【番外】60年の歴史を経て米国の政治家はどう変わった?

番外編

筆者が生まれて2年後の1960年は、ソビエト連邦のフルシチョフ首相との冷戦の中で、米国が国内問題と世界の安全保障の両方でひどく苦しんだ時期です。

この年に大統領が誰になるかは、正しく米国の国の運命に関わる大きなエポックでした。

今年の大統領選は、1960年に似た国際情勢と米国内の混乱を背景としており、やはり合衆国の国民が一つの岐路に立たされている大統領選でしょう。

2つの報道を紹介します。

ひとつは、ロイターが報じたトランプとハリス副大統領の舌戦。もうひとつは、1960年に米国で初めてテレビ放映されたケネディ大統領候補とニクソン副大統領のディベートの記録です。

前者は、世界の動画サイトにたくさんの動画がアップされているので、ロイターの報道を要約しました。読者は1時間以上の長い動画を見なくても、欧米随一の報道局であるReutersがどのように舌戦を解釈したかわかります

1960年の大統領選挙では、マサチューセッツ州の元上院議員ジョン・F・ケネディが民主党 (Democrat) から、そしてリチャード・ニクソン副大統領が共和党 (Republican) から立候補しました。合衆国のテレビ放送で初めて放送された討論会は、1960年9月26日にシカゴで開催され、国内問題に焦点を当てた1時間の議論で、この討論会は、CBSのハワード・K・スミスが司会を務め、ジャーナリストのパネルが質問を投げかける形で進行しています。

この記録は58分の動画としてアップされています。文字起こしは機能しないようです。興味のある方は動画を参照してみてください。非常に興味深いものです。

Kennedy vs. Nixon: The first 1960 presidential debate

合衆国の政治家はどう変わったのか?

筆者の感想を遠慮なく言わせていただければ、2つの実録を観れば歴然としているように政治家の質は著しく落ちたと言わざるをえません。

60年以上の歴史を経て、合衆国の政治家は何を学んできたのでしょうか?

筆者が感じた大きな違いを列記します。

便宜上、ケネディとニクソンの間の議論を「KN討論」と呼び、トランプとハリスの間の議論を「TH討論」と略します。

討論の目的は何だったか?

TH討論では、明らかにお互いを「非難」ないし「否定」することに主眼があり、政策や人格を問わず、あらゆる手段で相手を「大統領にすべき人間ではない」ということを国民にアピールしています。

これに対して、KN討論では、当時合衆国が置かれている状況を、あくまで客観的に把握して、その状況を「自分ならこうやって打開する」と言う政策論争に主眼があります。相手の人間性や過去の問題などは一切触れていません。

合意と不合意の整理

KN討論において、両候補は極めて紳士的であり、まず、米国が抱える問題については、両者とも「同じ認識である」とはっきりした合意を示した上で、問題解決の「方法論」においてどのような違いがあるかを主張しあっています。そして、相手の政策が間違いだと言うよりは「私の政策がより効果的であり理に叶っている」と言う討論です。

TH討論では、何が合意点なのか見えないので、視聴者から見ると、「米国の置かれている状況について、どこまで共通認識があって、何を解決すべきなのか」全くわからない討論になっています。見聞きする人々は、両者が互いに相手を嫌っていることはよくわかるが、合衆国と世界が抱える課題がなんなのか全くわからないままです。

政治家としての振る舞い

KN討論を見ると、両候補は常に紳士的であり、相手の発言中に顔をしかめてたり、嘲笑するようなことは全くありません。基本的に相手に対するリスペクトが感じられます。

TH討論では、相手の発言中に、相手の議論に対する嫌悪感を顕にしたり、議論の内容よりも、議論を発しているメンタリティーを疑問視するような表情や嘲笑の場面が多い。

現状認識の定量情報

KN討論では、全ての説明内容に必要最低限の数字を明らかにして「定量化」する姿勢が貫かれている。経済成長にしても、予算にしても、学校や病院の数など、あれゆる現状認識についてしっかりした数字を示していて、主張が客観的に正しいことを証明する姿勢があり、Debate の基本的マナーが踏襲されてます。

TH討論では、数字が出てくることはほとんど無い。トランプは、移民が人の家の犬を捕まえて食べていると言ったが、トラブルが何件報告されたかは一切わからない。過去の政策の成功例や、相手の失敗例についても、数字の裏付けを明確に出している候補はいません。

言葉の使い方

TH討論で出ていた次の表現は、KN討論では全く聞かれませんでした。

stupid,  weak, immoral, disgraceful, shame, he lied, world leaders are laughing at D.Trump, D. Trump was fired by 81million people

学生の討論会でもこんな表現は滅多に使いません。

個人攻撃

TH討論では、お互いに相手を言い負かすことが戦略になっているが、KN討論では、「何が得策か?」を提言することが戦略になっているわけです。

KN討論は、Why – Because が話の展開であり、TH討論では he/she is wrong が主眼です。

CNNのアンケートでは、討論の結果、ハリス勝利という意見は63%で、トランプを勝者とする37%を上回っています。

これは、どちらの政策が優れているか?という評価ではなく、どちらの個人攻撃が有効だったか?という評価に他なりません。

嘆かわしいです。

ハリスの戦略勝ち?

カマラ・ハリス副大統領は、これまで自分の大統領候補としての政策プランはあまり明確にしていません。ある評論家は、どこかの飲み屋のお姉さんの世間話しかしていないと酷評していましたし、

パネリストや政治評論家との討論にも出席していません。ですから、候補として十分なインテリジェンスを疑われていたわけです。

しかし、ハリスさんは元陪審員です。その辺の民衆はとても突破できなハードルを超えてきた人間です。しかも副大統領まで登ってきた人財です。インテリではないと言うことは無いのです。

おそらく、ハリス副大統領と戦略チームは、トランプの弱みを分析しながら、自らのコンテンツを隠しながら、タイミングをはかっていたのかもしれません。

しかし、それはそれとして、KN討論の質の高さに比べれば、トランプ・ハリスの口喧嘩プラスアルファの茶番劇で茶を濁される米国市民は惨めです。

自民党総裁候補の高市早苗の立候補の記者会見の方が、よほど質が上だと感じました。

ロイターが観たトランプ・ハリスの舌戦

All you need to know about the Donald Trump and Kamala Harris debate in three minutes
Harris contrasted her forward-looking approach with Trump’s alleged use of a “tired playbook” of lies and grievances. Tr...

9月11日—民主党のカマラ・ハリスと共和党のドナルド・トランプは、初めての討論に臨んだ。(以下は、筆者が文章を要約したもの)

ライバルを挑発

ハリスはトランプを挑発することを意図。(選挙陣営はその方針を事前に予告)  

自分に誇りを持つトランプは明らかに動揺した。

トランプは、不法移民がオハイオ州スプリングフィールドの住民のペットを殺して食べていると虚偽の主張。

スプリングフィールド市の当局者はその報告が虚偽であると述べており、トランプの発言後にABCの司会者もそれを指摘。

ハリス:「大袈裟な話」とコメント

守勢に立つトランプ

元検事であるハリスのもう一つの目標は、トランプの過去の行動を批判することで、討論が1時間経過した時点で、トランプは常に守勢に立たされていた。  (ハリスの主張は、国がトランプ時代を終わらせる必要があるということ)

ハリスはトランプを挑発し、世界の指導者たちが「彼を笑っている」とし、彼を「恥」と呼んだ。(トランプ自身がバイデン大統領について集会で使ってきた言葉)

トランプは怒りを露わにし、「バイデンは彼女を嫌っている」と述べた。

これらのやり取りは、ハリスの「トランプには大統領にふさわしい『気質』がない」という主張を後押しするものとなった可能性がある。

人種問題の対立

ハリスはトランプが人種を利用してアメリカ人を分断していると非難し、1970年代に彼と父親が黒人の賃借人を拒否したことや、1989年にニューヨーク市でジョギング中に襲われた事件で、無実の黒人やラテン系の若者5人を非難したことを例に挙げた。

トランプがバラク・オバマ元大統領が米国市民かどうかを公然と疑問視したことにも言及した。

ハリス曰く「彼のキャリアを通じて、一貫してアメリカ人を分断しようとしてきた人物が大統領になろうとしているのは悲劇だ」「我々は、常に国民同士を非難し合うよう仕向ける指導者を望んでいない」

トランプは、経済の話題に転換し、バイデンの経済政策をハリスに押し付けようとした。「彼女はバイデンから逃れようとしている」とトランプは述べたが、ハリスはこの攻撃を、自らが変革者であることを再度アピールする機会とした。

「私はジョー・バイデンではなく、もちろんドナルド・トランプでもない」とハリスは述べ、「私が提供できるのは、この国にとって新たな世代の指導力だ」と続けた。

握手

討論を前に、ハリスとトランプがどのように挨拶するかが注目されていた。これまで二人は一度も対面していない。

ハリスは、明確に問題を解決した。彼女はトランプの演壇に歩み寄り、手を差し出し、「カマラ・ハリスです」と自己紹介をした。

これは、彼女の人種や性別を侮辱してきたトランプに対して、ハリスが和やかに対応する姿勢を示す方法だった。

経済問題での応酬

トランプとハリスは有権者にとって重要な経済問題で激突。

  • ハリスは、ここ数週間で発表した経済政策、特に小規模スタートアップに対する大幅な税額控除について詳述。
  • トランプは関税に焦点を当て、不公正な外国との競争からアメリカ経済を守るとした。

両者とも攻撃の機会を得たが、ハリスは有権者の信頼度でトランプに後れを取っている経済分野で最初に発言する機会を有効活用した。そして、トランプを守勢に立たせ、トランプは自らの得意分野である経済問題で比較的防戦に回った。

中絶問題の対立

両候補は中絶問題でも激しく対立した。この問題では、世論調査でハリスが優勢を示している。

トランプは一部の州で出生後に赤ちゃんが中絶されると主張したが、ABCニュースの司会者リンジー・デイビスにより訂正された。

トランプは、議会で連邦中絶禁止法が可決された場合、それを拒否するかどうか問われたが、それは起こらないと主張しつつ、明確な答えを避けた。

見解の相違

最も白熱した政策討論の一つは、ロシアによるウクライナ侵攻への対応についてだった。  

両候補の発言は、米国の役割について見解が根本的に異なることを示した。  

トランプは、ウクライナの勝利を望んでいるかどうかについて明言を避け、司会者デイビッド・ミューアが問い詰めても、「ただ早く終わらせたい」と述べるにとどまった。

ハリスは反論し、トランプが本当に望んでいるのはウクライナの早急かつ無条件の降伏だと主張した。「ドナルド・トランプが大統領であれば、プーチンは今頃キエフにいるだろう」とハリスは述べた。(トランプはプーチン寄りだと言われていることを戦略的に利用)

「武器化」された司法

激しいやり取りの中で、トランプとハリスはお互いに、相手を攻撃するために司法省を「武器化」したと非難し合った。

トランプは、2020年の選挙結果を覆そうとした陰謀や、機密文書の取り扱いに関する起訴、そしてポルノ女優への口止め料支払いに関連する文書偽造での有罪判決が、ハリスとバイデンによる陰謀の結果だと主張した。(その主張を裏付ける証拠は無い。)

ハリスは、「トランプも再選すれば政敵を起訴すると約束した」と反論。

「彼は憲法を『破棄する』ことを公言している人物だ」とハリスは述べた。このやり取りは、ハリスとトランプが選挙の重要性をどのように見ているかを浮き彫りにした。

つまり、両者とも、相手を民主主義そのものへの脅威と見なしている。 Reuters

参考  Debate の起源

1970年代後半、筆者が大学生の頃、

我々日本人が学生として学んだAcademic Debateのスキルや教義について、日本の学生は「なぜ自分の意見を一旦置いて賛成・反対の両方の論理を考えて戦わせるのか?」と疑問を抱くことが多かった。筆者も当時はDebateの選手として競技を楽しんでいたが、この疑問に対する明確な答えは持ち合わせていなかった。科学者の武田邦彦氏は、これを海外と日本の文化や常識の違いとして整理している。

ある時、筆者はYoutuberであり優れた教育者である井上一樹氏による「ソクラテスの弁明」の解説動画に出会い、ついにAcademic Debateの起源に辿り着いた。

ソクラテス以後の哲学は「価値を問う」ことが中心となった。社会の発展と共に人々のモラルが崩壊し、ペロポネソス戦争のような長い戦乱を経て、「本当に価値があるものは何か?」を問う人々が増えたことが背景にある。そこでソクラテスは、識者同士の徹底した議論を展開したが、最終的には社会から阻害され、弾劾されてしまった。

弟子のプラトンはソクラテスの意思を継ぎ、「あるべき弁論術」について検討を続けた。これは、ソクラテスの弁明に述べられた悲劇を繰り返さないことを目的としたものである。この弁論術を教える識者は「ソフィスト」と呼ばれたが、その中でも革新的な指導者がプロタゴラスである。

彼が否定したのは、従来の哲学、すなわち「真理は一つしかない」という考え方だった。
プロタゴラスは「この世に絶対的な真理など存在しない」と主張し、賛成論も反対論も弁論の技術次第で自由に構築できるとした。そして、異なる価値観や観点があれば、異なる答えが生まれる(相対主義)という前提で弁論術を教えた。

投稿サイト “Medium” への投稿記事より information source

これこそがAcademic Debateの源流であり、以後、ソフィストたちは相対主義・懐疑主義の先駆者となった。なぜこの史実が高等教育で広く紹介されないのか、疑問に感じる。単に「欧米の進化した教義だから」としてDebateを学ぶ認識では、あまりにも単純すぎる。

その後、プラトンが「大学」の前身であるアカデミアを創設し、それが900年にわたり受け継がれたことは、歴史的にも貴重な事実である。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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