アイキャッチ画像と文書中の画像は全てイメージ素材です。image by envato elements and ImageFX with all rights reserved.
前回までに、筆者が客家の末裔であるビンセント氏の事業に雇われたことをお話しした
今回はその続編として、このビンセント社長と私の個人的な取引内容を紹介する。
彼が注目したのは、私がかつて彼の潜在顧客であるエンジニアリング企業に所属していた点だった。(事実、私はかつては彼の顧客側にいる人間だった)
彼はエンジニアではないから、日本企業の技術情報を知りたかったわけではない。彼が知りたかったのは、日本人ビジネスマンの思考パターンと企業内部の権限構造だった。
ビンセントが知りたかったのは、日本企業の中でビンセントの会社のような出入り業者に発注することを決めているのは誰で、何を持って決断されるのか?そして、その決め手になる存在から多くの注文を取る方法だ。
彼の事業は既に大成功していたので、ことさら私の情報を取る必要などないはずだった。だから彼が私を雇用すると聞いた時には、若干の違和感を禁じえなかった。
彼が持っていた課題は、具体的なものだった。つまり、私が所属していた会社は、彼の顧客の中で最も扱いづらく、しかも実際の買い注文を取ることが極めて難しい難攻不落の日本企業だったのだ。
雇用交渉
ビンセントが私を雇用した表向きの理由は、海外の需要家が増えて事業が大繁盛しているが、特に日本企業との意思疎通を強化する必要があり、そのための人が足りていないので、日本の調整役を準幹部として雇用しようというもの。
もちろん、日本人はマレーシア国民とは給与レベルが違うから、費用対効果の面では、基本的に割が合わない。日本企業の流儀をよく知っていて、しかもマレーシアに住んでいて金に困っているような人間がいれば、そのような人間と交渉すれば安く雇えるかもしれない。それが彼の最初の算段だった。そして、事業に失敗して文無しになっていた私は、まさにその条件に合っていたのだ。
私自身、企業を辞めてまで決意したのは、誰かに雇われるのではなく自分が会社を所有して事業を自分で切り盛りするという目的を持っていたから。金に困っているからといって、即座にマレーシアの華人集団の社員として身売りするというつもりは無かった。
それでも、私がビンセントの提案を受け入れた最大の理由は、当時私が抱えていた負債だった。。
環境プロジェクトで日本企業のサポート役に自分の事業の全てを注ぎ込んだ上で、結局は日本企業にハシゴを外されてプロジェクトから放り出された私の愚痴を聴きながら、彼は私の負債がいくらなのか知りたがった。そして、その金額が30万リンギット(当時の換算レートで約900万円)だと知ると、彼は、その金額を払うと言ってきた。
条件は
- ビンセントは私の負債の清算金を用意する(債権者には私が払う)
- 私は個人事業を廃業してビンセントの会社の準幹部として雇われる
- 毎月の給与額はマレーシアで生活する上で必要な水準(月額1万RM、約30万円)
- あらゆる経費と、私の車の燃料費はビンセントの会社に請求できる
- 私の会社で雇用していた経理担当のマレー人スタッフはビンセントの会社に移籍
- 雇用契約となる紙の契約書は作らない。だから契約書にサインもしない
これは、言ってみれば「身売り」だ。
現地の医大に進む計画の息子を含む家族と失敗した事業の負債を解決すべく、私はこの条件を飲んで自分の会社を休眠状態にして彼の会社に移籍した。
本来、私が交渉すべきだったのは、彼に負債額を負担してもらうのではなく、彼から借金をして自分の会社を立て直すことだったであろう。しかし、当時の私には、そのような交渉を持ちかける余裕が無かった。借金を肩代わりしてもらえれば、毎月受け取る給与は全て生活費に充てられる。肩代わりは、ある意味では契約金であり、前渡金でもあった。
そして、何より大躍進している彼の事業のノウハウをも細かく知ることができそうだ。
契約書を作らない彼の流儀に違和感はあったが、一見して純心な中高生のように見える彼との過去数年の意思疎通を思い返すと実に誠実だった。
私は思い切って全てを口約束で合意した。今思えば、契約書を作らないことは最良の判断とは言えないが、それよりも、ビンセントを選んだことが好判断だった。相手を間違えば、奈落の底に落ちかねない取引だった。
質問につぐ質問
私が企業から離脱して企業人としての臨死状態に入ったのは1999年であり、その当時の日本の企業文化はまだバブル時代の楽観主義の延長上で、パワハラ・セクハラの反省は始まっておらず、いわゆるコンプライアンス文化は浸透していなかった。
だから、企業を退職する際に、会社で持っていた様々な資料を持ち帰って個人的に所持していても全く問題にはならなかったのだ。
しかし、考えてみれば、エンジニアリング会社のような重厚長大な産業設備を扱う技術的なノウハウや秘密情報というものは、その「業界」の中では意味をなすが、その外側にある一般的な商品市場やビジネス環境においては何の価値も無かったし、事実、私個人の起業においても、ビンセントの会社での仕事でも、全く意味をなさなかった。
特許権(パテント)や著作権が厳しく管理される時代においては、何か秘密情報と言える内容の「資料を持っている」とか「知っている」だけで個人や企業の事業に決定的に有利になるようなことにはならない。類似する技術を盗んで展開すれば訴えられるだけだ。どのような事業であれ、自分独自のアイデアや発見を具体化できて初めて価値提供になるのだろうと思う。
ビンセントが私から引き出したのは、日本企業の技術情報でも組織運営でも経営方針でもなかった。彼が知りたがっていたのは、 日本の会社の中の日本人同士の人間関係に関わる常識や、日本であれば「常識」と思える取引上の流儀、そして日本の組織文化の中で曖昧模糊としている「決定」や「決断」の権限がどのように運用されているかといったものだったし、それも、企業秘密のレベルではなく、一般的な日本人としての考え方だった。
例えば、企業間の「協業」について、日本の産業界でどのように運用されているか、ごく一般的な日本的流儀を知りたがっていた。
こういった一般常識的なレベルの「日本人の常識」や「あるある」を完全に理解することがビンセントの商売上の課題であり、その理解のためには、概念の説明を聞いたり読んだりするだけではダメで、日本で起きる日常や取引のあらゆる場面で日本人が発言したり行動したりするあらゆる具体的な事例について、あたかも映画のワンシーンを監督が演者に説明するような内容を出来るだけ多く検討するというものだった。
そういうことだから、私はビンセントに雇われてから、辞任して離れるまでの数年間、ありとあらゆる一般的な日本人の行動常識についてほとんど際限のない数の質問の嵐に晒されることになる。
例えば、日本企業のオフィスで打ち合わせをしている最中に、課長職のAさんが、部下のBさんに大して何か厳しい口調で苦言を呈したような場面があると、その打ち合わせの後には、このAさんの挙動について私はビンセントに事細かな説明をすることになる。Aさんが本当に立腹していたか、演技だったか、わざわざ来客しているマレーシア人の前で厳しい口調で部下を嗜めるというのはどのように解釈すべきか、Aさんがこのことで我々に何かを示唆するつもりだったんじゃないか・・・という具合である。
ビンセントに同行して東京の顧客に面会に出かけるとなると大変である。日本へのフライトのビジネスクラスで彼は私を横に座らせる。そして、離陸から着陸までの6時間を通して、面談予定の客先のひとりひとりについて、どんな趣味で、どのような話し方をしているか、そして、CさんやDさんがなぜあのように言ったのか?なぜこちらの説明を理解していないのか、詳細に至る私の解説を求めるのだ。無論、彼は話の対象になっている人物の本質を探るだけでなく、私という日本人の腹の中も細かく観察していたのである。
過去40年以上に亘る私のビジネス人生において、海外出張の機内で横に座って徹底的な人間観察を続けたビジネスマンは彼一人である。客先の挙動や発言に対する異常なまでに深い分析と洞察を見るにつけ、彼の商人魂ともいうべき姿勢に驚かされた。
天才商人の流儀
ビンセントの仕事の流儀について幾つか記憶にある内容を紹介する。日本の企業人文化とはかなり異なる場面がある。
ビジネス
潜在顧客には全て営業をかけて一社に傾倒しない。常に日本企業4社から5社に商品を収める仕事を継続。ただし、徹底した日本人びいきで、日系企業を重要顧客としていた。
客先との商談は一気呵成にまとめるのではなく、客先が最も興味ある部分から初めて少しずつすすめる。売り手としての情報は少しずつ小出しにして、客先に質問させて答えるスタイルで進める。打ち合わせでは必ず宿題をもらう形で終えて、次回の打ち合わせネタを残して帰る。
商品の製作会社(メーカー)が対応しないサービスを積極的に引き受ける。
日本に3日間出張する場合、1日に3社との商談と夜半の飲み会で1社のアポイントを組む。3日で合計12社の商談と懇談を続けるのが原則。同行するアシスタントや準幹部が過労で倒れる場合もあった。筆者も一度日本で動けなくなり、1日スキップしたことがある。
社交と交際
需要家である日系企業と、製作会社であるメーカーの営業や幹部職との交流は平等であり、下請けに対しても手厚く対応して常に敬意を払っている。
客先とは出来るだけ多くの食事(飲み会)をアレンジする。アポイントは人任せにせずに自分が電話して相手と直接アポイントを取る。日本に出張した場合は、遠慮せずに相手に店を決めさせる
宴席では、絶対に会話を絶やさない。しかし卑屈になることはしない。酒は飲むが絶対に泥酔しない。客先に酔った自分を見せない。
ゴルフは一切しない。接待ゴルフの対応は社員(ビンセントの甥にあたる部長)に一任している。
ハニートラップの類、色仕掛けなどの手段は使わない。唯一、マレーシアのKTV(カラオケパブ)でGRO(ゲスト・リレーション・オフィスサー、つまり女性の接待役)がいるような場所での飲み会はアレンジしていた。(比較的打ち解けている顧客や協力会社が対象。商談の相手を見て判断)
交際費については予算はなく、金に糸目をつけない。毎年2千万ドルを売り上げるために、少なくとも年間数千万円〜1億円に近い交際費を使う。
企業交流
価格交渉で、競争相手との価格比較で劣勢の場合は、原価や利益率の詳細まで客先にぶちまけて最後の値引きに応じる。薄利でも次の仕事に繋がるなら特別な値引きもする。
商品を売るだけでなく、その後のアフターケアも徹底して対応する。メーカーに責任があるトラブルでも自分の問題として取り組む。解決が難しい場合、違約金をビンセントが負担することもある(次の仕事で挽回する放心)。
取引上で不当だと思うことは、遠慮せずに相手に主張する。しかし、相手に怒りをぶつけるのでなく、自らの苦境で自社が苦しんでいることを強く表現することに徹する。
社員の統制
本社での昼食では社員を交えた会食もアレンジする。予約は社員にまかせるが、料理屋で料理を各人に分けるのは社長が自らやる。支払いは社員に立て替えさせるのでなく、必ず自分が払う。
仕事に対する姿勢については非常に厳しい指導を行っているが、全てにおいて、社長であるビンセントが最も勤勉で熱心な仕事ぶりを社員に見せて教える。山本五十六タイプ。
部下を叱責することもある。怒鳴ったり指さしたりはしないが、相手の失言・失態については事細かに追求して再発しない約束を取り付けるまで会話する。男性と女性をプロとして同等に扱う。女性のスタッフは間違いを指摘されると、ほぼ全員落涙するが、結局は彼の指示に屈して、反駁するものはいない。
全ての面で最終決定事項は社長が決めている。細かな判断は社員に任せるが、ある程度重要な意識決定の場面で関係者の意見が別れても、ビンセントは必ず自分の結論を持ってきて自分で最終判断をしていた。
あらゆることを人任せにしない彼は、それなりに疲弊する。だから、日本の企業との交渉では、私の意見や考えを聞く場面が多かったし、日本の企業と感情的にトラブルになった場合は、私を社長の代理として交渉に出たることもあった。
つづく