この投稿は、本編「実録:馬国で育つ」の詳細記事です。
筆者の長男が2017年に馬国の医科大学(IMU)を卒業、そして最大の難関である厚労省の医師国家試験の予備試験に挑む日々が始まると
その後の本人のプロ医師への道や人生設計について大きな分岐点にさしかかりました。
この時期になると、私たち両親には門外の分野が広がっており、何をアドバイスすればよいかアイデアがありませんでした。
それでも、長男にには恩師といえる人物との出会いがありました。馬国滞在中に、何度か面会する機会を得た東京大学のZ教授です。教授は一時期、馬国に赴任されていたのだそうです。
その教授から、東大の大学院(!)の入試を紹介いただいたのです。
東大の大学院に「医学系研究科」が在り、そこで募集している「国際保健学」の修士課程が長男の進路に合っているのではというお話でした。
東大の修士
「国際保健学」というのは、複雑な東大の学科構成の一部で、特に講義を英語だけで行うというユニークな修士課程です。
基本的には研究者を要請する学科ですが、数年間の教科で修士の学位を取れます。
国際保健学というのは、かなり専門的な分野であったようですが、英語だけの講義という前提なので、外国人の受験者が多い修士課程。
長男は2年の修士課程の受講を志望して、この「国際保健学科」の泰学院の入試に挑むことにしたのです。
人生設計
医師国家試験への通り道である「予備試験」のハードルの高さに圧倒されていた長男は、
単に医師をめざすとは別に、保険をかける計画をもっていたようです。
何故なら、東大の医学系研究科は「研究者」を要請する場所であり、単なる「学位の取得」とは少し違った形、国際貢献の道を示唆するものだったからです。
「予備試験」の突破が出来ないという場合、長男は医師の免許をとれないという事態に陥ります。
それでも東大の研究科で修士を取っていれば、将来は研究社として博士号をとったり、教授を目指したりという道が開けるわけです。
医学生として、ここまで来たのだから、「予備試験」に合格できないのであれば、別の道もあるという考えです。
日本の医療界に入って来て「予備試験」に挑んでいる志願者は、世界中から集まっています。非常にレベルが高く、競争が激しい中、10年以上も受検しつづけていた人もおられる志願者もいると聞きます。
10年も浪人すれば、長男は40歳になってしまいます。
赤門を通る
筆者の父は高卒。私たち夫婦は一般の大卒です。
いわゆる「学歴」には辟易していました。
日本を飛び出して「海外で子供を育てる」という目標を持った家族ですから、
長男が東京大学の入試に合格して2年間の修士を取ったという事実は、私たち夫婦にとっては、全くの想定外の結果。
長男が「東大の赤門をくぐる」という事は私たちの「子育て」の結果としては期待を上回る結果だったのです。
私たちには、長男が「研究者になる」という人生の保険を考えたこととは違う意味があると思えます。
「東大卒」というクレジットが長男の将来にマイナスにはならないはずです。
しかし、恐るべきは、馬国のIMU(国際医療大学)です。卒業生のレベルが高いはずです。
日本は「高齢化+少子化」時代に入りました。
海外で育った学生が、帰国子女と呼ばれてなんとなく日本の学歴から疎外されるような文化があったとしたら、
恐らくそういう文化や風潮は、今後は無くなっていくのではないでしょうか。