この記事は、本編【MM2H体験】の詳細記事です。「おすすめ」のまとめ記事はこちらです。
筆者家族が馬国への移住を決意した1999年から2000年頃は、まだ iPhone 以前の時代で、携帯は NOKIA や Maxis が主流、自宅のネット環境は JARING (プロバイダ)とのサブスクリプションでした。
今はスマホに SIMカードをセットするなり、ルーターを持つなりすれば Wifi が使えますし、馬国の市街であれば、いたるところにWifi が飛んでいますから、今どき「インターネットを使おう」というのは、「出かけるのに靴を履く」事をわざわざ「おすすめ」するような話です。
それでも、ちょっと調べると、2023年現在の馬国の主要 ISPは TIME, Digi, Unifi, そして Yes あたりが堅調で、TIMEが一番安いといった情報が出回っています。
最近は自宅でテレビを見るのはデジタルTV ないしはネット経由のOTT(動画配信サービスのNetflix、Hulu、Amazon Prime Video、Disney+)なので、このためのISP契約が主な目的だということのようです。
具体的な段取りの説明は、他のブロガーの皆さんにお任せするとして、筆者の「おすすめ」情報は、馬国で友人と話題にすべきマレーシアのネットの来歴とJARINGの悲劇です。
ご参考として、今のところ「安い」と評価の高いISPである TIME の会社情報も掲載します。
馬国のインターネット(聡明期)
マレーシア国内のインターネット(以下「ネット」)サービスの聡明は1980年中盤。当時、唯一のプロバイダーとしてMIMOS(Malaysian Institutes of Microelectronics Systems)という研究所が運営しました。(MIMOS設立は1985年、学術研究が主体で、地元の電子産業発展のためのインフラ整備が目的でした。)
馬国初のネットワークのホストは、Jaringの前身であるRangkaian Komputer Malaysia(RangKoM:1986年設立)で、国内の全大学をMIMOSに接続、研究者の相互コミュニケーションをサポートしていました。
1992年、MIMOSは6th Malaysia Planの一環として、Joint Advanced Research Integrated Network (略してJARING) を企画しました。JARING という略語はやがて国内最大の Internet Service Provider (ISP) の名称に成長します。
JARINGは、多くの研究機関や教育機関、一部の政府機関や民間団体に接続され、国際インターネットへのゲートウェイも備え、1992年には、アメリカ合衆国との64kbps専用回線も導入されました。その3年後の1995年が、マレーシアのネット時代の幕開けとされています。
利用者増大の経緯
1995年10月から11月にかけて実施したマレーシア初のインターネット調査(MIMOSとBeta Interactive Services)によると、マレーシアの人口2千万人あたり2万人がインターネットにアクセスできる状態でした(人口1000人にひとり)。
1998年には、この数は人口の2.6%にまで増加しました。販売されたコンピュータユニットの台数は、1998年には46.7万、2000年には70.1万に増加。
そしてJARINGは2007年にマレーシア財務省によって引き継がれます。
2012年7月時点で、馬国のネットユーザーは2,530万人に到達。うち、500万人がブロードバンドユーザー、250万人がワイヤレスブロードバンド・ユーザー、1000万人が3G加入者です。ネットの主要な利用は、電子メール、ウェブブラウジング、オンラインショッピングでした。現在は、ソーシャルメディア、動画視聴、オンラインゲームが主流となっています。
2017年第1四半期までに、ブロードバンド普及率は、人口100人あたり103.6%、世帯100世帯あたり81.8%を達成。
2023年12月現在のネットユーザー数は、3,303万人です。これは、マレーシアの人口の96.8%に相当します。
ネットの利用デバイスも変化しています。2012年には、パソコンやスマートフォンの利用が主流でしたが、現在では、タブレットやスマートテレビの利用も増えています。
JARING の悲劇
馬国のネット環境普及の中心であったJARINGは、組織の財務管理の失敗により、実に悲劇的な形でネット業界から姿を消しています。
JARING Communications Sdn. Bhd. は2005年4月1日に MIMOS Berhadから派生した企業として設立され、2006年12月までにマレーシア財務省が正式に MIMOS Berhad から JARING を引き継ぎました。馬国最初の ISP (Internet Service Provider) です。
筆者も2000年代初期はJARINGのサブスクライバーとして定額利用料金を払ってアパートで快適にネットを利用していました。
2013年1月1日、JARING は Utusan Printcorp Sdn. Bhd. (UPSB) 傘下に入り、UPSB が財務省からの株式100% を取得して民間企業化されました。この時に馬国政府とUPSB社がどういう関係であったかは不明ですが、このUPSB社のJARINGの運用は2014年以降「破綻」の一途を辿り、光熱費としての電気料金はおろか、従業員の給与すら支払われず、主要取引銀行からの多額の借り入れ金は完全な貸し倒れ状態となりました。
ISPとしてのJARINGは司法介入を受け入れ、2015年4月23日をもって閉鎖され、清算手続きに入りました。
東南アジア随一の技術開発力を誇ったJARING も政府が管理した期間に積もり積もった負債や、見通しの効かない原価管理が命取りになったのかもしれません。
JARING はマレーシアのインターネット発展において重要な役割を果たし、その革新性と技術力は高く評価されています。
参考 TIME dotCom Berhad(タイム・ドットコム)
TIME dotCom Berhad(TIMEとしてブランド化されています)は、マレーシアの通信会社であり、国内外の接続、データセンター、クラウド、マネージドサービスソリューションを専門としています。
歴史
1996年にTime Telecommunications Sdn Bhdとして設立され、Time Engineering Berhadの子会社でした。1998年にTIME dotCom Berhadに社名を変更。
2000年5月、Time dotCom Berhadの株式の30%についてKhazanah Nasionalが取得。1年後、クアラルンプール証券取引所(現在のマレーシア証券取引所)に上場。
2006年にマレーシア通信・マルチメディア委員会(SKMM)から第3世代(3G)スペクトル入札を獲得し、その年の終わりに3Gブロードバンドサービスを開始。
2008年末に子会社であるTIME Reachの公衆電話事業をプリペイド固定電話会社のPaycommに830万リンギットで売却。
2010年2月に国内初の最大50メガビットの高速インターネットアクセスサービスであるTime Fibre Broadbandを導入。
所有権
最大株主はPulau Kapas Venturesで、その持分は28.94% 続いてKhazanah Nasional(10.67%)、Kumpulan Wang Simpanan Pekerja(6.42%)、Kumpulan Wang Persaraan(KWAP)(5.72%)が続きます。
最後まで参照いただき、ありがとうございます。
🔳 マレシアの「おすすめ」80選 → まとめ記事はこちら
🔳 MM2Hの本編に戻る →本編【MM2H体験】