この記事は本編「がちで起業」の詳細記事(ぶら下がり記事)です。
馬国で自営業を起業して(馬国人の社会に入り込んで)商売をするとなると日本の常識は「邪魔」になってきます。
日本的な「あるべき論」を意識していたら馬国での仕事はできません。
大企業の一員として馬国で仕事をする方も、この記事はぜひ参考にしてみて下さい。この国に20年住んだ筆者の捉え方です。
「約束」とは
日本の道徳教育は、「個人の利害ではなく社会の約束事とルールを最優先すべし」という教えを日本社会に浸透させてきました。
この
「約束を果たすためには個人の利害を犠牲にすることもある」という日本的な考えは海外では必ずしも通用しません。
過剰な自己犠牲は「人間の自然な生き方に反する」と映る場合があります。
例えば、朝の8時の集合を約束したなら、多少の雨風や交通渋滞があっても、しっかり対応して8時に集合するというのが日本の常識。できれば15分ぐらい早めに集合場所に到着したいというものです。
馬国の場合はだいぶ違います。
中東諸国の言語に「インシャ・アッラー」という言葉があるとおり、人間という弱い存在が物理的な約束を果たせるかどうかは、人間より遥かに崇高な存在(たとえば神)の意思と指導の下ではじめて成就するものであるとする「教義」があります。これが「自然」だと捉えています。
馬国の場合、体調不良は言うに及ばず、天候の悪化や交通渋滞なども全てが「自然」の成り行きであるという意識があるようです。
従って「約束を守る」という行為は常に
「当事者間を取り巻く自然の成り行きが許せば守れる」
という条件が付くわけです。
約束を守れない場合、日本で許されるのは「天変地異」や「緊急事態」などの「不慮の」トラブルだけであり、悪天候などの「自然」の影響は無効。まして交通渋滞は「自然」の成り行きの定義には入りません。
では日本人は徹頭徹尾約束を守っているか?といえば・・・
恐らく40年前の会社員が「這ってでも出社せよ」と言われていた日本文化が、今、完全否定される時代に来ていること。
「終身雇用」という死語に含まれる「よほどのことが無い限り会社を辞めない」という文化は今の日本には無いという事実があります。。
そういった日本社会にある変化を考えると、日馬間の「約束」に対する意識の違いは「世界の常識のふれ幅の範囲」に見えてきます。
実例1
筆者が日本企業で働いていた頃、よく馬国の下請け会社に出向いて「納期遅れ」や「提出書類の遅れ」について、日本人文化の強みを吹聴するように、「こんなに遅れる仕事は誰も評価しない」と高飛車に相手を攻撃していたものです。
しかし、自営業に転身して当時の下請け会社の経営者に再会したりすると、思いもよらない馬国人の本音を聞かされます。
彼ら曰く
「あのとき、あたなたが来て机を叩いてクレイムして帰ったあとに、僕ら経営者はあなたが相手にしていた社員を励ましていた。」
「君は偉い!よくあの横暴な日本人の理不尽な態度に耐えてくれた!」
つまり
彼らの社員評価は、期日を守ることではなく、日本人の約束至上主義のドグマによる「異文化間のパワハラ攻撃」に耐えることだったのです。
「お客様は神様」という概念は馬国には無いわけで、仕事が遅れるのは自然の成り行きだから、怒ってもしかたがないという考え方です。
全ての人間は「人間の力の及ばない自然」の影響下で平等に生きているのだから、ひとりひとりができるだけの努力をしていることを認めよう。人を指さして心理的に責めてはいけないという考え方です。
異論もあります。
馬国には、日本人と同じような道徳観で約束意識を守っている会社(華僑の経営に多い)も見られますが、この場合の約束厳守の態度は日本や先進国の約束文化を取り入れることで海外の客先の信頼を得ようとする「企業戦略」であり、必ずしも彼らの道徳ではないです。
「信頼」とは
相手の信頼度を心配せずに、銀行の仲介すら排除して取引を成立させることができるブロックチェーン技術が諸外国で支持を得ています。
これが日本で盛り上がらないのは、日本のビジネスが「最初に信頼ありき」だからです。
この「信頼関係」について考えてみると、今度は日本人の側に「厳しさが足りない」という声が聞こえてきます。
何故なら、日本人は「あまりにも安易に相手を信頼してしまう」からです。
このことは、私たちが馬国人に対して「あまりにも安易に約束を破る」と思うことの裏返しのように見えます。
馬国の個人事業主と話をしていると、あらゆる仕事の中に
Don’t trust (信用するな)
というキーワードが出てきます。
馬国人の社会では、「相手への信頼」をベースに取引するのでなく、「約束が反故になったり裏切られたりした場合の対処法」を準備して仕事をします。
つまり、「相手は信頼できない」ということがビジネスの前提なのです。
馬国の自営業は「相手が信頼できない」という出発点がないと成立しないというわけです。
多民族国家の特徴ともいえます。
実例2
馬国民のうち私企業や自営業で働いている割合は半分以下(多くは公僕)ですが、彼らは自分を雇用している会社なり個人なりが長期に亘り毎月決まった日に決まった額の給与を支払ってくれるとは考えません。
この話は私たち日本人には、俄には信じられない話です。
しかし、馬国の企業文化においては数10年という長い雇用期間を通して(1)毎月同じ日に(2)銀行振込で(3)同じ額を支払ってくるようなことはあり得ない(出来ない)のが現実なのです。
そして馬国人は日本の企業社会でもそのようなことが出来ているとは思いません。
馬国に在住の方は、一度知り合いの馬国人(ごく親しい人)にこのことを聞いてみてください。政府などの公共機関の職員ではなく、自営業や私企業に務める人が対象です。
まとめ
別の記事で、かつて筆者が所属していた日本の事業に馬国の諜報員が紛れ込んでいた事例を紹介しました。これも「信頼しない前提」のビジネス文化です。
■ 日本は「信頼できない相手とは最初から取引しない」社会
■ 馬国は「信頼できない人や会社と取引せざるおえない」社会
信頼できる相手が皆無であるとは言いませんが、もしそういう相手が居たとしても、いつまでも信頼しつづけられるという考え方はしません。
民度が高いとか低いとかの話はここでは「無し」です。そういう評価を持ち込むと馬国に住むこと自体考え直すことになってしまいます。
この記事を読んで「筆者は変人、あるいは偏見がある」と思うかもしれません。反論はしませんが、そう思われた方には馬国での自営業はお勧めしません。
こういった文化や経済活動が「間違っている」と考えるなら馬国で事業をしても違和感を感じ続けるだけで何の成果も得られないのです。