アイキャッチ画像はFacebookにアップされたカマルディン大臣就任祝賀メッセージ。発行元は馬国のカンパー地区議会名義となっている。2021年にカマルディンさんが「住宅・地方自治体担当大臣」に就任したことを讃えるもの。 ℅ Majlis Daerah Kampar, 11 Feb. 2021
前回の列伝記事で、華人代議士のテレサ・コックさんの超人ぶりを紹介したので、今回は、いよいよマレー社会の女性政治家の頂点にあると言って良い偉人を紹介します。
恐らく、このズライダ・カマルディン代議士(正式にはDatuk Zuraida binti Kamaruddin)についてよくご存知の長期滞在者は本当に少ないのだろうと思います。素朴で飾り気のない真面目で地道なキャリアを積んできたマレー人女性なので、マスコミで騒がれたり、SNSで炎上するようなことはほとんど無かったようです。
ところが、この国の女性の躍進と社会貢献の実績は「驚くべき」ものなので、初めて見聞きする人は誰もがこの人のパワフルな言動と行動力に感心してしまうのです。
この人の情報を持っていない外国人は、マレーシア通とは言えませんし、逆にマレー人社会に関わりのある人はビジネスで、主婦の話題で、井戸端会議でカマルディン議員の話題を出すことで、ちゃんとマレーシアを勉強した人という評価を受けることができるわけです。
力強い来歴
カマルディンさんの政治家としての輝きは、なみいる男性政治家のほとんどを圧倒してしまうものですが、それを全く感じさせない(この国でよく見かける)マレー人女性の雰囲気からは窺い知ることができません。
1958年にシンガポールで生まれた彼女は、偶然にも筆者と同じ年齢ですが、彼女は1980年代に外資系企業を次々とジョブホッピングした経歴の持ち主で、そのキャリアには、日系の Chuo Senko Group や、化粧品の AVON、保険のAIAで実績を上げ、1990年代には馬国内の大手であるペトロナスやテキサス州の日系科学会社でも働いた経歴があります。担当業務は社員の育成・開発や品質保証でした。
関わった企業名は全部準大手や大手で、その実績は「枚挙にいとまがない」ほどの数です。
ところが、大物政治家の経歴とはことなり、学歴を強調する記事がほとんど見当たりません。Facebookの情報ではシンガポール大学の社会科学の学士号のようです。
つまりこの人は、庶民的な「草の根」運動を積み重ねるタイプで、典型的な、そしてパワフルな「たたきあげ」タイプの政治家なのです。
都市部選挙で異例の当選
カマルディンさんが初めて下院議員として出馬したのは、長期政権のマハティール首相の後をついだ与党連合のバダウィ政権が、マレーシア60年の歴史において初めて下院議席の3分の2を確保できなくなった 2008年。その選挙区は、なんとクアラルンプール(KL)のど真ん中のアンパン選挙区(約7万の投票者)でした。しかも当時新人のズライダ・カマルディン(51歳)は、当時圧倒的だった「統一マレー国民組織」通称UMNOの独壇場に対するPKRという野党新党から出馬していたのです。以下は、彼女自身の後日談。この年の投票総数は約51,000票でした。
多くの人から『この選挙区では勝てない』と言われました。23,000票もの郵便投票というのがあって、与党(UMNO)は必ずその組織票を取って選挙に勝つと言われていたからです。与党との得票数の違いは23,000票だったわけです。あまりにも与党に有利な地区でしたから誰も立候補したくないんです。もう負けるのは確実と思われていたので。(中略)私は、そんなの構わない、頑張ろうと思ったわけです。与党が23,000票も勝っているけれども、人とも馴染んできた、いろいろコミュニティで活動もしてきたから、私の顔は知られているんじゃないかと思って立候補しました。神様のご加護のおかげで、私は2008年の選挙に勝ちました。3,600票の差をつけて計26,500票をいただいて勝つことができました。
(2019年9月6日、笹川平和財団での講演)
これは、現代の日本で言えば、都内の港区や千代田区の衆議院選挙で、比較的若い野党(例えば国民民主、あるいは日本保守党)から出馬した51歳の女性議員がいきなり当選したようなものであり、まさに脅威的な結果です。
勝因はカマルディンさんが居住していたアンパン選挙区で2007年から行ってきた、政治改革に向けた地道な社会貢献と各種活動の積み上げであり、彼女はキャリアー組として多くの企業で培った活動力で市民の承認を得ていたというのです。
その後、5年ごとの総選挙(下院議席)でも、彼女は2013年と2018年に、それぞれ59%、 71%で他の候補と大差で勝利。続く2022年に、同じPKR党の新たな候補に票田を譲っているのです。驚くべき実績です。
因みに、2013年は史上最大の首相による汚職であるナジブ政権下での与野党の争い、そして2018年は、遂に最大与党が崩壊して、マハティール首相が、野党に鞍替えして、ナジブを失脚させ、自身が首相に復権した年。まさにマレーシアの歴史が動いた年でした。
国会の混乱期に入閣
2008年に下院議員となった時点で彼女はPKR党の女性議員代表(チーフ)となったのですが、このPKRが、ナジブ政権陥落後の連立政権に参加する頃には、彼女は新たな与党となった連立政権であるPakatan Harapan 連合政権の女性議員代表(チーフ)に就任します。
2021年以降、激動する連立政権下において、持ち前の行動力を発揮した彼女は、マレーシアの住宅省担当大臣、プランテーションと一次産品の担当大臣に抜擢され、目まぐるしく変わるマハテール氏やヤシン氏の政権下の執行部で活躍しいています。
女性議員としては群を抜いて活躍しました。
女性のエンパワーメント
ズライダ・カマルディン大臣は、あらゆる場面で女性のタレントの最大活用、女性の持つ公的権限の拡大や確保に専心してきました。そのためには海外でも講演を行って、マレーシアがいかにして女性の活躍を支援していくべきか主張し続けています。
先に紹介した2019年9月6日の笹川平和財団での講演から、特筆すべき発言を紹介します。
私は政治の世界に足を踏み入れた時から、女性はもっともっと自信を持つべきである、自らを評価すべきであると、国づくりにもおおいに役立つべきであると思っておりました。女性がいなければ、子どもも生まれないわけですから、国など立ち消えてしまいます。
私はイスラム教徒の女性です。マレーシアでは大きな問題ではありませんかと言われます。イスラム教徒だし、女性だしということで。いやいや、そうじゃありません。男も女も神の前では平等なんですよ、同じなんですよということをいつも言っております。
キャリアウーマンであろうとそうでなかろうと、(社会は)もっともっと(女性に)敬意を払うべきだ、評価すべきだと思います。未来の世代としての子どもを生むのは女性だからです。ですから、自らもやはり自尊心を持つべきであり、そして国に貢献しているのだから、もっともっと自信を持っていいと思います。
2004年の夏頃でしたか、もうこんなのはやめようと、もう飽き飽きだと思ってしまいました。ただ周りの女性たちが、いやいや、辞めないでくれ、もっともっと頑張ってくれと言ってくれたので、何とか私は続けることができました。やはりリーダーを必要としている女性たちは、やはり彼女たちの旗振り役が必要だと思ったわけです。
われわれは30%のクォーターを導入しました。北京宣言にマレーシアは署名しています。ところが実践はされていなかった、エンパワメントされていなかった。ですので、あらゆるレベルにおいて30%の女性参画目標を入れたのは、わが党が最初の政党です。
「スリカンディ」と呼ばれる若い女性チームを作りました。スリカンディは、若い女性戦士という意味なんですけれども、若い年齢の女性を女性部門の支部に入れるのです。この若い人たちは、18歳から35歳ですけれども、「政治って汚いんでしょ。私、そんなのに関わりたくない」と言う人が多いんです。そこで私は若い女性たちに訴えます。「政治を、権力や権限を手に入れるものとして見るな」と。「そうじゃなくて、あなたの国民の福祉のための貢献というふうに考えてください」と。つまりそれは現場に行き、そこに住んでいる市民の生活をよくしなくてはならない、改善しなくてはならないということであります。そうすると、実際に、特に女性の生活を変えることができるということです。
そしてやっと今、下院の女性議員比率は、13%です(2019年当時)。5人の女性閣僚もいます。過去には1人2人しか女性閣僚がいなかったという時代もありました。今、副大臣は4人います。さらに汚職防止庁長官をはじめ長官職や局長職で女性が増えております。判事、裁判長も女性で、多くの判事は女性です。こちらにリストを掲げておりますけれども、銀行出身、軍隊出身、あるいは主要テレビチャンネルの人とか、判事2人、また会計検査院の長官も女性です。
妊娠する、赤ちゃんを産む、母乳をあげるという3つ、男性が絶対できないことをできるので、女性の方が優位に立つべきじゃありませんか、本当のところは。もっともっと自分を評価すべきです。われわれの母親たちは古い考え方を持ってるかもしれませんけども、もっともっと国の発展に尽くすということ、将来の世代を育てるということ、もっともっと誇りを持っていただきたいと思います。
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