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この記事は本編「がちで起業」の詳細記事(ぶら下がり記事)です。
筆者の自営業体験で最も深刻な問題となったのは、本編の経験則で書いた通り「自分より先に家族が折れてしまう」という問題です。
では、実務面で最も厄介だった問題は何かと問われれば、それは他ならぬ会社の経理であり、毎年の税務申告やEPFなどの福利厚生制度でした。
個人事業から始めた筆者は、会社の経理処理ぐらいは自分ひとりで対処できると過信していましたし、他人に会社の財務内容を見せたくもありませんでした。
2年間の経験を終えて痛感したことは、この「ひとりでできる」という過信が大変な誤りでだったことです。
会社員の自分と個人事業の自分
全く同じ知識とスキルと資質をもつ人間が2つのパラレルワールドに同時に住んでいて、一人は会社員、一人は個人事業を始めたと仮定しましょう。
会社員は仕事上のインフラや書類整理や所得税の面倒を全部会社が見てくれています。彼の日常は99%自分の得意分野だけで力を発揮することになります。その成果は会社と社員とがシェアします。
個人事業はどうでしょうか?事業主は会社の経理や税務、そして人事も含めて全てに気を配らければ事業が成り立ちません。彼の日常において自分の専門性を発揮して活動できるのはせいぜいは50%程度であり、何か問題があれば本業に打ち込める時間は働ける時間の4割程度まで圧縮されます。
企業で活躍してきた社員が自分のスキルや知識を評価して、それをそのまま自営業に持ち込んで営業することができると考えるのは、ごく自然な人間の心理ですが、現実的には社員生活と自営業生活は全く異なるもの( completely different ball game ) です。
会社員時代に仕事が「できる」人が、そのまま自営業に転身すれば、すぐに成功するという考えは大間違いなのです。
失敗が許されない経理処理
本業の中で失敗の許されない部分を考えるとき、飲食業であれば「食材を腐らせない」ことや「店内を清潔に保つ」ことであり、接客業であれば「客先に失礼にならない」ことや「不快にさせない」ことです。
しかし、ここで忘れてならないことは明確な経理と税務申告。そのための日々の伝票処理、記帳、損益計算、資金繰り計算です。
この部分をおろそかにすると、足元の会計年度だけでなく、1年後、2年後の税務申告まで負の影響を受けます。
馬国においても税務申告は厳格に審査されます。特に個人経営を始めている外国人は目立ちますから、チェックの対象になりやすい。
馬国政府は従来から最高学府であるマラヤ大学の優秀な卒業生を税務当局(IRB)に優先的に受け入れる施策を続けています。IRBに勤務する馬国人ほど優秀な馬国人はいません。英語も完璧であり、中には有る程度日本語を話せる職員までいます。絶対に侮れません。
何より忘れてはならないのは馬国の税法は変化が激しいこと。その変化はよく見ていないと、前年度までOKだった経理処理が次年度から違法になるといったことが毎年のように発表されることです。
筆者の場合は、起業初年度に自宅のあるコンドミニアムの一室の家賃を「費用」として損金参入(所得税の計算時に課税対象から除く)をしていたのですが、2年後にこれが認められなくなり、遡って問題視されたために追徴を受けています。
所得税は会社経営のコストの一部であり、毎年の税務申告時には納税額(筆者が経験した期間では、課税所得の22%以上)は非常に重い負荷として資金繰りに跳ね帰ってきます。
経理処理は片手間では絶対に無理。
本業と経理・税務を自分ひとりで全部でまとめられる人はまずいません。
会計係を見つける
2002年以降、筆者は知人の紹介で一人の若い会計係(アカウンタント)を雇いました。彼女は大卒ではないが馬国の職業校で経理の免状を履修していましたから、個人事業の経理ぐらいは楽勝でこなせましたし、何より、現地の税務当局への問い合わせることで、つまらない申告ミスや誤解を封じ込めることができました。
この日から筆者の毎日の仕事の半分はこのアカウンタントに移り、筆者は開業して始めて本業に専念することができました。そして、社員は5人以上に増え、本当の意味で自営業らしくなったのです。
当時の彼女の給与は 2,500 RM 前後でした。若くして結婚したが、子供を持った後に離縁してシングルマザーでした。子供とのふたり暮らしの生活費を確実に払ってくれそうな日本人の起業家のアシスタントは悪い仕事ではない。日本人に雇われることは、不安定な現地の会社に勤めるよりも「安全」である場合が多いのです。なにしろ当時の馬国の中小企業は毎月同じ給与を同じ時期に支払うという習慣がないので、従業員の収入は雇用されていても不安定な場合が多かったのです。(今はどうでしょうか?)
彼女は筆者が力尽きて事実上会社を解散する瞬間まで、非常によく働いてくれましたし、ただの一度もおかしな行動はありませんでした。
それどころか、彼女は会社が債務超過に陥った場面で、筆者個人が所有する車(日本社)を会社が買い上げるという取引を思いついて、巷の銀行から短期ローンを捻り出すというファインプレーをしてくれました。スーパーガールです。
その後、筆者が会社を手放してある馬国人に雇用されることとなった際、筆者はこの会計係の再就職だけは絶対に間違いが無いよう、天才ビジネスマン社長に頼み込んで転職をアレンジしました。今どうしているか連絡は取れていません。ご多幸を祈りたいものです。