アイキャッチ画像は、Flickrへの 南アフリカ政府の投稿写真, President Jacob Zuma bestows the National Orders Awards, 8 Dec 2015から Some Rights Reserved のライセンスを条件に掲載しました。彼が設立した大学のロゴはCreative Commonsのライセンスによる転載です。
私が初めてリム・コック・ウィン(Lim Kok Wing)氏の名前を耳にしたのは、2003年ごろのことでした。当時、自営業として日系企業を支援していた私は、クアラルンプール郊外で進行していた環境プロジェクトに関わっていました。そこで氏の名声を知ったのです。
イラストレーションやグラフィックの分野で天才的な才能を発揮していた彼は、国内では名前のフルスペルよりも「LKW」の略称で広く知られていました。まさに「マレーシア人離れした」技術とセンスを持つ稀有な存在であり、その作品は海外でも高く評価されていました。
広告界の草分けとしての軌跡
29歳のとき、LKWはマレーシア資本として初の広告代理店「Wings Creative Consultants」を設立。彼の視野は早くから国際的で、創造の力を使ってビジネスと社会をつなげていく姿勢は、広告という枠を超えて広がっていきました。
1970年代初頭には、シンガポールの大衆紙『イースタン・サン』で、マレーシア・シンガポール版の四コマ漫画を連載。その表現力は2年間続いた連載終了後も記憶に残り、多くの人々の心に刻まれています。
南アフリカの民主化を支えた「絵の力」
1994年、南アフリカでネルソン・マンデラ氏が民主化選挙に臨んだ際、当時のマハティール・モハマド首相がLKWを支援者として紹介しました。実はこの時、南アフリカの有権者の約45%が文盲だったと言われており、選挙の意義を伝えるためには「言葉」ではなく「ビジュアル」が必要でした。

LKWはグラフィックを駆使して、民主化の意義や選挙の大切さを分かりやすく伝えるメッセージを制作。その功績は現地でも高く評価され、アートを通じて社会変革に貢献した希有な例として語り継がれています。
日本企業との接点と私の記憶
私がLKWの名前を直接耳にしたのは、クアラルンプール初のゴミ焼却設備建設計画に関するプロジェクトでした。当時、環境保護団体からの激しい反対運動があり、建設を請け負う日系企業と現地パートナーが、LKWにプロモーション支援を依頼したのです。
残念ながらこのプロジェクトは実現には至りませんでしたが、私は後に、彼が設立した大学や都市に掲げられた巨大な広告作品を見て、「なるほど、これがLKWか」と深く納得したのを覚えています。その技術とスケール感には、マレーシアという枠を超えた世界基準の力を感じました。
晩年とその後の評価
晩年のLKWは、汚職事件で弾劾されたナジブ・ラザク元首相の広報支援を一時的に担っていたことで、やや評価が揺らぐこともありました。しかし、氏の人生全体から見れば、その功績が色あせることはありません。
2021年、彼は自宅での転倒をきっかけに入院し、帰らぬ人となりました。享年75歳。彼の死は、マレーシアだけでなく国際社会にとっても大きな損失でした。
来歴と功績のハイライト
- 林國榮(Lim Kok Wing)
1945年10月21日生まれ。マレーシアの実業家・教育者・慈善家。
メソジスト・ボーイズ・スクールおよびコクラン・ロード・セカンダリー・スクール卒。
1975年、29歳で広告会社「Wings Creative Consultants」を設立。
1992年にはサイバージャヤにLimkokwing University of Creative Technologyを創設。
2007年にはボツワナ、ロンドンにも大学を設立。 - 受賞と評価
2006年:「年間最優秀CEO(CEO of the Year)」(マレーシア・カナダ・ビジネス・カウンシル)
2007年:モスクワ国立地方行政アカデミーより名誉教授号を授与 - 人物評
マハティール元首相:「マレーシアのビジョンを熱心に支持した人物」
ナジブ・ラザク元首相:「多くの人々の人生を変えた」
ユネスコIITE:「教育と慈善の偉大な人物」
最後に
リム・コック・ウィン氏は、アートと教育、そして広告の力を通じて、多くの人々に夢とチャンスを与えてきました。彼の人生は、創造力がいかに人と社会を変えることができるかを私たちに教えてくれます。
ご覧いただきありがとうございました。彼の足跡を知っていただけたなら幸いです。
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