【番外連載】限界だらけの地球世界3

番外編
筆 者
筆 者

この連載記事は、筆者が別のメディアで投稿している「School of Limitations」というタイトルのブログ記事を転載し、マレーシアファンの皆さんにも参考にしていただくことを目的としています。面白いと思ったら、続けて読んでいただけるとありがたいです。

この記事は、こちらの記事の続編になります。

1999年の春、筆者(無禄)は3年間にわたるマレーシアでの長期滞在を終え、家族とともに日本に帰国しました。

日本の企業で19年間働いた身として、マレーシアでの日々の仕事は新しい経験に満ちており、家族も親日的な雰囲気と常夏の観光地を楽しんでの帰国でしたから、日本の湿気の多い夏や狭い住居に戻ると、何とも言えない物足りなさを感じたものです。

帰国した当時、筆者が所属していた企業は業績不振に陥り、創業から40年以上経過して老朽化が進んでいました。社外からはしばしば「ブラック企業」と評価され、残業も多く、上司のパワハラがはびこっていました。そのため、40歳を超えていた筆者は、会社に強い違和感を抱くようになっていました。

そして、数か月も経たないうちに、筆者と妻は会社を辞め、今度はマレーシアへほぼ移住する覚悟で、家族全員で渡航することを決意しました。

自営業へ

マレーシアではどこかの企業に雇用される考えはなく、自ら会社を登記し、個人事務所からスタートして、誰にも束縛されないスタートアップに挑むことにしました。マレーシアでの起業については、このブログでも詳しく紹介していますので、そちらをご覧ください。

1999年10月頃、筆者の家族はクアラルンプールに渡航。当初は3か月の短期滞在用ビザを持ち、会社設立や経営者としてのビザ取得、家族の帯同許可、子供の学校の手配などに忙しく奔走していました。

元部下との再会

紆余曲折を経て自営業を立ち上げ、筆者は「よろず請負業」のような仕事を始め、細々と日銭を稼ぐ日々を送りました。毎月定額の給与が振り込まれる日本のサラリーマン生活とはまったく異なる、不安定な生活に予想外の厳しさを感じつつも、かつて企業で交流のあったマレーシアのビジネス関係者と再会し、個人事業のチャンスを探っていました。

今振り返れば、東南アジアの個人事業者の世界は魑魅魍魎の世界で、「信頼できる」人々との仕事は期待できず、詐欺まがいの人間関係に巻き込まれる綱渡りのような毎日でした。

そんな中、気心の知れたマレーシア人との再会は、筆者にとって救世主との遭遇のように感じられたものです。その一人がシュハイミ(仮名)でした。

再会は唐突でしたが、20年以上前のことで、どのようにして再会したのか、よく覚えていません。ただ、再会した彼は以前のシュハイミとはまったく異なっていました。顔や声は変わらないものの、彼の態度や人間関係の距離感が大きく変わっていたのです。

以前、彼は筆者を「無禄さん」と呼んでいましたが、再会後は「おい、無禄」と呼ぶようになりました。そこには理由がありました。既に上司と部下の関係ではなくなっていましたし、彼には別の重大な理由があったのです。

ランナー「AS」

彼は、過去の「シュハイミ」という名前を極端に嫌い、自分を「AS」と呼ぶように私に指示しました。このASは仮名で、Ahamad Suhaimi(あくまで仮名)の略のようなものです。マレーシアでは、秘匿性の高い仕事では、アルファベット2文字のコードネームを使うことが多いのです。

ASは、筆者が「仲間」と信じていた若手ビジネスマンではなく、マレーシアのビジネス界で「ランナー」と呼ばれる特殊工作員だったのです。

彼は筆者が完全に企業を退職したことを何度も確認すると、彼の立場を説明し始めました。彼の雇い主は、筆者が以前所属していた企業の顧客である大手石油元売り会社でした。彼は顧客に雇われ、秘密裏に筆者のグループに派遣されていたのです。

この写真はイメージです。本文とは無関係です。 image photo by envato elmenets (all rights reserved).

一見して和やかな国際共同事業のオフィスには、監視役や工作員が社員を装って参加している場合があるのです。

ASが工作員出会ったという話は信じがたいものでしたが、再会後の数か月間に、ASは筆者に元売り会社の重役たちを紹介し、自らの「ランナー」としての立ち位置を証明してみせました。

彼が筆者を監視していた理由は、日本企業がマレーシアでのプロジェクトを悪用して利益を得ているかどうかを調査することだったのです。

監視下にあった日本企業

当時のマレーシアの企業は、過去の歴史において外国のビジネスマンが不正利益を横領した事例があるため、日本企業に対しても疑念を抱いていました。そして、もし不正が発覚すれば、これをネタにして日本企業に取引条件を持ち出す計画だったのです。こういった「ブラックメール」は当時のマレーシアではよくある話でした。

ASはしかし、筆者を監視していても何も不正取引と断定できる事実を抑えることが出来なかったのです。日本の企業文化からすれば、当然の話です。

その後、筆者はASの本職である「ランナー」の世界に巻き込まれていきます。この「ランナー」という職業については、次の記事「限界だらけの地球世界4」で詳しくお話しします。

この話は、24年前の実話です。

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