馬国人列伝 02:アナンダ・クリシュナン

馬国

本日のアイキャッチ画像は、Flickr に投稿している写真家Thomas Hawkさん作品。ライセンスはこちら

馬国人列伝は、マレーシアのオンライン報道で取り上げられた馬国出身の有名人・偉人・奇人を紹介している。

大手メデイアは少なくとも年に1度ぐらいはマレーシアの長者番付を報道する。誰がこの国で一番金持ちなのか知ったところで、一般庶民の懐具合は変わりはしないのだが、

少なくとも馬国に住んだり、馬国の知り合いと世間話をする上で、知っておいて損はありません。ご多分に漏れず、多くのマレーシア人は大金持ちの噂話を楽しんでます。

読者の皆さんも「ロー・プロファイル ( low profile ) 」という表現を聞いたことがあると思います。この表現は、裕福であるかどうかに限らず、とにかく世間に注目されないように、目立たず、大人しく仕事をしたり商売をしたりする人のことを意味します。言外の意味としては、自分の富や権力をひけらかさない慎ましく、徳の高い人物を讃えている感じがあります。

ロー・プロファイルの反意語は多分「ハイ・プロファイル」なんですが、なぜかハイ・プロファイルという表現はあまり聞きません。

さて、マレーシアで最もロー・プロファイルな大富豪と言えば、その筆頭にくるのは、間違いなくスリランカの血筋を持つマレーシア人のアナンダ・クリシュナでしょう。去る11月28日に86歳の人生を終えて旅立ちました。

この人は、ゴシップや不正疑惑などとは全く縁のない質素で大人しい大富豪でした。筆者も滞在中に何度か人から話を聞きましたが、悪い話は何もありませんでしたし、新聞やテレビに写真や動画が紹介されていたといった記憶もありません。

アーナンダ・クリシュナンを偲ぶ

政府系の通信社、ベルナマの会長、編集長を歴任したアズマン・ウジャン氏の手記を要約して紹介します。(Datuk Seri Azman Ujang was Bernama chairman, general manager and editor-in-chief.)

アーナンダ・クリシュナンを偲んで 

11月28日(木)、86歳で亡くなった億万長者の実業家T・アナンダ・クリシュナン氏は、メディアへの独占インタビューをほとんど行わず、マレーシアの最富裕層の中でも”low profile”として知られていました。  

彼はプライバシーを非常に重んじました。彼が公の注目を避ける理由を語ったものとして幾つかの談話がネット上で参照できます。  

「控えめだと言われることがあります。では、なぜ控えめである必要があるのでしょうか?私はただ自分の仕事をしているだけです。控えめだと言われるなら、それは逆に目立つべきだということですか?でも、なぜ?」  

「AK」(Ananda Krishnanの略号)として親しまれた彼とは、いくつか思い出深い話があります。私が長年ジャーナリストとして国内外で活動していた間のものです。

初めてAKに会ったのは、1993年、ペトロナスツインタワーの建設が始まる数か月前のことでした。彼はマハティール首相(当時)に88階建てのツインタワーの建設計画を提案し、首相からクアラルンプール市中心部(KLCC)での建設を指揮するよう指示されたのです。その土地はかつて「セランゴール競馬クラブ」が所有する有名な競馬場でした。  

思い出すのは、彼がツインタワーの設計図をメディアに公開した記者会見です。

会見後に最初の質問権を得た私はこう伝えました。「このプロジェクトにはそれほど感銘を受けませんでした。クアラルンプールがニューヨークのような街に変わるだけなら、あまり魅力を感じません。」  

AKは私の挑発的な質問に驚いた様子でしたが、「それなら、どうすれば良いと思うのか?」と応答してきました。私は、「大規模なコンクリートジャングルになるのを防ぐためには、周辺に緑地設けて、空間にゆとりを持たせるべきでは?」と答えたのです。  

AKは「了解。その意見を考慮しましょう。」と言い、謝辞を述べました。

その場限りで話は終りだと思っていましたが、2か月ほど後になって彼の補佐官から電話があり、私が会見で提案した緑地公園が計画に取り入れられることになったという嬉しい知らせが届きました。後にマンダリンオリエンタルホテル近くのKLCCエリア内に、まるでジャングルのような広大な公園が建設されたのは皆さんもご存知の通りです。  

もう一つの話は、1996年にフランス領ギアナで行われた人工衛星”MEASAT 2”の打ち上げイベントです。この衛星はMEASAT 1とともに、後に国民的有料テレビネットワークとなった「Astro」(アストロ)の通信基盤となるものです。アストロの普及率は今や全マレーシア世帯の約3分の2に到達しています。  

打ち上げ後、彼はイベントを取材していた少人数のマレーシア人記者団と会いました。質問をする前に、思いがけないことが起きました。

AKがトレードマークとしていたシャツは、襟首のカラーに折り返しが無い「ネイル:カラー」というタイプのシャツだった。写真はモデルであり、AKではない。 image photo by envato elmenets.

彼は私が着ていた特殊な襟首の白いシャツに興味を持ちました。この手のシャツは彼自身のトレードマークでもあるファッションスタイルでした。  

「とても良いシャツですね。」と彼が言ったので、謝辞を返したのですが、それで話が終わりではありませんでした。「そのシャツはどこで作ったのですか?いくらでしたか?」とさらに質問がきたのです。

億万長者である彼がたかがシャツのことで質問をするとは思いもよらず、「億単位の衛星基地を打ち上げたばかりなのに、私のシャツの値段を聞くんですか?」と答えると、周りの記者たちは大笑いでした。  

「ちょっと恥ずかしいですが答えますね。クアラルンプールのフェデラルホテル近くの仕立屋で作りました。値段は200リンギットです。」

するとAKが言うには「それは高い。私のシャツはマニラで40リンギで買ったものです。」彼独特の奥ゆかしい一面が感じられる場面でした。  

3度目(最後)に彼の事務所から連絡があったのは、2004年総選挙の投票日の2週間ほど前でした。

「今日午後2時にオフィスでお会いしたいとAKが言っています。来られますか?」と補佐官が言いました。彼が選挙について意見を求めているとのことでした。残念ながら、その日は運悪く、イポーにいたため時間が足りずお断りしました。

アナンダ氏は非常に特別な人物です。彼のようなマレーシア人は他にいないでしょう。

出典:The Star online,  Friday, 29 Nov 20247:24 PM MYT

Remembering Ananda Krishnan
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アナンダ氏の来歴

次は、malay mail のオンライン報道から彼の人となりを解説

From Brickfields boy to billionaire businessman: How Ananda Krishnan shaped corporate Malaysia 
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Thursday, 28 Nov 2024 8:52 PM MYT

クアラルンプール、11月28日―86歳で亡くなったアナンダ・クリシュナンは、優れた企業をいくつも創業し、マレーシアで最も裕福な人物の一人として浮かび上がることで、マレーシア産業界に忘れがたい足跡を残した。

生い立ちと経歴

クアラルンプールのブリックフィールズで1938年に生まれたアナンダの血統は、スリランカまで遡ることができる。

学歴は、ヴィヴェカナンダ・タミル学校と名門ビクトリアインスティチュートで始まり、メルボルン大学で政治学と経済学の学士号を取得後、ハーバード大学でMBAを取得している。

アナンダは、通信、衛星テレビ、油田サービス、不動産開発などの企業を設立し、育て上げた。これらの産業は、マレーシアの企業界に欠かせない存在となっている。

彼の企業は、TGVシネマからマクシス、アストロホールディングス、ブミ・アルマダ、メアサット・サテライト・システムズ、タンジョンなど、提供する製品とともに、マレーシアでは有名なブランドでもある。

1993年4月1日にマクシスを設立し、同社で多くのマイルストーンを予見し、ブルサ・マレーシアのFBM KLCI指数でトップ30の企業の一つとなり、トップ3の主要業界プレーヤーの一つとなった。

アナンダ由来の重要なランドマークは、KLのペトロナスツインタワーや周辺のKLCCスリア不動産開発である。

1996年に最初の2つの衛星を打ち上げたメアサット(当時のビナリアン)はマレーシアの宇宙産業の進出を象徴するものだった。これ以降、国内全体で信頼性の高い電話やデータ伝送サービスの道が開かれている。

中略

彼の事業母体からの声明文は、「彼の慈善事業は多くの人々の生活に寄り添ってきました。家族がプライベートに喪に服することを謙虚に尊重するようお願いしたい」と述べています。

困っている人々を助けるために

彼は億万長者でありながら、穏やかな性格でメディアの注目を避けていた。

それにもかかわらず、彼の企業の動きは、マレーシアだけでなく、石油関連サービスを含むさまざまなセクターで、世界のビジネス界の話題になった。

マレーシアではあまり知られていないが、アナンダは1985年に行われたライブエイドコンサートに資金提供したと報じられている。このコンサートでは、ロックバンドクイーンとそのフロントマンであるフレディ・マーキュリーの素晴らしいパフォーマンスが披露された。

フォーブスによると、仏教徒であるアナンダは、アフリカの飢餓救済のためのライブエイドコンサートで2億4000万ドルを集めるのに貢献した。

慈善活動で知られるアナンダは、ライブエイドなどの国際的なイベントで重要な役割を果たし、メディアプラットフォームを活用して慈善活動を推進した。

寺院や教育機関、その他の組織への寄付を継続的に行ってきた。

ハラパン・ヌサンタラやユー・カイ財団などの基金を通じて、地元の学生に奨学金を提供し、教育の発展を支援している。

彼の革新と貢献は、間違いなくマレーシアの世界的なビジネスとテクノロジーへの地位を高めたと言えよう。

参考資料

彼の純資産は、フォーブスのワールドリアルタイムビリオネアリストによれば、2020年11月27日時点で51億ドルであり、マレーシアで3番目に裕福な人物となった。

2024年春ごろのフォーブスの発表(The Star の報道)によれば、マレーシアの巨大資産家は以下の通り。つまり、今年の段階で馬国第二位である。

順位氏名資産額($)円評価(億)企業・グループ名
287Tan Sri Quek Leng Chan8.8B1兆3,200Hong Leong Group
624Tan Sri Ananda Krishnan4.9B7,350Maxis, etc.
871Tan Sri Koon Poh Keong3.7B5,550Press Metal Aluminium
Datuk Lee Yeow Chor3.1B4,650IOI Group
Lee Yeow Seng2.3B3,450IOI Group
Tan Sri Lim Kok Thay2.3B3,450Genting Group
Kie Chie Wong2.2B3,300Fortescue Metals Group
Tan Sri Jeffrey Cheah2.0B3,000Sunway Group

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