アイキャッチ画像は、典型的な「伐採道路」で、この写真はカナダの風景だそうですが、サラワクでも同じような道路を通ってサラワクの小さな村落から街に通う人々がいるのだそうです。 写真提供は David Stanley(@Flickr で copy right はこちらでs。
ひと口に馬国といっても、その領土は広大です。
このブログが話題にしている内容は全て都市部と主要地域のお話ですが、今回紹介するような記事を読むと、我々はまだまだ馬国について充分知っているとは言えないと痛感します。
地理的に言えば、サラワク州あたりは全体で馬国の面積の4割を占める広大な領地です。
そのサラワクには広大な山林がインドネシアに隣接していて、11もの代表選挙区に別れています。
そして山奥にすむ一部の村落の人々は、ごく普通のインフラとも繋がっておらず、高等教育は愚か、小学校にさえ行けません。
もっと悲惨なのは、国籍です。
複雑な経緯で、いまだに国籍のない人々が暮らしているのです。たとえ数百人から数千人とはいっても、先進国に届かんとして努力している馬国がこのような無国籍の住民を放置しているわけには行きません。
彼らは、先住民とはいえ、オラン・アスリとは違います。未開の土着民ではなく、徐々に知見を持ちつつ成長している人たちです。
この記事を深読みして行くと、最後は「法整備」の有無が問題になっているようですが、それでも、小学校に行くのに数時間も歩かなければならないなら、早急にオンライン・スクールを導入すべきでしょうに。何故その方向に行かないのか疑問が残る記事です。
今回の情報源はベルナマではなく、ボルネオの報道局の「ボルネオ・ポスト」です。
歴史にとり残された人権
マレーシアの住民なのに・・・ボルネオ島の広大な居住地と複雑な経緯に阻まれた人々の嘆き
Statelessness in Borneo: Trapped by terrain and red tape — the woes of the indigenous community in Sabah and Sarawak
Tuesday, 06 Aug 2024 4:40 PM MYT malay mail / The Borneo Post
マレーシア人権委員会(Suhakam)によると、サバ州およびサラワク州でいまだに無国籍者が発生する理由の一つは、一部の市町村が「地理的に広大なために、登録事務所へのアクセスが妨げられている」ことだという。
例えば、オラン・ウル (Orang Ulu) はもともとサラワク州の熱帯雨林の奥地や山岳地帯などの孤立した地域に定住しており、そのために法的地位を主張するための事務的手続きを受けることが難しかった。
マレーシア半島やサラワク州の多くの地域が発展している一方で、オラン・ウルのコミュニティが多く住むバラムやベラガ、ローアスやリンバンのような小さな町などの農村地帯では、インフラ整備や基本的な設備へのアクセスが整っておらず、以前として難題となっている。(such as Baram, Belaga, and small towns like Lawas as well as Limbang)
今年3月の国会で、バラム選出のアニー・ガウ下院議員は、自分の選挙区が国全体の発展から大きく遅れていると指摘した。(Baram MP Datuk Anyi Ngau)
彼は、地域社会が外界との主要な連絡手段として 伐採道路 (logging road) に依存していることを嘆き、この状況が60年以上も続いているという。
過去、オラン・ウルの村や集落に到達するためには、長舟やジャングルトレッキングで数日から数週間かかることもあった。
現在、これらの長屋や集落には伐採道路が通じているが、過酷な地形に耐えられるのは四輪駆動車(4WD)のみである。
地理的な孤立状態
長く困難な道路状況のため、最寄りの国民登録局(NRD)に新生児の登録に行くための交通費が高額であり、ほとんどの村人には負担が重すぎる。(National Registration Department (NRD) Office)
過去に、多くのオラン・ウルが地理的な孤立のために、正規の教育を受けるアクセスすらも限られていた。
例えば、サラワク州最後の遊牧民族であるペナン村落 (Penan community) の多くの子供たちは、小学校や中学校を修了することができなかった。
ペナン村落の元首長であるベラウェン・トゥラウ(54歳)は、多くのペナン村落の住人、特に高齢者は学校に通ったことがないという。(former Penan village chief, Belaweng Turau, 54)
「私が少年の頃、親たちはまだジャングルに住んでおり、親たちの移動に付いて私たちも一緒に移動していた。ジャングルからジャングルへと移動していたので、学校に通うことは難しかった。そして、学校は私たちが住んでいた場所から非常に遠かった。
小学校の初期の数年間、親たちは私を連れて5時間もかけて学校まで歩いて通ったことを覚えている」
世代を超えた無国籍の継承
元首長のベラウェンは、ペナン村落の高齢者層が学校に行かなかったもう一つの理由として、彼らがジャングルの外の他のコミュニティと暮らすことを恐れていたためだという。
歴史学者のオーイ・キート・ジン教授は、『1946-1963年の植民地行政期間におけるサラワクの教育』という記事の中で、ブルック時代(1841-1946)以降になって多くの先住民の子供たちが学校に通ってはいたが、植民地時代を通して出欠席が不安定だったし、小学課程を修了する前に離れていく傾向が続いていたと指摘している。(History professor, Ooi Keat Gin, in his article entitled ‘Education in Sarawak During the Period of Colonial Administration 1946-1963)
教授によると、1963年のマレーシア成立以前のサラワクの先住民の文盲率は98%に達していた。
読み書きができないことで、オラン・ウルの高齢者層は自分の身分や子供の出生を登録する重要性を理解しておらず、結婚を登録することもほとんどなく、結果として複数世代を通して無国籍状態が続いた。
無国籍結婚の悲しい現状
サラワク州女性・児童・コミュニティ福祉開発大臣のファティマ・アブドゥラは、別の記事で州内の子供が無国籍になるもう一つの原因として、登録されていない国境を越えた結婚を挙げた。(Sarawak’s Minister of Women, Childhood and Community Wellbeing Development Dato Sri Fatimah Abdullah)
こうしたケースが隣国インドネシアとの国境近くのコミュニティで発生しているという。
「これにより、子供が無国籍となり、登録手続きが複雑化し、子供の身分を証明するためには様々な書類が必要になる」
配偶者(通常は女性側)が無国籍または無書類であるために、結婚を合法的に登録できない夫婦もいる。
NRDで結婚を登録するには、両方の配偶者が市民でなければならない。女性が外国人の場合、登録を通過するためには(外国人であることを証明するために充分な)書類を提出しなければならない。
「例えば、夫婦が結婚を合法的に登録したかったが、女性の身分が複雑で無国籍であるために最終的には登録できなかったケースがある。
この場合、生まれた子は、母親の無国籍状態を引き継ぐことになる。このサイクルは次世代にも続く」と活動家のアグネス・パダンが言う。(activist Agnes Padan)
現地での伝統的かつ慣習的な結婚が、法的に認められていない場合もある。結果として子供の無国籍につながる可能性がある。
例えば、サラワク州には民法、シャリア法、慣習的結婚の3つの法制度がある。
先住民習慣評議会によれば、2006年9月21日以降、非マレーシア人はサラワクの先住民と慣習に従って結婚することができない。敢えて結婚するとなると、その結婚は「無効」となる。(According to the Council for Native Customs and Traditions)
民法 (civil law) が書類不足のために結婚を認めない場合、一部のカップルは、その地の伝統と慣習に従って結婚する道を選んでいる。
NRDは、国籍申請の受理、審査、承認に関する一貫性のない手続きで長く批判されている。
例えば、ローアスのロング・トゥマ出身のルン・バワン族のヤナ@アンナ・ダリングは、8人兄弟の長女であり、家族の中で唯一まだ無国籍である。(Yana@Anna Daring, a Lun Bawang from Long Tuma in Lawas)
書類の不足
1953年にマレーシア人の両親から生まれたヤナは、依然として国籍問題で闘っている。 Born in 1953 to Malaysian parents, Yana is still fighting over her citizenship status.
彼女は何年にもわたり国民登録局 (NRD) に繰り返し訪問してきたが、出生に関する情報などの書類が不足しているため、公式な申請を提出することができなかった。
彼女が無国籍状態のため、マレーシアで生まれた9人の子供たちは全員、一時居住者の身分しか与えられていない。(temporary resident status)
活動家のアグネスは、一部の無国籍者、特に70代や80代の人々は、両親が亡くなっているため、出生地を証明することができないと話している。
「一部の人々は、ジャングルや近くにクリニックがない村で生まれたため、出生を証明することが難しかった。こういう人々は、独立前に生まれています」
元ペナン村落の首長であるベラウェンは、自分の村には依然として無国籍者や「永住者」(MyPR)の身分を持つペナン村民がいるという。彼は、国籍申請の手続きの複雑さが、この問題の主な原因の一つであると非難する。
「一部の人々は保証人がいないために申請できない。特に高齢者は、両親や兄弟が亡くなっているためだ。それだけではない。保証人をNRDのオフィスに連れて行くための交通費すら支払うことができない人もいる」
ベラウェンは、ペナン集落の人々が差別に晒され、しばしばインドネシア人として揶揄されているという。
「我々はこの土地の人間だ。ずっとこの場所に住んできたが、時々インドネシア人と誤解されることがある。
「多くの人々が定住しているにもかかわらず、まだジャングルで遊牧民として生活しているペナン族もいる。彼らは未だ外界に出ることを恐れている」と語った。
国籍法に不備
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、マレーシアの国籍法に空白部分があることが国内に散財する無国籍問題の主要な原因であるとしている。(The United Nations High Commissioner for Refugees (UNHCR))
その一例は、連邦憲法の第17条(第2付表、第III部)であり、マレーシア人男性が婚姻外の子供に国籍を引き継ぐことを許されていない事例が挙げられている。
UNHCRによれば、このような規定を採用している国はマレーシアのほかにバルバドスとバハマだと言う。
また、NRDはマレーシア国外で出産したマレーシア人女性が子供に国籍を引き継げないように長らく制限してきたとして批判されている。 — THE BORNEO POST
サラワク州
サラワク州(州都クチン)はボルネオ島にある東マレーシア領の西側3分の2を占める州。
1963年、サバ州やシンガポールとともにマラヤ連邦と統合してマレーシアの一部となった。2021年現在の人口は28万と2,000人。
独自の自治権を有しており、州外との行き来には入境管理が行われ、マレーシア国民であっても身分証明書( MyKad) が必要となる。
マレーシアの国土の37.5%(124,000 km2) を占め、ボルネオ島の海岸線750kmに渡り、インドネシア領とは中央山脈で隔てられている。
11の広域行政地域 に分けられる。以前は、地名ではなく番号で呼ばれていた。
長い報道内容でしたが、最後まで参照いただき、ありがとうございます。