【馬国】マレーの真実(9)

馬国

前回に引き続き “WOODCUTS” を紹介するが、今回はその最終章である。

この話は、ペラ州の奥地に暮らすスマトラ島出身のマンダイリン人の集落を舞台に、サイに襲われた男の死と、その遺体の発掘をめぐる英国植民地行政と村人たちの対立を描いたものである。

最後まで読むと、題名”WOODCUTS”の意味がわかってくる。英語の woodcut には、「木版画」「木版彫刻」という意味がある。スウェッテンナムは単なる木版画というより森林の中の出来事を一枚ずつ切り取った情景画というタイトルを考えたのだろう。

つまり、この作品の題名は、森林と共存する生活を一枚一枚の版画のように描いた「連作風景画」だったのだ。

これを邦題とするなら、例えば

  • 『森の情景』 自然な日本語
  • 『密林の絵模様』 マレーの森林と、そこで繰り広げられる人間や動物の営み
  • 『森の木版画』 原題の直訳に近く、文学的な比喩

といったタイトルになる。

最終話は、単なる野生動物の逸話から、19世紀マラヤの植民地統治、宗教、民族的慣習の衝突へと話題が広がっていく印象的な締めくくりとなっている。

襲われたマンダイリン人

ペラ州のセンガット(Senggat)という場所に、外国から移住してきたマレー人たちの小さな集落がある。彼らは農耕を営む人々で、スマトラ島のマンダイリン(Mandailing)という土地からやって来た人々である。

その集落は人里離れた場所にあり、住民が政府の役人と接触する機会はめったになく、住民は植民地政府の規則についても、ほとんど何も知らなかった。必要が生じた場合には、同じ部族のラジャ・マフムード(Raja Mahmud)という首長が彼らの問題を取り仕切っていた。この窓口以外、彼らは外部との接触を避け、田畑や果樹園の耕作だけに専念して暮らしていた。だから近隣のマレー人たちとの付き合いもほとんどなかった。地元のマレー人たちは、彼らをいささか未開な種類の外国人と見なしていた。

3年前のある朝、この集落の二人の男、インゴネン(Ingonen)とジェスマン(Jesuman)が、シカを探しに出かけた。2人はセンガットからかなり離れたジェルネ(Jerneh)という場所へ向かったが、そこに到着したのは正午を過ぎてからだった。

インゴネンは古いマスケット銃を持ち、ジェスマンは山刀を携えていた。

Wikipediaよりマスケット銃の外観を転載しました。

二人は二次林の中を歩き回っていた。

訳註:二次林(にじりん)とは、伐採、山火事、風水害、あるいは農地の放棄などによって一度破壊された森林が、人の手による植林ではなく、自然の力(天然更新)によって再び再生した森林のこと

そのとき、インゴネンの数歩後ろを歩いていたジェスマンは、一頭のサイがインゴネンに向かってまっすぐ突進してくるのを目撃した。

インゴネンは発砲した。しかし、サイはそのまま突進し、不運な男を角で突き上げ、その体を乗り越えていった。ジェスマンには、友人が「アッラー! アッラー!」と叫ぶ声が聞こえた。しかし、彼には友人を助ける手段がなかった。そこで、できる限り急いでジェルネへ向かい、起きたことを報告した。

直ちに二人のマレー人がジェスマンに同行し、事故現場へ戻った。彼らが到着すると、インゴネンは仰向けに倒れ、全身血まみれで、見るも恐ろしい傷を負っていた。しかし、まだ息はあった。

サイはその場を離れていたが、それほど遠くないところから、まだ鼻を鳴らすようなうなり声が聞こえていた。インゴネンの胸には大きな穴が開き、両方の太腿の裏側にも深い傷があった。彼は絶え間なくうめき声を上げながら、「家へ連れて帰ってくれ」と言った。

人々が彼を抱き起こすと、胸の穴から濃い血が勢いよくあふれ出した。ジェルネへ向かって運ばれている間、彼にできたのは、うめき声を上げ、弱々しく、「アッラー! アッラー!」とつぶやくことだけだった。

インゴネンは、担ぎ手たちがジェルネに到着する前に息を引き取った。遺体はその日の夕方、センガットの集落へ運ばれ、翌日、モスクを管理する宗教指導者の指示によって埋葬された。

死因を疑った英国植民地政府

この事故についての報告は、最寄りの植民地政府出張所へ届けられた。

ところが、一人のマレー人刑事が、その話に疑いを差し挟んだ。彼は、何者かによる犯罪の可能性を示唆し、死んだ男は「同行していたジェスマンに銃で撃たれたという噂がある」と述べたのである。そこで地区の行政判事は、一人のヨーロッパ人官吏に対し、医療助手を伴ってセンガットへ行き、遺体を掘り起こして調査するよう命じた。

埋葬の翌朝早く、この官吏は命令を実行するためセンガットの集落へ向かった。同行したのは、現地人の医療助手であるタミル人一名と、その地区のマレー人首長だった。この地区の行政区画は、マレー人の言葉で「ムキム(mukim)」と呼ばれている。

訳註:馬国に長期滞在のみなさんは既にご存知の通り、ムキムは「地区」や「区域」といった意味で非常に一般的に使われている単語である。

3人は幹線道路を6マイルほど歩いた後、密林の中へ入った。そして数分もすると、センガットの谷を見下ろす場所へ出た。村は普段、人目につかない場所に隠れていた。しかし、マレーの風景の美しさを理解できる者にとっては、限りなく絵画的で、魅力にあふれた場所だった。

最初に村の姿が見えたのは、細長い谷を見下ろす小高い丘の上からだった。谷の中には、小さな澄んだ小川が曲がりくねって流れていた。その小川の水は、かなり広い水田を潤していた。田植えを終えたばかりの水田は、鮮やかなエメラルド色に輝いていた。水田の奥の高いところには小さな丘があり、頂上には、板張りで造られた風変わりなモスクが建っていた。

作品を読んだChat GPTが作画したものです。

谷全体は、起伏のある土地に囲まれていた。そこには濃い緑のコーヒーの木々、果樹園、そして密林が広がっていた。ヤシや果樹の豊かな葉の間からは、草やアタップの葉で屋根を葺いた茶色い小屋が、ところどころに見え隠れしていた。さらにその向こうには、紫色にかすむ遠くの山々がそびえていた。

実に素晴らしい朝だった。雲一つないサファイア色の空から、東洋の太陽が、あたり一面に光と色彩を降り注いでいた。

集結した村人たち

村人たちは、明らかに来訪者を予期していた。3人の姿が現れるや否や、モスクのそばの丘に立っていた数人の男たちが、大声で警告を発した。

すると直ちに、どの家からも男や女、子供たちが飛び出してきた。人々は歩き、走り、あるいは斜面をよじ登りながら、モスクへ向かって集まった。三人の訪問者が谷へ下り、小川を渡り、モスクのある丘に到着する頃には、村の住民全員が集まっていた。

地元の首長であるラジャ・マフムードは不在だったが、彼の代理人とモスクの宗教指導者が、英国人官吏の説明に耳を傾けた。官吏は、自分たちが何のために来たのか、また、そのような措置が必要になった理由を説明した。つまり、埋葬された遺体を掘り起こすというわけだ。

ラジャの代理人と宗教指導者は「墓を開くことはできない」と言った。埋葬は正しい手順に従って行われた。墓を開けば、遺体に太陽の光が当たってしまう。しかも、医療助手のタミル人は間違いなく遺体を切り刻もうとするだろう。これらはすべて、官吏の要求を拒否する十分な理由である、と彼らは主張した。

女たちは、男たちがこうした異議を唱えているのを聞くや否や、子供たちを連れて一斉に移動した。そして、モスクのすぐ前、わずか数フィートのところにある、埋葬されたばかりの墓の上に座り込んだのである。

モスクの前には、小さな竹製の台が設けられていた。そこには片流れの屋根がついており、英国人官吏はその下で村の長老たちと議論を交わした。しかし、何を言っても無駄だった。

多数派の態度は頑として変わらなかった。

しかも、その多数派は実に大勢いたのである。その間、約四十人の女と子供たちは、墓の上に身を寄せ合ってしゃがみ込み、激しい調子の哀歌を歌い始めた。その歌の繰り返される部分は、どうやら官吏に対し、死者をそっとしておいてほしいと懇願するものだったらしい。

この光景は、実に奇妙で絵画的だった。

Chat GPTによる想像図。

風変わりな衣服をまとった人々が、すでに印象的だった風景に、さらに新しい色彩と生命と出来事を加えていた。しかし、その光景の美しさも、自分の目的を阻まれた官吏の不満を、完全に埋め合わせるものではなかった。

議論が無駄だと分かると、官吏は、墓が開かれ遺体が掘り起こされるまで、そこにとどまり続ける決意を告げた。ただし、村人たちが最も強く反対しているのは、タミル人の医療助手が遺体に触れることらしかった。そこで官吏は、医療助手には遺体に手を触れさせないことに同意した。

それでも、宗教指導者と首長の代理人に鋤を取りに行かせるには、同行してきたマレー人地区首長が、その権威を行使しなければならなかった。

やがて道具が運ばれてきた。しかし、女と子供たちは、いっそう固く身を寄せ合って墓を完全に覆い、さらに甲高い声で哀歌を歌い続けた。地元の指導者たちも、どうしたものかと途方に暮れている様子だった。こうして事態は再び行き詰まった。

そのとき、英国人官吏に妙案がひらめいた。

彼は尋ねた。「マンダイリン人というのは、女たちに支配されているというのは本当なのか?」

ラジャ・マフムードの代理人は、この質問には答えなかった。ただ立ち上がると、女たちを追い払ったのである。

それから、幅の広い白い縁取りのある真紅の布が、四本の柱に張り渡された。墓の上に日よけを設け、棺に太陽の光が当たらないようにするためである。そして三人の男たちが、いかにも気の進まない様子で土を掘り始めた。

作業は何度も中断され、そのたびに休憩が入った。しかし、ついに掘り起こしは完了し、恐ろしい傷を負った哀れな遺体が、人々の目の前に現れた。死因については、もはや何の疑いもなかった。医療助手は、遺体を見ることさえ許されなかった。

遺体を見た英国人官吏は、不快な再埋葬の仕事を村人たちに任せ、自分の駐在地へ戻っていった。死後二日経った遺体と関わる必要がなくなったことに安堵した。

あくまで個人的な感想であるが、この逸話のラストシーンは、女たちが追い払われる場面までで充分だったと思う。実際の掘り起こしの段落は必要なかった。あるいは、「ついに掘り起こしは完了し、恐ろしい傷を負った哀れな遺体が、人々の目の前に現れた。死因については、もはや何の疑いもなかった。」と締めくくればよかったように思える。

遺体を掘り起こす場面は、この逸話のタイトルである『森の木版画』(WOODCUTS) にはそぐわない。

最後までご覧いただき、ありがとうございます。

次回は、同じ書籍から、別のエッセイを紹介する予定です。

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