士の話し合いによく出てくるフレーズがあります。それは
「詭弁だ!」「詭弁を言うな」です
日本語で日常的に使われる「詭弁」とは、「故意に行われる虚偽の議論」、道理に合わないことを強引に正当化しようとする弁論、論理学で外見・形式をもっともらしく見せかけた虚偽の論法」を意味します。
便利な言葉でもあり、自分の考えに合わない人物が、知的で雄弁な話で攻撃してきた場合に、「それは詭弁だ」というと、周りで聞いている聴衆は、なんとなく「詭弁なんだ・・・じゃあ騙されないようにしよう」と思うわけです。
欧米の対話においては、この「詭弁」にピタリ該当する単語は無いと思います。何故なら、欧米の論争方法においては、相手が間違った根拠や理屈を口にした場合、その証拠や論理が間違いであるかを具体的にさし示して否定する refutation があって初めて相手の弁論の誤りを主張できるという不文律があるからです。
そういう土壌なんで、まずは、誰でも言いたいことを言って良いという雰囲気を作って、出てきたら存分に反論・異論を展開するチャンスが与えられるてきたわけです。日本では、そうはいかない。大きな違いは、日本が、世界でも類を見ない「単一民族国家」であること。欧米は人種が混ざった文化と社会をマネージせざるおえなかったこと。
馬国社会はどのように受け止めたか?
26日の全国紙の報道では、相変わらずBruce Gilley教授が、槍玉に上がっていて、各界の有識者が強く避難し続けています。新聞社も、感情的になって、ありとあらゆる発言を集めてアップしてます。
Keep people like Gilley out!
Friday, 26 Apr 2024 The Star online
米国の学者Bruce Gilley(写真)が、去る火曜、マラヤ大学(UM)で講演した後、マレーシアのアメリカとの関係を軽視する発言で炎上を引き起こした件。
Bruce Gilleyは、この件で謝罪する代わりに、昨日、X(以前のTwitter)で「(この国は)安全な国ではない」とマレーシアを非難する投稿をしたため、さらなる炎上を誘発した。
政府の広報担当者 Fahmi Fadzil 通信大臣は、教授がマラヤ大学という名門機関を発言の舞台にしたことに失望を表明。(マラヤ大学は、多くのマレーシアの指導者や最高裁判所の裁判官の母校)
「アンワル首相がパレスチナ問題について自分の意見を明確にしていることを考慮すると、特に受け入れ難い行為だ」
関連する政府機関と共に、マラヤ大からの詳細な報告書が発表された後、さらなる行動を取るとした。
MCA(マレーシア華人協会)青年団の情報主任は、Bruce Gilley のコメントは傲慢であり、国民に対して著しく節度に欠けるとした。
「マレーシアの外交政策に対する感受性の欠如だけでなく、イスラエル・パレスチナの紛争に対する我が国の一貫した立場を軽視している。」
「Bruce Gilley のような誤解を招く発言をする人間は、この国に入国する権利など無い。」
ある穏健派の作家も、Bruce Gilley はもはやマレーシア国出入り禁止人物と発言。
「明らかに、この国のセンシティブな部分を利用して注目を浴びようとしている。今後は訪問してくる外国人(高等教育機関で何であれ)はスクリーニングされるべきだ」
マレーの穏健派グループG25のメンバーは、Bruce Gilley が、コミュニティの意見を無視して暴力的な騒ぎを誘発しようとしたとコメント。
「故意に論争を呼び起こすコメントは、明らかに計算してSNSの炎上を狙ったもの」
「外国に来て、地元の意見を侮辱して、自分は被害者顔をするのか? マレーシア人は海外旅行する場合、地元の意見と文化を必ず尊重してきたはずだ」
ある非暴力推進団体の創設者も、Bruce Gilley の発言は誤解を招き、また潜在的に危険であるとしている。
「マレーシアが第二次ホロコーストを支持していると表現しているが、どこにも証拠がなく、ただマレーシアと米国の関係を緊張させるだけの、明白なディスインフォメーションだ。
「この人物のウイルス性の発言は、極端に感受性を欠いている。イスラエルと関連する製品のボイコットやKK mart のボイコットといった社会的な緊張の中で、極右主義者が人種や宗教の問題を悪用するような事態を誘発しかねない。
「彼のSNSは、マレーシアで増加している極右強硬派の間の反欧米的・反ユダヤ的感情にh火をつけるリスクをもたらすだけ」
Xでの別の投稿で、高等教育大臣である Datuk Seri Dr Zambry Abd Kadirは、Bruce Gilley の「安全でないマレーシア」という主張を一蹴した。
「動乱も、脅迫も、偏見もないマレーシア滞在を堪能された上で、この国を危険視されるのですか? 発言前によく考えるべきでしたね。」
Basking in the heavenly bliss of Malaysia, untouched by unrest, threats, or bigotry. Yet, now questioning its safety? Perhaps a rethink on your judgment is overdue.
Datuk Seri Dr Zambry Abd Kadir
参考 プロタゴラス
プロタゴラス(Protagoras、紀元前490年ころ – 紀元前420年ころ)は、古代ギリシアの哲学者、ソフィストの一人である。70歳まで生きたとされ、後半40年間は、みずから「徳の教師」を名乗り、ギリシャ各地を遍歴した。アテナイにはしばしば滞在した。
30歳ごろからソフィストとしての活動を開始し、ソフィストの術を、一個の職業として確立したことで知られる。詭弁派ともいわれる。
紀元前444年または紀元前441年に、アテナイを中心とし南イタリアに大規模な植民都市トゥリオイ(アテネの植民地)建設の際、新憲法の制定を委嘱された。
「人間は万物の尺度である」という言葉で知られ、認識の相対性を主張する相対主義を唱えた人物の一人。
絶対的な知識、道徳、価値の存在を否定した。人間それぞれが尺度であるから、相反する言論が成り立つとする。そのため、他人を説得し状況を自己に有利なように展開する方法が正当化されることで、弱論強弁の説得技術としての弁論術の始祖とされる。
こうした主張からソフィストは詭弁を用いて黒を白と言いくるめる、とみなされるようになった。ルネサンスが人間を尺度とする復興であったことから、尺度の基準は人間であると主張したギリシア哲学・西洋哲学におけるソフィストの存在は軽視できない。
出典:Wikipedia 日本語版 プロタゴラス
恐らくは、マレーシアの有識者も、意見の相違はあっても良いが、「表現方法には、気をつけて欲しかった」というわけです。
この件は、何か進展があれば、またお知らせします。日本のメディアには出ないと思います。
最後まで参照いただき、ありがとうございます。
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