企業臨死体験 馬国編 05

自営業主

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この国で独り起業すると思い立った日に決めていた準備は、資金繰りと客先訪問だった。できるだけ多くの潜在顧客にできるだけ早く自分のサービスを知ってもらう必要があった。

 後日知り合った起業家の中には、予め2年間の生活資金を確保していた者もいた。突然起業する場合、個人のサービスを待ってくれている「お客」がいるわけもない。最初の1年間の努力で「生活できる程度売上げようと」いうこと自体、無謀な計画だった。

恐ろしいことに、私の近親には、無謀な試みを改めるように指摘してくれる人は居なかった。人間は30歳後半になれば周りからはほぼ自立したビジネスマンとして見られるものだ。「この人は大丈夫か?」などと心配してくれる人などは居なかった。全ては自業自得である。

日本の企業で一緒だった仲間は異口同音に「あんたなら出来るだろう」と言ってくれていたものだ。しかし、今思えば、起業当時の私は、先導もなしに深い大海原に漕ぎ出す小舟のようなものだったのだ。

A drone picture from above of a boat on Lake Norfork, Arkansas, USA. photyt by envato elements witht all rightss sreserved.

最初に学ぶべきは税務

当時の自分を振り返ってみて、強く悔やむことがある。

タックスファイリング(税務申告)に関する知識が不足していたことだ。

起業直後の個人事業の収益は細い。だから課税対象になる利益も薄い。その薄い利益にも容赦なく所得税がかかってくる。

たとえ個人であっても、日本人が起業して事業を始めれば、馬国内の人々からは羨望の目で見られる。彼らは、その外国人が「大金を稼いでいて、がっぽり利益も得ているはずだ」と断定していた。

そして、そのことを具体的に検証してくるのが Inland Revenue Board (IRB) 。つまり税務当局、Lembaga Hasil Dalam Negeri Malaysia (LHDN)である。

結論から言えば、恐らくは、この国で起業する個人事業者は、最初の3か月から半年は、何もせずに、ひたすら馬国の所得税の勉強をして、有識者のアドバイスを受けることに徹するべきだったのだ。

税務管理の厳しさ

税務の知識がゼロの状態で起業することほど愚かな商業行為は無いといって良いだろう。何しろ、税務管理というのは、その国の政府が総力をあげて労働者とビジネスマンの収益から国庫への献金を徴収する仕事なのだ。

その仕組みは、素人が考えるより遥かに厳格で冷酷なものがある。特に、外国人に対しては普段から友好的で丁寧な意思疎通はするものの、所得税の徴収においては一厘の容赦もしない。この国の外国人全員が税務当局にとって注目対象なのだ。

そこで、前述の Company Secretary (日本でいう会社書類の管理・手続き担当者であり、司法書士に近い役割)が味方になるかと言えば、そうもいかない。

彼らは馬国の法の番人でもあり、実業家のために働いているのではなく、むしろ実業家を監視する立場にある。商法を担当する秘密警察だと言っても過言ではない。

私の経験を言おう。彼らが、思いもよらず冷酷に税務の完遂を迫るので、「きみたちは誰をサポートしているのか?コンサル料を払っているのは私なのに!」と問い質したものだが、彼らの答えは至って単純だった。

「もちろん私たちは貴方のために公正な税務申告を支援しますが、一方で私たちも政府から監視されているんです。もし、違法なアドバイスや書類作りをすれば、その場合は、私達が刑務所行きになるんです。そのことだけはご理解ください。」

私の記憶では、最初の2年間というものは、おそらく利益らしい利益は上げられていないが、それでも、課税対象となる金額はきっちり計算され、所得税を取られた後には、個人事業の利益など残ってはいなかった。

そして、企業に所属していた自分と自営業の自分を比較してみれば、何のことはない、手元に残った資産の違いは雲泥の差だった。

確かに、企業に所属することは苦しみでもある。嫌なことばかりだった。それでも、手元に入ってくる報酬はあった。今は、個人事業で「自由」だが、しかし、収益がおぼつかないという別の苦しみに苛まれている。自分の選択は正しかったのかと思い悩む暇はなかった。

結局は銭失いになる例

税務に関する限り、私の(最も愚かな)失敗は2つあった。

1.    住居であるアパートの賃貸料の半分をオフィス運営費用(経費扱い)としたこと

2.   売り上げの中から、自分への役員報酬を取れるだけ取ってしまったこと。

当初から、現地税務をよく勉強していれば、事務所は自分のアパートでなく、どこかで安い貸しオフィスを借りてきっちり固定費とすべきことは判断できたはずだ。

自分への報酬は会社が大きく儲かるまではゼロにするか、せいぜい千リンギット(3万円)程度にしておくべきだったのだ。(報酬には個人所得税が課税される)

会社の「売り上げ」というお金は、主に自分の報酬に充てるものではなく、事業拡大の費用(投資)に充てるべきであり、利益が大きくなるまでは、自分の生活費は日本から持ち込んだ預金を崩して生活すべきだったのである。自分の給与にすれば、当然その分の所得税が別途課税されてしまう。つまり収益に対して法人税と所得税の両方から徴税されるのだ。

もちろん、自分の会社から借金をすることも可能だ。しかし、会社の社長やオーナーが会社から借金をすること自体、税務当局から見れば、「使い込み」に他ならない。その年の税法にもよるが、十中八九は「課税対象」になる。

知らないということは恐ろしいこと・・・ photo by envato elements with all rights reserved.

自分のアパートを事務所として損金算入することは、認められる場合もあったが、法改正によって全額利益扱いに変更された。法改正があった年に、過去2年分のアパート賃貸費用が100%課税されてしまった。追徴額は1万リンギットを超えた。

専門家を雇う

馬国の税法は、毎年変化する。発展途上にある国の特徴だ。

前年まで無税だった費目が突然課税対象になる。会社の登記の条件が厳しくなる。しっかり変化を追っていかないと、思いもよらないことで運用資金が大きく削られてしまう。

こういう環境において、会社経理の経験もない中堅ビジネスマンがひとりで会社経営をするのは、自転車をこいだことしかない人間がいきなり自動車を運転するようなものだ。

だからといって、世界に名だたるコンサル会社を使えば、途方もないコンサル料を定期的に払わなければならない。億円単位の利益をあげているわけではない。そんな金はどこにも無い。

結局は、自分で徹底的に勉強するか、経理の資格のある秘書兼アカウンタントを月ぎめで雇うことになる。それをやらないと、会社運営はままならない。独学で馬国税務を学んで実用に生かすなら、当然マレー語が話せなければならない。

世間で言うほど自営業は簡単ではないのだ。

馬国政府は、この国の最高学府であるマラヤ大学等をトップの成績で卒業した人財をまず税務当局に採用する。外国企業や個人を相手に、きっちりと税収を上げるためである。

つまり、国を挙げて外国企業や個人事業主から税金を徴収する活動を行っているのだ。

ひとたび日本人だということがはっきりすれば、たとえ個人で起業したてだとしても、しっかりと「要注意リスト」に名前が載ってしまう。馬国は天井が低い国なのだ。

経理業務が本業を圧迫する

経理を雇えば万全かというと、そうでもない。事業展開の途上には様々なオプションがある。自営業を始めれば、会社の経理担当が社長に最終決断を迫ってくる。

企業に勤めていれば、これは全て別の人間が組織的に対処するから、社員は自分の専門性のほぼ100%を実業に向けて生活することができる。

自営業となると、本業に充てられる時間とエネルギーは全体の40%ぐらいまで圧縮されてしまう。あとの6割は、会社の管理と税務に費やされる。やってみなければわからないものなのだ。

企業が展開している分業や適材適所のリソース管理の利点というのは、ほんとうに自分ひとりになって会社経営をしてみないと実感できない。個人を辞めて日本に帰ってからはというもの、町で個人事業の魚屋や本屋や花屋をみかけると、都度「頭が下がる」思いを抱くようになった。長く続けていられる自営業は本当に脱帽するほど優秀な人々なのだ。

photo by Ron Porter, from pixabay

それを知らずに起業する人間は、「自分の実務能力の100%を個人事業で発揮できる」と思い込んでいる。飛び抜けた才能を持つ人は別にして、一般的に「サラリーマンでも自営業ができる」と思い込んでいるなら、それはとんでもない自惚れである。

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つづく

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