「山を登る理由は、そこに山があるから」とは、1923年にイギリスの登山家ジョージ・マロリーがニューヨーク・タイムズの取材で語った言葉ですが、マレーシアのナショナル・アスリートを20歳代で引退し、24際まで陸軍士官学校で活躍したタレントの持ち主は、アスリートとして、単に、「競技場と記録更新のために」走るわけではないと話しています。
馬国より確実に多くのアスリートが世界に送り込んできた日本ですが、その日本人の我々も、「そんな記録を出せるのか?」と思う偉業を達成した女性がいるのです。
メリンダ・カウルの 本名は Melinder Kaur Ragbir Singh だそうですので、インド系のマレーシア人なのでしょうが、このFMTのオンライン報道には、彼女の民族系の情報には全く触れていません。
それどころか、彼女の情報は英語やマレー語の Wikipedia にもタミル語でもネット情報がなく、唯一(何故か)ドイツ語のwiki情報が有るだけでした。(この記事の最後に日本語で引用してあります) 非常に謙虚でロープロファイルな挑戦者です。
手錠をした状態での1マイル走は、ギネスブックにはエントリーで出来ないようです。でも、馬国だけのギネスブックとして有名な book of recoreds に認定されたようです。ただし世界記録としてはアイルランドにも記録を残したアスリートがいるようです。
素足での女性1マイル走(英語:fastest 1-mile run barefoot )の方は、これまで挑戦者が存在しなかったため、ギネスが定めた6.5分のギネス認定基準をクリアする挑戦だったようです。こちらの方は、やる気になればジャマイカやエチオピアあたりから候補が出そうですね。
マレーシアで、このメリンダさんがリスペクトされるのは、彼女がイベントで集めた興行金を馬国内の施設に寄付していることです。恵まれない子供達の施設だそうで、子供達は、記録達成の日に競技場に招待されたそうです。立派ですね。
メリンダ・カウルの挑戦
What inspired Melinder Kaur to set 2 new world records?
Dinesh Kumar Maganathan @ FMT Lifestyle 12 Jun 2024, 09:00 AM
先週土曜日、クアラルンプールのアリーナ・スカン競技場は、2つの世界記録挑戦という偉業を目撃するために集まった観衆で溢れかえった。観客は半信半疑だった。:「メリンダ・カウルの目標達成なるか?」(Arena Sukan Kuala Lumpur last Saturday), (“Could Melinder Kaur do it?”)
目標1:手錠をかけた状態での1マイル(1.6km)走の最速記録
目標2:素足での1マイル走(女性)最速記録
元ナショナルアスリートのメリンダが落ち着いて走路に立ち、記録に挑む瞬間、アリーナは興奮の頂点を迎えた。
既存の手錠走の記録は、2018年にアイルランドのサンドラ・ヒクソンが樹立した6分37秒。素足での記録挑戦は、これまで誰も試みた記録が無かった。
メリンダは、「自分自身を試して、どこまでやれるか見てみたい、何か特別なことをやりたいと思っていた」と、FMTに語った。「ただ走るだけなら誰でもできる。でも制約がある中で走るのは、誰でもというわけには行かない。」
36歳、一児の母は、数日前に熱と扁桃炎と戦っていた。しかし、病気が目標達成の邪魔になることは無かった。
「パフォーマンスに影響を与えるかもしれないが、麻痺していない限り、全力を尽くす。これができると自信を持っている。私は長距離ランナーだから。」
確かに、メリンダのこれまでの人生はアスリートの人生だった。18歳の時、ブキットジャリル・スポーツスクールの特待生の機会を得た。そして、人材開発の学位を取得するためにマレーシア・プトラ大学からスポーツ奨学金を受けた。
2009年、21歳の時、マレーシア陸上競技連盟の公認で 3,000メートル障害走の国内記録を破った。その後も自身の記録をさらに3回破り、翌年ナショナルアスリートとして引退している。
24歳で、彼女はポート・ディクソンの陸軍士官学校に入学、少尉として卒業。しかし、仕事のプレッシャーや家庭生活を理由に、4年間中尉として務めた後、軍を退役した。
家族生活にあった時期、彼女は個別の記録に挑戦するアイデアを思いついた。そして、彼女はすでにマレーシア・ブック・オブ・レコード(MBR)に5回も認められており、その中には「25時間のトレッド・ミル走」や、「12時間のトレッド・ミル逆走」も含まれている。
単に記録を破ることだけがメリンダの真の目的ではない。
彼女は、自分の能力を利用して恵まれない人々を助けることができると認識し、これまでの記録挑戦を通じて数々のNGO活動のための資金を集めてきた。
「恵まれない子供たちを助けたいと思っていた」「私はアスリートですが、それが他の人にどう役立つのか? 世界記録を破ればもちろん名声を得ますが、私にとってそれは何の意味も無いんです。」
もちろん、これには多くの挑戦を伴った。メリンダはハードなトレーニングの後に罪悪感を感じることがあると言う。
「娘がいるので、(自分の挑戦が)自己中心的だと感じる日もあります。(本来は)娘の成長を助けるべきで、彼女には私の注意と愛が必要です。トレーニングの後に疲れて、彼女の世話ができない日もあります」と涙を浮かべながら話した。
「世界記録を破るのを見て、娘がそれを理解してくれることを願っています。彼女が成長した時に説明するつもりです。」
メリンダは支えてくれる家族に感謝している。そして、可能な限り、彼女は娘と一緒に過ごし、一緒にトレーニングをすることで、同じアスリート精神と意欲を娘に伝えている。
昨年、彼女の娘はエベレスト・ベースキャンプに最年少のマレーシア人として到達し、5,363mを5日間で登り切った。
いよいよ勝負の時が来た。2人の警察官が承認となり、手錠が確実にかけられていることを確認した。2人のタイムキーパーとスターターが準備を整えた。
「スタート!」その瞬間が来た。5分57秒後、メリンダは「手錠をかけた状態で1マイルを走る最速の女性」となり、自動的に6つ目のMBR記録を達成した。(Malaysia Book of Records)
短い休憩の後、彼女は素足での2つめの世界記録に挑み、6分4秒で走り切り、ギネス世界記録となる6.5分の基準を下回った。
2つの偉業を通じて、メリンダは Gurpuri Foundation という恵まれない子供たちを支援するNGOのために約2万リンギットを集めたという。土曜日の歓声に包まれた観衆の中には、その子供たちもいた。
公式のギネス世界記録の確認を待つ間、メリンダは自分のパフォーマンスに満足し、満面の笑みを浮かべていた。
「自分にはできないと思っていても、やれば出来ることがあります。自分を信じて、挑戦してほしい。あまり考えすぎないことです」
Melinder Kaur Ragbir Singh
メリンダー・カウア・ラグビール・シン(1988年5月12日生まれ)は、マレーシアの元陸上競技選手で、障害物競走を専門としていた。
メリンダー・カウアが最初に国際的な経験を積んだのは2009年で、広州で開催されたアジア選手権において、3000m障害物競走で11分07秒36のタイムで5位に入賞、5000メートル走では17分57秒70のタイムで9位。
2011年には神戸で行われたアジア選手権で11分20秒13のタイムで障害物競走で7位となり、続いて深圳で開催された夏季ユニバーシアードでは11分07秒64のタイムで予選敗退。
11月にはパレンバンで開催された東南アジア競技大会で11分32秒49のタイムで4位。2013年にマレーシアのチャンピオンとなり、その翌年にクアラルンプールで26歳の若さで陸上競技選手としてのキャリアを終えた。
参考 エチオピアのアベベ・ビキラ
(Abebe Bikila、 1932年8月7日 – 1973年10月25日)は、1960年代に裸足のランナーとして有名だった。1960年9月のローマ五輪で、偶然に靴が壊れたアベベ選手が裸足で走ることとなり、15kmを過ぎて先頭集団に入り、30kmでトップに出るとあとはそれを譲ることなく、当時の世界最高記録となる2時間15分16秒2で優勝したという話は有名。(東京五輪の時は靴を履いていた)
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