アイキャッチ画像は、オーストラリア立法府の議会。馬国と同じでイギリス政府の影響で、議場の設計が馬国の下院とよく似ています。 photo by envato elments (all rights reserved)
筆者は、これまで日本語の解説文章が見当たらないマレーシア(馬国)の国会、則ち立法府、の構造と議会運営を調べて解説してきました。過去の記事はこちらです。
しかし、これらの情報は、英文の wikipedia によるもので、上院と下院の位置付けについての最近の馬国内の有識者の声ではありません。
本日のオンライン報道は、馬国国会の上院と下院の「両院制」による立法構造の歴史的な背景や、馬国の上院についての政治的位置付けを再確認したものとして、とても貴重です。
特に、馬国の「元老院(つまり上院、Senate)が、どのように考えられているかはっきりと報道されているので興味深いです。参考までに、最近の元老院の報道を紹介した記事がこちらです。(2024年7月に可決された法案を報道したまで)
報道文章がよく出来ているので、そのまま日本語にしました。
元老院の立ち位置と歴史について
英文記事のタイトルはサバ州・サラワク州の議席に言及していますが、記事の内容は、もっと広範囲です。戦前のシンガポールの議席数も含めた史実が含まれています。
- Sabah, Sarawak must push for one-third of seats in both Houses, says analyst
- FMT Reporters 15 Sep 2024, 11:56 PM
政治アナリストのジェームズ・チンは、サバ州とサラワク州に上院(Dewan Negara)の議席の3分の1を割り当てるべきだという提案に反対意見を表明した。提案は下院(Dewan Rakyat)で議席数の変更を行うよりも現実的だという主張に基づくものだった。
タスマニア大学のアジア研究教授であるチンは、東マレーシアの両州は上院・下院のいずれかではなく、両院において議席の3分の1を主張すべきだとしている。
彼は、上院には政治的権威がほとんどないとし、その理由として上院議員が国民によって選出されているのではなく、(一定のルールで)任命されている点を挙げた。
「これが、長年にわたり上院での討論が下院(代議員)での討論ほど注目されてこなかった理由だ。また、多くの上院議員は、一定の政治活動の後に『報酬』として議席を得ていると見なされている」と彼は声明で述べた。
そのため、上院には最盛期を終えた政治家が多く存在していると彼は指摘している。(注:原文では retired と書かれているが、上院議員を指して引退した政治家とするのは不自然なので表現を調整しています。筆者)
また、重要な法律は下院で提出・審議され、実質的な討論は下院で行われていると説明。主要な政治家の大半は総選挙で代議員(MP)として選出されており、(政治家と言える人物は)主に下院から来ているとも述べた。
上院に議席を持つ大臣は、上院に指名されることで大臣の職に就くため、一般的に「裏口」大臣と見なされているとされている。この事実も、下院が上院よりも重要視されていることを示していると指摘した。
さらに、上院は法案を阻止する権限を持たず、遅延させることしかできないとにも言及。連邦憲法第68条によれば、特定の条件下で下院からの法案は上院を通さずに国王の承認を得ることが可能であるとも述べた。
財政関連法案について言えば、上院に渡された後、1カ月経過しても意見の一致が見られない場合、下院議会は上院を迂回できる。財政以外の法案の場合は、1年間の行き詰まりが続いた場合に限りこの手順が適用される。
ただし、全ての憲法改正は上院を通過しなければならない。
(歴史的背景としては)1962年のマレーシア政府間委員会報告の内容から、当時の憲法の起草者は、シンガポール、北ボルネオ、サラワクにマラヤに対する拒否権を持たせる意図があったことを明らかにした。マラヤが自由に連邦憲法を変更するのを防ぐためだったという。
教授によれば、1963年のマレーシア協定に基づく下院議会の構成は、マラヤに104議席、サラワクに24議席、サバに16議席、シンガポールに15議席が割り当てられていた。
この構成は、シンガポール、サバ、サラワクがデワン・ラキアットで拒否権を持つことを保証するためのものであった。しかし、1965年にシンガポールが連邦を離脱した際、その15議席はボルネオの2州に再配分されなかったという。
そして、時間が経つにつれ、徐々にマラヤ(マレー半島側)の議席数が全体の3分の2以上に増加したとしている。
参考 Jamese Chin 教授
- PhD, Victoria University of Wellington
- BA (Hons), University of Sydney
- BA, University of Adelaide
ジェームズ・チン教授は、サンウェイ大学のJeffrey Cheah Institute on Southeast Asiaでガバナンス研究のシニアフェローおよびディレクターを務めています。また、タスマニア大学でアジア研究の教授を務めています。マレーシア政治の著名なコメンテーターであり、マレーシアおよびその周辺地域に関する幅広い出版活動を行っています。特に、現代のサバ州とサラワク州の研究において、最も優れた学者の一人と広く評価されています。
以前は、シンガポールの東南アジア研究所(ISEAS)のシニア・ビジティング・リサーチ・フェローや、マレーシア・モナシュ大学キャンパスの政治学教授を務めていました。学術界に入る前は、マレーシアとシンガポールでジャーナリストとして働いていました。
彼の最近の主な著書には、『マレーシア・ポスト・マハティール: 変革の10年?』(2015年)、『50年のマレーシア: 連邦制の再考』(2014年)、および『アウェイクニング: アブドラ・バダウィのマレーシア時代』(2013年)があり、主要な学術誌・出版物に多数の論文や寄稿を発表しています。
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