企業臨死体験 馬国編 03

馬国

この記事の写真は全てイメージ素材で、実在する人物や団体のものではありません。 image photo by envato elements with all rights reserved.

前回のお話はこちら。

馬国内に自分の会社を持ってビジネスを始めて2ヶ月が経過。7名の馬国事業者に「協業」の提案書を書いたが、回答を寄せてくれたのは2社だけ。その2社と交渉を重ねるも、具体的な事業は何も始まらず、当然ながら収益はゼロのままだ。

もちろん、これらの7社だけが仕事相手ではない。自分のできる仕事を模索しつつ、KL市内にオフィスを構える日本人商工会議所や、日本人経営の零細企業を訪れる日々が続いた。しかし、大手企業の看板を背負うのと、単なる個人事業を営むのでは、大型バスと2輪のリヤカーほどの違いがある。

個人事業と企業舎弟の違い

企業に属していれば、毎日の仕事の報酬が保証されている。オフィスに座ることの対価は、結果に関係なく支払われる。一方で、かけだしの自営業はそうはいかない。1ヶ月間全力で走り回っても収益がゼロなら、給与もゼロだ。

給与所得を確保するための営業、見積もり、契約、受注、請求、支払いといった一連の作業をすべて自分で完結させなければ収入にはならない。それは簡単に見えるが、実際は非常に難しい。初めて会社を登記し、走り出すとなると、通常は半年から1年間は潜在的な顧客に知ってもらうだけで終わることが多い。

たとえば、KL市内の日本企業向けサービス会社に挨拶に行くと、翻訳作業の単発の仕事を紹介してもらえることがあった。当時のレートで、A4用紙1枚の翻訳(日本語・英語、またはその逆)は80リンギット(当時2400円)。2時間、3時間かけて四苦八苦しながら専門的な書面に取り組んでも、2400円程度ということが多かった。

一挙に30ページの翻訳を頼まれれば96,000円になるが、その作業量はまるまる20日かかる。(当時は自動翻訳や生成AIもなかった。)ひと月の大半を翻訳仕事に費やしても、会社の収益は10万円にしかならなかった。

5〜6人の人を集めて、ある程度の売上が見込める仕事をまとめて請け負うような状況がなければ、屋台の飯屋の方がまだ儲かるだろう。しかし、屋台を開くにしても、ノウハウがなければ実現は難しい。

結論として、20年近くサラリーマン生活を送った人間が、突然個人事業を立ち上げても何もできない。なぜなら、個人事業は「すべて自分でやる」ものであり、サラリーマンは「企業の一部の仕事を担当するだけ」だからだ。まとまった仕事の「ごく一部」しか経験していない人間が、事業体全体の運営をしようとしても無理がある。

個人事業の経費・経理・税務

会社と個人の税務をこなすだけでも、膨大な資料に目を通すことになる。Company Secretary(日本で言う司法書士)に頼んでも、彼らは法律に従った税務申告を代筆するだけで、税務のノウハウを教えてくれるわけではないし、初心者が陥りがちなトラブルについての事前のアドバイスもない。もちろん大手のコンサルは手取り足取りやってくれるだろうが、途方もない料金を払わなければならない。

今振り返ると、私が最初にすべきだったのは、しっかりしたオフィスを持ち、経理担当を兼務する馬国人秘書を1人雇うことだった。経理担当を雇って給与を払っておけば、その人間が税務署とも意思疎通するし、Company Secretaryとも更新して、起業家としての損得についての地道なアイデアを出してくれるのだ。

同じようにKLで個人事業を始めた日本人技術者のN氏は、最初の2年間は全く仕事がなくても生活できるだけの資金を用意して事業を始めた。これこそがスタートアップの極意だ。

事業の経費(ランニングコスト)を計算したら、「その2倍の資金を準備すべきだ」というのはよく聞く話で、今思えばその通りだ。N氏も、事業を始めて2年が経過しても十分な仕事がなく、常に悩んでいた。

個人事業を始めるなら、その経費・経理・税務について徹底的に学んだ上で、有識者にお金を払ってでも教えてもらうべきだろう。それをせずに、自分のモチベーションとバイタリティだけで始めるのは、文字通り金をドブに捨てるのと同じだった。

新たな境遇の圧迫感

企業を辞めれば、毎日の退屈な仕事や嫌いな上司から解放される。きっと、気分の良い解放感を楽しめると思っていた。しかし、会社を辞めて1ヶ月程度は、解放された感覚があるものの、その感覚を楽しめるのはほんの「ひととき」だ。自営業の難しさや重圧を実感し始めると、全く新しい息苦しさが襲ってくる。そこには苦楽をともにする同僚などいない。

起業して数ヶ月間、脱サラ起業家に独特の悩みがあった。

KLのコンドミニアムの部屋で目覚めた時、不思議な違和感が押し寄せてきたものだ。

「あれっ?ここはどこだ?俺は何をしているんだ?会社に行かなくていいのか?」

うまく表現できないが、18年間繰り返してきた起床から出社までのルーチンが生活から外れていることに、体が理解できていないのだ。

今日の仕事を休むのも、遅く起きるのも全て自由だが、その結果は全部自分だけに直接返ってくるのが自営業。

「そうだ、俺は会社を辞めたんだ。今日も何か収益になるアイデアや仕事を見つけないと、もうすぐ金がなくなる。なぜ自分をこんな状態に追い込んだのだろう?」

頭では理解していても、起業のモチベーションに溢れていても、18年間の企業人生活が体に染み付いているため、全細胞が違和感を感じるのだ。これは脱サラを経験した人間にしかわからない独特の感覚である。

自分のサラリーマン経験だけを頼りに無計画に個人事業を始めることほど無謀なことはない。都会で暮らしてきたアラフォーの家族が、いきなりジャングルに移住するようなことをすれば、それまで知らなかったトラブルが押し寄せてくる。準備をしようとしても、何を準備すれば良いのか分からないのだ。

自営業を始める元サラリーマンは、まず自分への過信を捨て、ジャングル生活の経験者に金を払ってでも「何を準備すれば良いのか」を教えてもらうべきなのだ。

家族や子供を道連れに他国のビジネスに「個人で」入っていくことがいかに無謀なことっだったか・・・

そして自分の体の中にある「企業人」の細胞が全て死んで、新たな「個人事業」の細胞が生きづいてこなければ、先には進めないのだ。

つづく

タイトルとURLをコピーしました